第43話:「美味しい」を君に
【アデル】
「面白いものってなんなんですかーっ!?」
「今しか見れないんで! 急いで!」
どこに連れていかれるのか分からないアデルはあわあわと慌てたが、レオはとひたすら急かしてきた。移動の速い彼にぐいぐいと手を引かれ、アデルは足をもつらせながら、宴会場を駆け抜けた。
会場の屋外訓練場は以前の新人歓迎と同じく、淡いランタンと眩い月明かりに照らされている。
しかし、幻想的というにはほど遠い。騎士たちの宴は愉快で自由。夜空の下で語り合い、歌い、肩を組む彼らは、騒がしく酒と料理を楽しんでいた。
香草パンややぎ乳チーズの盛り合わせ、鶏の丸焼き、串焼き肉、果物いっぱいのタルト、ワインやエール……。まとまりのない料理と酒を最高の褒美として享受する騎士たちの笑顔が、アデルの瞳に星を宿す。
「あそこですよ」
レオはひとけのない訓練場の裏で足を止めた。
茂みに隠れるようにとアデルに告げると、彼は少し離れた木の陰に潜む2人の男性――ユーリスとバルドゥルを指さした。
彼らは小声で何やらひそひそと話をしており、明らかに人目を避けようとしている様子だった。
「お二人の密談が、“面白いもの”ですか? たしかに好きなコンビですけど……覗き見してもいいのですか?」
「今夜だけは。必聴必見ですよ」
「…………」
レオに促され、アデルは戸惑いながら目を凝らし、聞き耳を立てる。
(ユーリス様がバルドゥル団長に賛辞を贈っているとか? それとも熱い宣誓とか?)
ユーリスが彼の推しのバルドゥルと共にある。実に解釈通りだ。
けれどその姿はアデルを安心させる一方で、懐かしい苦みを思い出させていた。
忘れたつもりになっていた孤独の香り、満たされることのない心の飢え。推し活で埋めたはずの穴から、亡きものにしていた感情が漏れ出していた。
おかしい。彼は彼の推しを見つめていて当然なのに。
こちらに視線を寄越してほしいと思ってしまう、私は何様なのだろう。
(きっと最近、ユーリス様との距離が近くなっていたからだ。全部、今さらなのに……)
「あ……アデル。今日の料理も、すごくうまかった……ッ」
(え……?)
不意に自分の名が聞こえ、アデルはぱちぱちと目を瞬かせた。
「えぇと…………ごろごろとした肉入りのスープが特にうまくて……」
「ラム肉のシチューだ。どう美味しかったのかも、具体的に言うといい」
「肉が柔らかくて美味しくて……野菜も柔らかくて美味しい……ッ」
「うーむ、もっと香りや風味の良さを伝えてみたらどうだ? アデル嬢のことだ。きっと工夫を凝らしてくれているはずだぞ」
(ん? ん? んんん?)
たどたどしい口調で料理の感謝と感想を述べるユーリスを、バルドゥルが指導している――ように見える。
恥ずかしそうに顔を赤らめながら、あぁでもない、こうでもないと頭を捻るユーリスは、いつもクールな副団長像とはかけ離れている。不器用さと必死さの滲む彼の姿がアデルの胸をざわつかせた。
「どうしてあんなことを?」
「どうしてでしょうね……どうしてだと思います?」
茂みの裏で大きな体を屈めるレオは、いたずらっぽく目を細めた。
アデルは答えることができず、ただ静かにユーリスのぎこちない料理の感想に耳を傾けた。
呆れるほど偏った語彙だ。「美味しい」「うまい」を何度も繰り返し使ってしまい、その都度バルドゥルからお叱りを受けている。
(バルドゥル団長に言われて、仕方なくやっているのかも。だって、ずっと私の料理に関心を示さなかったユーリス様だもの)
せっせと作った差し入れにも。添えていた手紙にも。
彼はたったの一度も応えてくれたことがなかった。
(だからきっと、今だって……)
「アデル……ッ! いつも、本当にありがとう……! ずっとそう思っていて……でも、言えなくて……。本当は、君の料理が大好きなんだ!」
(あ……あれ……?)
この感情はなんだろう。
真っ赤になりながら言葉を絞り出しているユーリスの姿が、アデルの思考を一瞬焼いた。
彼の言葉は、かつての自分が求めていたものだったからだろうか。
だからそれが作り物であったとしても、脳が勝手に喜んでしまうのだろうか。この胸に宿った熱もそうだ。消えたと思い込んでいた自分の願望が、意思を無視して温度を上げているとしか思えない。
(そんなわけがないのに……でも、胸がぽかぽかする……。どうしよう……私……すごく嬉しい……)
「これがオレから副団長への“非礼のお詫び”です。多めに塩、送ったと思うんですが」
「え? お塩をくださるんですか⁉」
「すみません。リアル塩はちょっと携帯してないですね~」
我に返ったアデルにレオは苦笑いを向けると、「お二人の訓練も終わりそうですし、そろそろ戻りましょう」と言って、小さくウィンクをした。
「アデルさんは、後で副団長に呼び出されるかもしれませんね」
厨房に戻る帰り道。レオにそう言われたアデルの胸が、トクンと跳ねた。
――しかし。
ユーリスはその夜、アデルの前に姿を現すことはなかった。
「アデルさんと仲睦まじく、そして厚く、熱く我らをお支えくださった副団長に、心からの謝罪と感謝を!」
「ユーリス副団長に7度目の乾杯!」
「かんぱいぇぇぇいッ!!」
ユーリスは対抗試合を機に懐いてくれた新人騎士たちに、四方をぎゅむっと囲まれていた。盃が渇く暇がないほどせっせと酒を注がれ、ユーリスは「もういい! もういいから!」と悲鳴を上げながら、ジョッキに手で蓋をしようとあたふたしている。
「俺をアデルのもとに行かせてくれぇッ!」
ユーリスの叫びは8度目の乾杯にかき消された。
上官のプライドを保つために飲み干した大量の酒のせいで、彼が翌日二日酔いになったのはお察しの通りである。




