第5話:ミートパイの衝撃②
【続ユーリス】
「そのパイは?」
ユーリスはツカツカとテーブルに近づくと、怪訝そうに眉をひそめて尋ねた。
副団長の圧に震え上がった部下たちは、パイを貪る手を止め、慌てて敬礼の姿勢を取り、畏まった口調で説明を始めた。
部下によると、ミートパイは間違いなく、ユーリスの婚約者であるアデルからの差し入れだった。
ただ、いつもは「ユーリス様にお渡しください」と控えめに差し出されるのだが、今日に限っては「皆様でお召し上がりください!」と、アデルは満面の笑みで大皿のパイを置いていったのだという。
「ふむ。以前のパイは、たしか薔薇模様だったな。今回はどうだった?」
「月桂樹ですよ」
バルドゥルが長い指で顎を擦りながら部下に尋ねると、代わりに素早く口を開いた男がいた。
丸眼鏡の奥の瞳を光らせ、談話室のソファから立ち上がったのは、くるくるとよく跳ねる癖毛が特徴的な優男。騎士団の医者、サミュだ。
「一段と大きくて立派なパイで、模様も美しかったです。まァ、今までのよかったですけど。薔薇以外にもチューリップ、ガーベラのデザインもあったかな?」
「模様? デザイン?」
バルドゥルとサミュが何を言っているのか分からない。
首を傾げるユーリスを見て、サミュは「えぇ……そこなの?」と細い眉根を寄せた。
サミュはユーリスとバルドゥルとは、騎士学校からの付き合いなので、砕けた間柄ではある。しかし、今日サミュからユーリスに向けられる視線は、いつにも増してとげとげしい。
「ユーリスは見た目そっちのけでガツガツ食べるから。それでも侯爵家の嫡男なの? もっと優雅に食事を楽しみなよ」
「仕方ないだろ。アデルのパイが美味すぎるから、すぐに手が出てしまう」
ユーリスは反論めいた口ぶりをするが、頭の中にはパイの皿を抱えたアデルの姿が浮かんでいた。
柔らかそうなピンクブロンドの髪、若葉色の輝く瞳、きめ細やかな白い肌、控えめな微笑みが天使のように可愛い婚約者だ。
おかげで、パイの見た目の記憶がぼんやりと霞んでいて、表面の模様など欠片も思い出すことができない。
(ダメだ……思い出せん……!)
「願いを込めて、パイの表面に模様を施す技術がある。年始に食べるガレット・デ・ロワが有名だな。お前の婚約者が焼いてくれていたパイに模されて花……その花言葉を知っているか?」
「え」
「『愛』だ。愛にまつわるものばかりなんだ」
バルドゥルが見解にユーリスは目を大きく見開いた。
これまで戦術や政ばかりを学んできたユーリスは、花言葉なんて知ろうとしたこともなかった。
(まさか、アデルが俺に愛を伝えようとしてくれていたなんて――)
「だが、月桂樹は違う。あれには『勝利』の意味が込められている」
「あれェ。騎士にとっては悪くない意味ですけど、婚約者路線から変わりました? 愛はどこにいったんですかね?」
喜んだのも束の間。
バルドゥルとサミュの視線が、抉るようにユーリスに突き刺さる。
「えっ。いや、俺は何も……」
(なぜだ……? これまではずっと、アデルは毎日のように俺に料理を作ってくれて……。いや待て。そういえば、最近差し入れがなかった気がする……。あれ……え……え……?)
答えながら、ユーリスは喉が詰まる感覚を覚えていた。
アデルの考えていたことも、考えていることも分からない。料理に込められていたメッセージなど、もってのほかだ。
「ユーリス……何もしてないって言うのは、ガチで何もしてないんじゃないだろうね?」
「えっ」
「お返しはしたことある? 僕たちにも少し分けてくれたけど、彼女の料理はいつも絶品だ」
「えっ」
「まさか、何もしてこなかったの⁉」
サミュに問い詰められ、ユーリスは青ざめた。
「………………お礼……しようとしたけど、何を贈るか迷っている間に……時間が経って……」
ユーリスの数十秒の沈黙とぼそぼそとした答えが、婚約者の不遇を浮き彫りにした。
談話室で話を続けるのはまずいと判断したバルドゥルが、ユーリスとサミュを自身の自信の団長室へと連れて行ったが、そこでさらに会話はヒートアップした。
サミュはユーリスを指でぶすぶすぶすと何度も刺しながら、責め立てた。
「献身的な婚約者にお礼の一つもしてこなかったの? 何を贈るか迷ってたって……待って! 君、婚約してから何年だっけ?」
「3年……」
「馬鹿じゃないの⁉ 何のためにお給料もらってるワケ? っていうか、もともと侯爵家のお坊ちゃんなんだから、迷ったって何でも買えるだろ?」
「気に入りそうなものを贈りたくて……」
「いや、でもね、3年放置はない。恩知らずすぎ。平民でも恋人からのプレゼントにお礼するって。デートの時なんかに渡したらいいんだから。……一応聞くけど、前、デートしたのっていつ?」
「半年くらい前……」
ユーリスが指攻撃を甘んじて受けながら答えると、サミュは「うわぁ……」と残念な生き物を見たかのような悲鳴を上げた。
「お、俺たち騎士には、民を守る義務がある! 婚約者との時間が減るのも仕方ないことで――」
「仕方なくないでしょ。騎士団には恋人がいる者も少なくない。僕だって婚約者がいるけど、ちゃんと二人の時間は作ってる」
「なに⁉」
「私にはまだ運命の相手はいないが、皆が伴侶を大切にする努力をしているのは知っているぞ!」
恋愛に疎いと思い込んでいたバルドゥルからの、トドメの一言。
反論を打ち砕かれたユーリスの脳は、ぐわんぐわんと揺れていた。今にも顔から床に倒れてしまいそうだった。
(知らなかった。皆、がむしゃらに騎士団の業務に打ち込んでいるものとばかり……)
「俺は……アデルに愛想を尽かされてしまったのか?」
「さァ? でも当てつけのように月桂樹のパイを差し入れるくらいだから、相当怒っているのかも」
「うぅッ」
揺れる脳にアデルの「さようなら、ユーリス様。もうパイに愛は込めません」、という妄想台詞がエコーし、ユーリスはその場に膝から崩れ落ちた。
妄想の中のアデルは眉をキッと吊り上げて、ぷんぷんと頬を膨らませている。
ダメだ、怒った顔すら可愛く浮かんできてしまう……と、ユーリスはいっそう頭を抱えた。
ユーリス・シュトラウルという男は、心底アデルに惚れている。
しかし、恋愛経験知と愛情表現力が、呆れるほどに欠落していた。
「闇に足を取られるな、我が友よ! 神速でアデル嬢を追うのだ!」
力強くユーリスの腕を掴み、グイと引っ張り立たせたのはバルドゥルだった。
彼の言葉には、熱い血の通うような力がある。つらい時や悲しい時、これまで何度励まされてきたことか――。
(やはり俺が見込んだお方には、王の器がある……ッ)
カリスマの塊のような幼馴染の鼓舞を受け、ユーリスは駐屯所を飛び出した。
背中から、「平謝りだぞー!」と言うサミュの声も追いかけて来て、ユーリスの駆ける速度はさらに増した。
(どうか赦してくれ、アデル……ッ!)




