第51話:勝敗の行方
◆◆◆【ユーリス】
(負けてしまった……)
宴会場の片隅。ユーリスは、鹿のローストをあてにエールをちびちびと飲んでいた。
副団長という地位にはいるが、元々賑やかな場所は得意ではない。普段の宴会や食事会ではバルドゥルに表立った社交を任せ、時折彼のフォローをすることがほとんどなのだ。
だが、今夜のユーリスは落ち込みに落ち込んでいたため、バルドゥルに不安を溢しながら絡み酒をしていた。
「元気を出せ。アデル嬢がエドガー殿になびくとは限らないじゃないか。レオだって、まるっきり仔犬扱いだっただろう?」
「レオと叔父上は違います。叔父上は歴戦の騎士。誰からも信頼され、実力と実績を伴った元王国騎士団長……。バルドゥル様でしたら、痛いほど分かっておいででしょう? それに……叔父上はきっと、アデルの初恋相手です」
「ふむ……」
曇った顔で唇を噛み締めるユーリスがそう言い切ってしまうことも、分からなくはないなとバルドゥルは短く唸った。
エドガーの部下として過ごした年月は、彼の評価を絶対的なものとして定めるくらいには重い。
けれどバルドゥルは、再び口を開く。
「お前が血を滲ませ、魂を削る日々を送ってきたこと……。私はそれをこの両の目で見てきた。ユーリスは、我ら現王国騎士団が誇る唯一無二の騎士。アデル嬢は王国騎士を愛している。その神眼にお前の姿は必ずや眩く映っているはずだ」
「バルドゥル様……」
じぃんと目頭が熱くなり、ユーリスは鼻をすすった。
追加の酒を取って来ると言うバルドゥルを見送った後、ユーリスは彼の言葉をゆっくりと噛み締める。尊敬する上官からの誉め言葉に励まされる一方で、そこにはほんの小さな苦みもあった。
(アデルは王国騎士を愛している……その通りだ。彼女はいつも、俺たちを厚く支えてくれている……。で、あれば……俺が王国騎士を辞め、領地に戻ることになったら……?)
木製のジョッキを満たす黄金色の酒に、眉の下がったユーリスの顔が映る。そこにひょっこりと映り込んできた人物がいた。
「シケた面だな」
「叔父上」
振り返ると、右手に大振りなエールジョッキ、左手にパンと鹿肉ステーキがもりもりに盛られた皿を持ったエドガーが立っていた。ニィッと笑うと尖った犬歯がのぞき、狼のようだだなとユーリスは思った。
「若いヤツらと飲めよなぁ。部下との関係作りは大事だぞ~?」
「俺は……叔父上のようには……」
ユーリスの隣にドカッと腰を下ろしたエドガーは、ステーキ肉に豪快にかぶりつく。芳ばしい香辛料の香りと湯気の立ち上るジューシーな鹿肉だ。それをワイルドに味わう様は、見ているだけで気持ちがいい。
憧れのエドガーに美味しく食べてもらえて、アデルも喜んでいることだろう。彼女の笑顔を想像し、ユーリスは黙って薄い唇を噛み締めた。
甥と叔父の間に、言葉のない時間が過ぎていく。
胸がキリキリと痛み、瞳を薄い膜が覆っていく。堪えろ、男だろうと、言い聞かせる。
「……叔父上。アデルが士官学校の食堂に努めることになったら……その時は、彼女をどうかよろしくお願いします……! 彼女が叔父上を選びたいと言うのなら、俺は――」
沈黙を破り、ユーリスはくぐもった声を絞り出した。
酒をあおっていたエドガーが金色の瞳を丸くし、ぱちぱちと瞬きをする。
「あ? 鹿狩りの勝負のこと言ってんのか? どう見てもお前の勝ちだろうがよ」
「えっ。しかし、数がまったく……」
「多く狩れた方が勝ち、とは言ってねぇぞ?」
そうだっただろうかと、ユーリスは記憶を手繰る。たしかにエドガーは、「どちらが食事に貢献できるか勝負だ」と言っていた。
「気づいてなかったのか? お前が生け捕りにした鹿、めちゃくちゃうめぇぞ。大人気でもう向こうには残ってないんだ。ほら、コレだ」
「あっ」
ユーリスの皿からひょいっと一切れのロースト肉をさらっていったエドガーは、「臭みがまるでねぇんだよな」と、満足そうに口を動かしている。その皿は、アデルがまっさきにユーリスに手渡してくれたものだった。
「これはユーリス様に」と、甘い笑みと共に皿を差し出してくれたアデルを思い出し、ユーリスの不安で冷たくなっていた胸に熱が灯る。
(そうだったのか。アデルは俺のために……)
ユーリスはフォークで肉を刺し、口へと運んだ。
アデルが調理するのを見ていたから、分かる。
りんごのチップで燻された表面の食欲をそそる香り。美しい赤色の断面。きめ細かな舌触りと、野趣溢れる鹿の風味。とろけるように柔らかいそれは、アデルが丁寧に楽しそうに料理していた。
「美味しい……」
ユーリスの頬が緩み、エドガーは破顔した。
「なぁ、聞けよ。アデルのヤツ、ぜんっぜんオレと目ぇ合わせてくんねぇの。理由聞いたら、『エドガー様はレジェンド枠なので』だってよ。まともな会話も成り立たなくて、笑っちまう」
「アデルがそんなことを……。いや、言いそう……ですね」
働き始めて何か月も経つのに、未だにバルドゥルの後光に目を細めているアデルだ。彼女がエドガーを前にして「殿堂入りです!」と叫ぶ姿がいとも容易く思い浮かぶ。
「想像力が足りねぇんだよ、おめぇは。ガキの頃からだ。お前は敵の剣筋を読むのは上手いが、人の心を読み取るのはド下手くそ。念願叶ってアデルと婚約できたってのに、お前、満足な“お付き合い”ってのをしてなかったんじゃねぇか?」
「う……、はい……」
すべてを見抜かれていたと気づいたユーリスは、ジョッキを地面に置きながらため息を吐き出した。
日が暮れて来たからか、冷たい風が吹き始めている。ユーリスの銀の髪がさらさらと耳の横で揺れた。
「自分の行いの結果、俺はアデルの『特別』ではなく、“推しの一人”として見られています。俺はずっと彼女に認められたくて、振り向いてもらいたくて足掻いているのですが……でも……」
「でも?」
「それが、彼女にとって良いことなのかどうか……分からなくなってきました」
視線の先には、調理場で楽しそうに肉を焼くアデルの姿があった。
髪をまとめている金木犀の髪飾りが、輝き始めた満月に照らされ、小さく光る。
ユーリスが心のどこか片隅で、「俺だけのものになってほしい」という独占欲を込めた贈り物だった。
「アデルは推し活を心から楽しんでいる。俺が侯爵夫人として迎えることは、彼女の幸福を奪うことに他ならないのではないかと……。シュトラウル侯爵家が、彼女を捕らえる“檻”になってしまったら――」
「ふぅん……“檻”、ね」
苦しげに眉をひそめるユーリスの横顔を眺め、エドガーは目を細くした。
「そりゃ心苦しいだろうな。お前があの家を避けてんだから」
エドガーの肉食獣を思わせる瞳がユーリスを捕らえる。
ユーリスは「そうですね」と呟くように答えながら、賑やかな大森林の真上に広がる夜空を見上げたのだった。
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