第47話:鹿狩り
◆◆◆【ユーリス】
「叔父上……。どういうおつもりですか」
「ん? どうって?」
戦闘訓練が鹿狩り勝負に替わってしまったため、ユーリス隊とエドガー隊は天幕に戻り、装備を整え直している。
ユーリスはエドガーの天幕を訪れ、鋼の弓を手入れする彼の背中に話し掛けていた。
「急に予定を変えるなってか? 大丈夫だって。合同訓練は2日ある。まずは肩慣らしといこうぜ……って、お前が言いたいことは別か」
「…………はい」
「ハイハイ、素直でよろしい。じゃあ、聞くが――」
振り返り、片眉を上げるエドガーは陽気な口調を崩さない。弓を柱に立てかけ、硬い表情で突っ立っているユーリスに近づくと、その背中をバシバシと笑いながら叩く。
「――小さな女の子がオレの言葉で人生決めて、立派に成長してるって分かったら……お前ならどうよ?」
エドガーがユーリスの肩に手を回し、耳元で低い声を出す。それは幼いユーリスを懇々と諭す時に使っていた声音だった。
甥として、あるいは騎士見習いとしてのユーリスは、それを聴かされるたびに自分の無力や未熟さを理解させられてきた。
(叔父のおかげで、今の俺がある。だが……)
「アデルは譲りません! 彼女は俺の婚約者です!」
「おうおう。じゃあ、大物狩って、いいとこ見せねぇとな。副団長殿」
意味深に笑むエドガー。彼の鍛え上げられた太い腕を力いっぱい振り払い、ユーリスは同じ金色の瞳で彼を睨み据える。
もうこの天幕に用はない。エドガーの「んじゃ、また後でな~」という間延びした声に見送られるが、その見えない腹の内が恐ろしかった。
***
ヒュンッと放たれた銀の矢尻が、琥珀色の毛をした鹿の首を射抜いた。
「ナイスです!!!!!! 副団長!!!!!!」
「声が大きいぞ、レオ・マクレイ……!」
他の鹿が逃げたじゃないかと、ユーリスは無駄に元気いっぱいの部下を叱咤した。「申し訳ございません!」という声すらやや大きい。
せっかく鹿の群れを見つけたというのに、成果はたったの一頭。エドガー隊との勝負に勝つには、まだまだ狩らなければ安心できない。
(負けるわけにはいかない……)
ナギツ大森林の鬱蒼とした空気が肺に滑り込んでくる。
ユーリスは部下たちに茂みに身を潜めて周囲を観察するよう指示を出している。群れを見つけたら弓で射撃するのだが、手分けはしない。味方への誤射を避けるためだ。
狩りは貴族男子の嗜みとも言われているので、ユーリスやレオは多少の経験がある。おそらく、士官学生たちもそうだろう。
だが、平民も擁する黒鷲隊では、農業は得意でも狩りはしたことがないという者も多い。狩りに必須の弓も、後衛部隊でなければ触れることはほとんどないのだ。
「実戦経験に奢らず、手堅くいこう。学生相手でも指揮官は叔父上……いや、エドガー殿だからな」
「エドガー殿の功績は皆が知るところですが、……その……そこまで……なのでしょうか? いえっ。乏しめるという意味ではなく、我らにはバルドゥル団長やユーリス副団長という絶対的存在がいらっしゃるので……」
隊の新人騎士がおずおずと発言した。
新人対抗試合以降、騎士たちの多くがユーリスへの態度を改めていた。少なくとも婚約者を蔑ろにする「人でなし」から、婚約者とやり直そうとしている「頑張っている人」くらいには昇格しているのか、皆の視線が優しいのだ。
この新人騎士がユーリスの強さを素直に口にするのも、そういった変化からきているようにユーリスには思えた。
けれど、過去にあった結果は変わらない。
「エドガー殿が王国騎士団に在籍していた頃、バルドゥル様だけは、何度か打ち勝っておられた。騎士団長の座を懸けた試合には、それはもう圧倒されたものだ。3日間にも及ぶ激戦だった」
言葉の裏には、「俺は一度も勝てたことがない」という意味が潜んでいる。
数年前のバルドゥルとエドガーの緊迫感溢れる戦いを、ユーリスは訓練場の隅から見つめていた。
気の遠くなるような剣の打ち合い。じりじりと間合いを詰める睨み合い。地面を抉るような激しい立ち回りと、決定的な必殺の一撃――。
肌を貫くような空気が息苦しく、閃く剣が眩しかった。
進退を懸けた斬り合いに混ざることができない自分と彼らの違いが色濃く感じられたあの時間を思い出すと、今でも口の中が苦い味になる。
「だからといって、俺が何もしてこなかったわけじゃない。……10時の方角だ。射るぞ」
素早く矢筒から矢を引き抜くと、ユーリスは白銀の弓の弦をキリキリと引き絞った。しなる弓の先には、鹿の群れの姿が見える。ユーリスは味方が急ぎ弓を構える音を耳で捉えながら、勢いよく矢を射った。
「さすがです!! 副団長!!」
ドサリと倒れた鹿を目で捉え、レオが懲りずに大きな歓声を上げた。
そのせいで小鹿が逃げてしまった。やはりこいつを小隊長にするのは時期尚早だったんじゃないかと思わずにはいられず、ユーリスは「レオ~~~ッ」と青筋を浮かび上がらせながら、彼のこめかみを両拳でぐりぐりと仕置きした。
「ひえぇッ! すみません! 痛いです!」
「だから声がでかい!」
ユーリスがレオと暴力的な戯れをしていると、不意に目の前を鋼色の何かが通過した。あまりの勢いに鼻先が抉れるかと錯覚するほどの高速だった。
それが鋼の矢であったとユーリスが理解できたのは、茂みの奥へと消えていた小鹿があっけなく倒れた姿を目にしたからだ。
「っしゃあ! 子どもの鹿は柔らかくてうめぇんだよな」
「エドガー教官、素晴らしいです! もう僕たち鹿を持ちきれませんよ」
「そりゃ困ったな。お前たちの訓練だってのに」
左後方の茂みをガサガサと歩いて現れた士官学生の部隊。アデルの弟を含め、学生たちが縄で縛った鹿を引きずって歩いている。ざっと見たところ、10頭近い数だ。
鋼の弓を片手に部隊を率いるエドガーは、まだ数等しか狩れていないユーリスたちを見下ろし、「ふッ」と乾いた笑みを漏らした。
「鹿パーティの準備はオレたちに任せな。アデルが喜ぶ顔が目に浮かぶぜ」
「叔父上……。宴の末席に座すお覚悟を」
あからさまに煽られ、ユーリスだけでなく仲間の騎士たちの目にも闘志が揺らめいた。




