第49話: 狩り、終了
◆◆◆【アデル】
(私はどうしたいんだろう……)
野営地のキッチンには、石や木片で形を整えた調理台やかまどがある。騎士たちが訓練に出る前にこしらえていってくれたもので、使い心地は意外と良い。
アデルはかまどの前にしゃがみこみ、木の棒にくるくると生地を巻きつけて焼くパン(名付けて棒パン)の焼き具合を眺めていた。
二次発酵なし。炭火でじっくりと焼き上げるという、アウトドア向きのレシピだ。
以前、王都のタウンハウスの庭でやろうとして、ご近所さんから煙臭いとクレームが来て断念したので、リベンジできて嬉しい限りだ。
少し湿った空気にパチパチと火花が弾ける音を聴きながら、自分の将来について助言してくれた人々の言葉が蘇る。
結婚は家どうしのものだと言ったサミュ。
大切にしてくれる人と一緒になるべきだと言ったルカ。
自由に個人の人生を楽しめばいいと言ったコレット。
(ユーリス様は……)
彼は「君は俺の婚約者だ」と口にすることがある。それこそ、互いに言い聞かせるように。
アデルは試しに想像してみる。
ユーリスと結婚して、侯爵夫人になったらどうだろう。
もう王国騎士でなくなった彼は、バルドゥルと並び立つことはない。推しグループを卒業した推しの新たなるステージの関係者として、アデルはがっつりと関わることになる。
(領地経営とか社交とか……、お……お世継ぎ、とか)
「むむむぅぅ……!」
パンを焼く炭火よりも熱い火が顔から噴き出しそうで、アデルは両手のひらで赤くなった頬を挟み込む。
(推しと一線を越えるなんて、ファン失格じゃない?! そんなの特別に愛されてる人しか許されないんじゃない?)
では、エドガーは――。
ひとり、心臓をばくばくさせるアデルの鼻腔を小麦粉の香ばしい香りがくすぐった。きつね色の焼き目が付いてきたので、そろそろパンも完成だ。
ぐぅと、お腹が切ない音を立てて鳴った。
「はぁ~、思考停止……」
腹が減ってはなんとやら。アデルは自分の感情を誤魔化すかのようにして、かまどに突き立てていた棒パンをひとつ手に取った。味見は作り手の特権だ。
棒からアツアツのパンをすぽっと抜き取り、「あちち」と熱がりながら、右手と左手のひらでキャッチボールをするようにしてパンを冷ます。ふかふかな焼き上がりだ。
「わーい! いただきまぁ――」
「よぉ!」
「ひっ!」
アデルは慌ててパンにかぶりつこうとしていた口を閉じた。エドガー率いる士官学生たちが戻って来たのだ。
(危なかった。大口開けてるとこ、エドガー様に見られたら恥ずかしい……っ)
アデルは手にあるパンを「パス!」と執事のティルに押し付けると、残りの棒パンを急いでかまどから引き上げた。
駆け寄って出迎えたエドガー隊は、縄で足を括った鹿を十数頭ほど引きずっており、見るからに大収穫だ。
「すごいでしょう? ほとんどエドガー教官が仕留められたのですよ!」
「お前、ソレ、自分たちが不甲斐ないアピールになっちまうぞ?」
(う、うわぁぁぁ……!!)
エドガーが太い眉を軽く持ち上げながら、ルカを小突く。
その何気ない様子に、アデルの目は焼かれた。
ほっそりとしているルカと並ぶと、エドガーの屈強な肉体美が際立って仕方がない。なんて立派な上腕二頭筋なのだろう。鎧越しにも胸板の厚さが分かるし、がっしりとした体格は包容力の塊だ。男の勲章と言わんばかりの古傷もかっこよく、武骨で大振りな鋼の弓を軽々と担ぐ姿も非常に絵になっている。学生たちに向ける父親のような笑顔も眩しい。
「どした、アデル。ほら、鹿だぞ~」
「くわぁぁぁっ!!!!」
名前を呼ばれるのは再会して二度目だが、未だ認知してもらえている喜びは薄れない。仰け反り、よろよろとよろけたアデルは手のひらで両目を覆い、彼が放つ神々しい光を防御した。
「眩しくて、鹿が見えないです!」
「何言ってんだ?」
「だってエドガー様は本来、地上に降臨するようなお方じゃないですもの!」
「いや、ずっと地上暮らしだが?」
エドガーは「面白れぇ」と腹を抱えて笑った。ルカや他の士官学生たちも楽しげに肩を震わせ、野営地は愉快な空気に包まれる。
旗色が悪いな、と眉をひそめていたのはサミュだ。調理の手伝いをいったん終え、使えそうな薬草を見繕っていたのだが、アデルとエドガーのやり取りに密かに目を配っていた。
鹿は大量。アデルはエドガーに(ちょっと変だが)浮ついた反応を取り、エドガーも満更でもない様子。
「早く戻ってこい……ッ」
サミュが焦燥感の滲む声で小さく呟いていると。
「アデル‼」
野営地にバタバタと忙しい軍靴の音が複数響き、汗だくの王国騎士たちが駆け込んできた。先頭を走るユーリスとレオは2人で太い木の棒を担いでおり、琥珀色の“荷”を縄で括りつけて運んでいた。
「皆さん。おかえりなさい!」
「おせぇぞ、刻限ギリギリじゃねぇか」
アデルとエドガーに迎えられ、ユーリスは肩で大きく呼吸しながら、「でも……間に合い、ました……ッ」と額に張り付く銀髪を掻き上げる。そして、担いできた“荷”を地面にそっと下ろした。
「獲ってきたぞ!」
「まぁ!」
アデルは目を丸くしてそれに駆け寄ろうとしたが、少し離れたところで足を止めたのは、“荷”――鹿が生きていたからだ。
琥珀色の毛皮に白い斑点模様のある鹿は、縄で四肢を拘束され、ジタバタともがいていた。見事な生け捕りである――が、ユーリス隊の成果はこの1頭と絶命しているものが数頭だけだった。
ルカが黙ってずらりと並ぶエドガー隊の鹿に視線を向け、にこりと笑う。エドガーも「オイオイ。まさかこのコレだけかぁ?」とつまらなさそうな声を漏らしたのだが。
「最高です!」
アデルの喜色に満ちた笑顔が、大森林に咲いた。
「ユーリス様。覚えていてくださったんですね!」
「何のことですか、姉上?」
アデルは生け捕りの鹿に夢中だった。
姉が顔をほころばせる理由が分からず、ルカが怪訝そうに尋ねる。代わりに答えたのはユーリスだった。
「なるべく鹿にストレスを与えずに捕獲し、速やかに血抜きをする……それが、肉の美味さの秘訣、なんだよな? だから、罠で捕獲した。粘ってもこの1頭しか捕えることができなかったが……」
「まさかお心に留めてくださっていたなんて。あぁ、どうしましょう! これは臭みのない上質なお肉になりますよ! 絶対に美味しい料理にしないと!」
声を上ずらせてはしゃぐアデルの姿に、ユーリスの疲れた頬が緩む。
「よかった。君の言葉を、もう二度と聞き逃さないと決めたから……。嬉しいものだな。自分のしたことで、大切な人が喜んでくれるというのは」
「……っ」
ドクンッと胸が鳴った。細められた金の双眼の眼差しが何故だかこそばゆく、アデルは一瞬言葉を失ったまま、ユーリスを見つめ返した。
(あれ。なんだろう、この感じ……)
直視できないエドガーと違い、ユーリスの顔はしっかりと視界に収めることができる。同じ“推し”なのに、同じじゃない――アデルは不思議そうにぱちぱちと瞬きを2回ほど繰り返しながらその意味を考えたが、すぐに答えはでなかった。
「ユーリス様の顔面偏差値は、絶対に平凡じゃないのに……。落ち着いて拝むことができるのはなぜ? ただの慣れ……?」
「な、なんだ?」
ぶつぶつと考察を呟くアデルの視線に炙られ、ユーリスは恥ずかしそうに頬を赤らめた。見たことのない彼の表情にアデルの胸がきゅんっと引き締まる。
「えぇっ? なんですか、その可愛い反応⁉ 解釈違いというより、寧ろ新解釈では?」
「えぇいッ! 誰が可愛いだ!」
アデルは、表情を読み取られまいとするかのように踵を返したユーリスの後ろ姿を見送った。部下や士官学生たちの前で「可愛い」と言われたことが、よほど恥ずかしかったのだろうか。耳まで真っ赤に染まっている。
(新発見だ……)
まだ、ドクドクと胸が鳴っていた。胸の高鳴りに付けるべき名は、慰安のアデルには分からない。
(まさか心臓の病気……? サミュさんに診察してもらおうかな)
かくして、鹿狩りの勝負の結果は――。




