第52話:貴族の世界は甘くない
◆◆◆【ユーリス】
士官学生との合同訓練を終えてから数日。
駐屯所の執務室に、バルドゥル、ユーリス、サミュという、おなじみの3人が集っていた。
バルドゥルは執務机の前で仁王立ち、ユーリスは中央の大きなソファ、サミュはその向かいの一人用のソファに腰掛け、それぞれの近くには紅茶と焼き菓子が置かれている。アデルが気を利かせて用意してくれたものだ。
「我ら王国騎士団に志願する若き獣が、泡沫のごとく希薄であることは骨の髄まで理解していよう。しかし、近年、冥府の魔獣は血肉を求め、暴虐の色を濃くしている。これ以上、王国の安寧を脅かされるわけにはいかぬ。故に次代の刻は、新たなる牙をより多く我らが手中に収めたい……! そこで、先日の合同訓練だ。あのような儀式を、今後、『血の盟約』への導線として定期的に仕掛けていくのはどうだろうか。まだ見ぬ『選ばれし魂』を観測し、我らの大義を見せつける絶好の機会となるはずだ……!」
気の置けない仲間の前でのバルドゥルの演説めいた口調は、いつものこと。そしてその後、ユーリスが彼の台詞を標準語で翻訳するのもいつものことだったのだが。
「…………」
「……ユーリス?」
「は、ハイッ!」
ユーリスはソファに沈み込み、ローテーブルの一点を無言で見つめていた。名を呼ばれ、弾かれるようにして立ち上ったが、気を散らせていたことは明らかだ。「申し訳ございません」と即座に頭を下げる。
「何かあったか? アデル嬢……それともエドガー殿か?」
「い、いえ……」
バルドゥルの目が鋭くなった。
ユーリスは図星を突かれて言い淀んだが、ここ数日、難しい表情を浮かべたり、ぼんやりとしたりすることが多いことは、当然のように見抜かれていた。真面目なユーリスの勤務態度に影響を与えるほど人物といえば、アデルがエドガーしかいないのだ。
「俺たちだけの時はかまわんが、部下たちの前では気を引き締めろ。せっかくお前に懐いてきたのだから。……言いたくなったら、いつでも相談してくれ」
「ありがとうございます」
ユーリスにとって、バルドゥルは太陽だ。常に温かく照らし、導いてくれる。
(あぁ……いつかおそばを離れなければならないなんて……)
バルドゥルのそばを離れ、シュトラウル侯爵家の屋敷にいる自分を想像しようとすると、胸の奥がひりつきかけ、慌てて見えない蓋をした。
(今じゃなくていい……いいはずだ……)
「サミュ、すまない。バルドゥル様のお言葉だが、お前が代わりに訳してくれないか?」
「……は、ハイッ!」
ユーリスが声をかけたサミュが、弾かれたようにして顔を上げた。眼鏡の奥の吊り目がうろうろと泳いでいる。
「サミュ、お前もか」
バルドゥルは純黒の髪をわしわしと掻き上げ、ため息を漏らしたのだった。
◆◆◆【アデル】
一方その頃、アデルは休暇を利用して、とある公爵家のお茶会を訪れていた。
普段、アデルが貴族の社交行事に顔を出すことはほとんどない。
王国騎士がいない空間で、エスコートしてくれる相手がおらず、ひとりぼっちでポツンと壁の花でいることの、いったい何が楽しいだろう。周囲からあらぬ噂を囁かれたり、哀れみの目で見られたりすることも耐えがたかった。
(けど、それも今は昔! 推し活のおかげで私生活は潤っているし、堂々とスイーツを堪能する余裕があるのです!)
名門公爵家の庭園は季節の花が咲き乱れ、白いクロスの掛けられたガーデンテーブルには、一目で高級と分かる薔薇模様のティーセットが上品に並び、ティースタンドには見るも鮮やかな茶菓子が鎮座している。
バター香る焼き菓子や果物たっぷりのタルト、香ばしいスコーンや断面の美しいローストビーフサンド……。
どれもこれもアデルを魅了してやまず、思わず「るん♪」と顔が綻んだ。久しぶりにおめかししてきた甲斐がある。
「アデル様のお席はあちらですわ」
主催の公爵令嬢に促され、アデルは十人程度が座れる丸テーブルへと向かったのだが――。
(椅子が……ない!!)
アデルの席だけぽっかりと空間が空いていた。テーブルの下を覗き込んでも、いい感じの切り株や岩もない。
クスクスといやらしい笑い声がアデルに突き刺さる。
早く甘いスイーツを楽しみたいというのに。しばらく離れていて忘れていた。
貴族の世界は甘くなかった。




