第48話: 劣等感を射抜いて
【ユーリス】
ユーリスは弓を引き絞り、放つ、を繰り返した。
目の良さには自信があった。猛禽類のような金の瞳で獣の影を認めると、素早く矢を取り、弓を構える。その腕前は王国中でも屈指のものだ。
魔獣との戦いでも弓を用いる機会は多い。
団の要でありながら、バルドゥルは接近戦を好む。彼が道を切り拓くことで仲間の士気がぐんと上がることが常なので、ユーリスも最早何も言わなくなったが、我らが団長は前線に身を置きながら、部下たちを守り、戦うのだ。
となると、ユーリスの役割は自ずとその支援となる。剣を片手にバルドゥルの背を預かることもあるが、しばしば中後衛から全体を指揮する機会が多くなる。
そんな時は弓矢の出番であり、ユーリスは洗練された射撃で魔獣を射抜くのだ。
「副団長……ッ」
湿った大地の匂いと金属の匂いが鼻をつく中、レオに声をかけられて矢が切れてしまったことに気が付く。矢の残数に意識が回らないほど気が散っていたことを自覚させられ、ユーリスは苦い顔でレオから予備の矢束を受け取った。
レオは何か言いたそうに唇を開き、堪えるように噛み締め直す。分かりやすい男である。
「すまない」
口にした謝罪は、矢の礼か。それとも不甲斐ない上官であることか。
ユーリスはエドガーの売り言葉を買う形で啖呵を切り、鹿狩りに臨もうとした。だが、去り際の叔父の言葉に揺すぶられ、手元が狂い続けていた。
「じゃ、オレたちが勝ったら、アデルを士官学校の料理人にスカウトしよう。彼女の飯がいつでも食えるなら、口説きやすくもなるよな?」
飄々とした口調でそう言ってのけたエドガーに、ユーリスが抱いた対抗心は計り知れない。
部下たちも「絶対勝ちましょう!」「アデルさんは俺たちの料理人です!」などと闘争心を露わにした。
王国騎士団を胃袋から元気にしてくれるアデルは彼らにとって手放し難い存在であり、彼女の笑顔は癒しそのものだった。
(負けるか!)
ユーリスは皆の想いと自らの想いを矢じりに乗せ、弦を離す。
だが、中たらない。白銀の矢は鹿の体からわずかに逸れ、短い草の生えた地面に突き刺さる。何本も。何本も。
「くそっ」
無意識に眉間に深い皺が寄る。
鹿は魔獣などよりよほど狩りやすいはずだ。速度も強度も知れている。
それなのに。
隠しきれない焦燥感を感じ取る部下たちは、期待と不安のないまぜになった視線をユーリスに刺す。
(勝たなければ……。そうしなければ、失ってしまう……)
アデルがエドガーに頭を撫でられていた姿を思い出してしまい、ユーリスの心臓は嫉妬でバクバクと脈打った。
(アデルは名前を呼ばれ、嬉しそうにしていた。アデルにとって叔父上は憧れの王国騎士のそのもので、その出会いは何年経っても色褪せることがない)
カサリと、前方の茂みが動く。
ユーリスは矢をつがえる。
騎士見習いだったユーリスは、クレッセント領の屋敷で幼いアデルに出会った。彼女の花が咲いたような笑顔に心を奪われたあの日のことを、ユーリスは一日たりとも忘れたことはない。
けれど。
(俺が名を呼んでもアデルは喜ばない。俺との出会いをアデルは覚えていない)
一方的な想いを募らせて騎士を目指し、折り合いの悪い両親に頭を下げて望む相手への求婚の許しをもらい、アデルとの婚約に漕ぎ着けた。
だが、アデルの心にユーリスの居場所はない。
よく理解していたつもりだった。
彼女の思い出を温め、夢に足を進ませているのはエドガーだ。人生を変えさせ、夢を抱かせ、心を支えてきた存在に、ユーリスが勝てるものはあるのだろうか――。
放った矢は思う場所に飛ばず、太い木の幹に刺さった。
「……、……ッ」
息苦しさを覚えたユーリスは、呼吸をしばらく忘れていたことに気が付いた。息が止まっていても、手先の震えは止まらない。エドガーから教え込まれた弓は、もっと正確で力強かったはずだ。
(越えられない、のか……? 教えられてばかりだった俺は。自分とは次元が違う存在だと諦めてきた俺は)
「アデル……」
エドガーに誘われたら、アデルはそのままついて行ってしまうかもしれない。彼の存在はきっと限りなく大きい。その感情に名前を付けるとしたら、自分がアデルに抱いているものと同じになるに違いないと、ユーリスは思う。
エドガーは爵位を持たないが、自らの手で築き得たもの――王家や人々からの信頼、相応の立場、数々の偉業がある。
ただ一人の少女に振り向いてもらいたいと願って王国騎士を目指し、2番手の席に座すだけで何も成し遂げていない自分とは違うのだと――。
(俺は、『アデルのことが好きだから』……それだけの想いで王国騎士になった。『剣で平和を創る』と言い切れる、騎士の鑑のような叔父上と比べることも憚られるほど、俺には小さな器しかない)
長年胸の奥底で抱え込んでいた劣等感が、じくじくとした痛みを帯びる。
ユーリスは騎士団長であったエドガーではなく、バルドゥルを絶対的存在として仰いできた。もちろん、バルドゥルの秘める大きな可能性と真摯な人間性に惹かれたことはたしかだ。だが、そこにエドガーから遠ざかりたい気持ちがわずかでも混じっていなかったと言えば嘘になる。
(俺はずっと、アデルの心に居座る叔父上に嫉妬していた)
実家に居場所がなかったユーリスを受け入れてくれた優しい叔父。
彼にぶつけていいのは感謝の気持ちだけで、どうしようもなく湿っぽいコンプレックスなどではないはずだ。
(分かっている、そんなことは……!)
フーッフーッと浅く息を吐き出しながら、森林の緑の濃い茂みへと矢を放った。矢はヒュンッと風を切り、琥珀色の毛を掠めながら地面に突き立つ。
「矢、回収してきます!」
ひりつく空気を読み取ったレオが、今回はわざと明るく大きな声を出しながら、矢を拾いに走った。
部下たちの矢も含め、残りの本数は心もとない。使える物は繰り返し使うのは、戦場での心得の一つでもあるが、それをしてもエドガー隊の鹿の数には及ばないだろう。
(このままで負ける。バルドゥル様にも申し訳が立たない。いや、敗北を飲み込むだけならまだいい。もしアデルが叔父上を選んでしまったら……)
自分が騎士である意味はなくなってしまうだろうと、ユーリスは弓を左手で握りながら立ち尽くした。
暗い思考が呼び水となり、さらなる悪夢を想像させている。
レオの時と同じだ。それが分かっていてもどうにもできないのは、ユーリスがアデルの「特別」ではないからだ。すべては彼女を大切にできなかった己の落ち度で、自業自得の結果がここに横たわっている。
(アデルを泣かせた俺が、彼女を笑顔にしたいと願うことは罪なのだろうか……)
「副団長ぉッ!」
レオがユーリスを呼んだ。
不出来な“ユーリス・シュトラウル”を押し込め、ユーリスは精悍な“副団長”の鎧を纏い直す。
「どうした?」
短く問うと、レオは地面に倒れる小さな獣を指差した。それは真っ白な毛並みをした兎だった。
「矢に驚いて気絶したみたいで。どうします?」
地面に縫い付けられたかのような兎には、傷ひとつない。美しい毛並みの兎は、小さな寝息を立てて眠っていた。
「そっとしておいてやれ。俺たちの獲物は鹿だ」
「ちぇ。せっかく生け捕りにできると思ったのに」
不満そうに唇を尖らせるレオの言葉に、ユーリスの銀色の眉がぴくりと動く。
ふっと脳裏に浮かんだのは、鹿狩りに行くと告げた時のアデルの姿だ。鹿について散々語ってくれた彼女は、心の底から鹿を楽しみにしている様子だった。
(アデルをがっかりさせたくない。彼女を喜ばせたい……。単純な気持ちが、いつも俺を突き動かしている)
アデルのピンクブロンドには、金木犀の髪飾りがついていた。王国騎士団箱推しグッズだとしても、こんな辺鄙な森林にまで付けて来てくれているのだ。ならば、彼女の応援を糧にして勝たねばなるまい。
暗くなっていたユーリスの瞳に黄金の星が宿った。
「作戦を変更する。アデルを笑顔にするのは、王国騎士団だ」




