第57話:『特別』をあなたに
「いや、あの……ッ」
瞳をうるうると潤ませながら頭を下げるファリナに、サミュはあっという間にしどろもどろになっていた。
普段の毒舌は引っ込み、おろおろとしながら婚約者に駆け寄っていく。一瞬だけ、ユーリスに対して、騙したな! という視線を向けたが、もはやそれどころではない様子だ。
「てっきり友人が作ったものだと……あぁ……すみません……ッ。いつもの調子でつい……」
「いえ……私、“いつもの”サミュさんが見てみたかったんです」
「え……?」
サミュの狼狽を吹き飛ばしたのは、ファリナの真っ直ぐな眼差しだった。ぱちぱちと長いまつ毛で涙を弾き、彼女はしっかりとした口調で語り始める。
「サミュさんは私の前では“完璧”だから……。優しくて、スマートで、笑顔で……一切の落ち度のないあなたは、素晴らしい人です。でも、本音が見えないから、ちょっと近寄りがたくて……」
「…………」
「だから、アデル先輩に相談したんです。そうしたら、創立記念日のパーティーにこっそり参加できるよう、取り計らってもらえました」
たどたどしく話すファリナを見つめながら、ユーリスが「俺が許可した」と口を挟む。アデルもケーキの前でうんうんと頷いた。
「騙し打ちのような真似をして申し訳ございません。サミュさんの“いつもの”様子がどうしても見たかったんです」
「そんな……普段の僕なんて、見せられないですよ。育ちが圧倒的に悪い、口も態度も悪い。生まれながらの貴族のあなたに、僕は相応しくないんですから……!」
「それはサミュさんが決めることじゃありませんっ!」
ファリナの凛々しい声が食堂に響く。
今や、食堂に居合わせたすべての者が2人に注目していた。婚約者たちの行く末を皆が緊張して見守っていた。
「さっきは近寄りがたいと言いましたが、私は“完璧”なサミュさんに……その…憧れています……。ですが、もう半分の“いつもの”サミュさんのことも知りたい。知って、すべてを好きになりたい……だから私は、サミュさんが思ったことを正直に、あなたらしく伝えてくれる方が嬉しいんですっ」
「ファリナさん……」
「貴族だから……なんて、関係ありません。ひとりの人間として、心を通わせたいんです」
ファリナの唇が柔らかい弧を描く。
頑ななものが解けていく音が聞こえ、アデルは思わず笑みを溢した。チラリとユーリスの方を見ると、彼は友人に温かい眼差しを送っていた。
(バルドゥル団長意外の方にも、ああいう顔をするのね……)
新鮮な発見をした気がして、不思議と胸がざわついた。
あぁ、知らなかったからか……と、アデルはファリナのつい先ほどの言葉を思い出す。
(私が知っているユーリス様は、半分……? もっと少ないのかも……)
「じゃあ、このクッキーは僕を試すために、わざと下手くそに作ったわけですか?」
「い、いえ……それは本気で作ってます……」
「うッ。すみません」
「ふふっ。ほら、私がお菓子作りが苦手って、知らなかったでしょう?」
サミュとファリナの会話が周囲の笑いを誘い、食堂は穏やかな空気に包まれていく。
ファリナはお菓子作りや料理が苦手だと告白し、サミュはそういったことはできるものの、こだわりすぎて時間が足りなくなるのだと暴露していた。今後、一緒に練習しようと微笑み合う2人が交わす視線が甘い。
「ファリナはお裁縫がとっても上手なんです。学生時代も、私にキッチンミトンを作ってくれました。あ、もしかしたら、頼めば“ぬい”も作ってもらえる……⁉ 騎士団ぬい、ほしい!!」
「アデル、無視しないでくれ」
アデルはユーリスにケーキを切り分けようとしていたのだが、一人ですっかり盛り上がってしまっていた。声を掛けられて我に返ったが、金色の双眼に怒りの色はない。ユーリスは、もう慣れたと言わんばかりに肩を竦めていた。
「あ、すみません。ぬいを想像したら、つい」
「ぬいとはなんだ?」
「ぬいぐるみです。推しの姿を模したぬいを持ち歩けば、いつでもご機嫌でいられます。ただ、私はお裁縫が苦手で……。母はドレスが作れるくらいの腕前だったのに、遺伝しないものですね~」
明るく笑いながら、アデルはケーキナイフをすいっと差し入れる。
白い皿に取り分けたケーキの断面は、たっぷりの生クリームと苺が美しい層をなしてる。色のコントラストも食べる者の目を奪い、食べる前からうっとりとしてしまうケーキだった。そして――。
「なんだが、俺のだけ大きくないか?」
ユーリスが目を見張ったのは、アデルが持つ皿の上のケーキが、他の騎士の3倍ほどの大きさをしていたからだ。皿を持つアデルの手も、ずっしりとした重みを感じてぷるぷると震えている。
「シーッ。皆さんには内緒ですよ」
「えっ。いいのか? “騎士団箱推し”なのだろう? 俺だけが、こんな……」
指を唇に当てると、皿が不安定になってしまったので、アデルは慌ててそれを「おっとっと」と、両手で持ち直した。
幸いケーキは崩れずに無事だったが、目の前のユーリスはなぜかたいそうたじろいでいた。そんなに動揺しなくてもいいのに、とアデルは小首を傾げる。
「お力を貸してくださったので、お礼ですよ。『特別』に極厚カットです!」
「そうか……『特別』、か……」
アデルの言葉を、ユーリスはゆっくりと噛み締めている。そして、まるで宝物を見つめるかのようにケーキを見下ろし、頬をほころばせた。
「ありがとう、アデル。皆には秘密の『特別』、だな」
「…………!」
無意識にユーリスに見惚れていたアデルにとって、それは不意打ちだった。
予備動作なく一歩進み出たユーリスは、アデルに顔を寄せ、耳元でこっそりと囁いたのだ。
彼の声が抑えきれない喜びと甘さをまとっていたために、アデルは「ひゃっ」と短い悲鳴を上げた。脳は経験したことのない痺れを覚え、顔はカッカと熱い。むずむずとする耳を慌てて手で押さえると、今度こそケーキの皿が大きく傾いてしまった。
「危ない!」
ユーリスが素早くケーキの皿を支えると、アデルの手と彼の手が重なった。大きさがまるで違う。ユーリスの手はたくましく、アデルの華奢な手を包み込むほどに大きく、そして温かかった。
「ご、ごめんなさい……っ」
「俺の方こそ、驚かせてしまってすまない。その……つい、気持ちが高ぶってしまった……」
ユーリスは照れた表情を読み取られまいとするかのように顔を背けた。けれど、耳まで赤くなっている。
自分が口にした言葉を反芻しているのかもしれないと思うと、アデルは不思議な高揚感を伴ってきゅんきゅんと収縮を繰り返した。
そう、きゅん、だ。
アデルはたしかに今のユーリスを好ましく思っていた。
「え……あれ……?」
(おかしいな……。私が好きなユーリス様は、バルドゥル様一筋なのに。こんなのファンサに決まってるのに……、真に受けたくなるなんて、私……どうしちゃったのかな……)
たしかめたい。その方法は――。
アデルはドッドッドと鼓動を繰り返す胸の音に押されるようにして、ユーリスの騎士装束に手を伸ばした。
アデルに指先できゅっと袖を摘ままれたユーリスは、一瞬驚いたように金眼を大きく見開く。
互いの瞳には、互いの姿しか映っておらず、不思議と音も遠くなっていった。
「ユーリスさ――」
「ユーリス! いるか⁉」
大声で名を呼ばれ、ユーリスは弾かれるようにして振り返った。
食堂の入口には血相を変えたバルドゥルとエドガーが立っており、ユーリスの姿を認めると、慌てて駆け寄って来た。
エドガーががなり声で叫ぶ。
「兄貴……シュトラウル侯爵が倒れた。すぐに実家に戻れ、ユーリス!」




