第40話:シュワシュワレモネードは初恋の味②
【レオ】
「今のレオさんでは、試合を勝ち上がることが難しいと思います」
「なんで……」
アデルは目を丸くするレオの顔を見つめ、そして視線を足下に落とした。
「食堂に入って来た時、動きに違和感がありました。引きずっている右足を……というよりかは、左足の痛みを庇っている感じでしょうか。両上肢もハリが続いているのでは? 剣が重いと感じませんか?」
「え……」
どうしてそれを。
ふんわりと優しい印象のアデルに事実を言い当てられ、思わず顔が引き攣ってしまう。誰にも悟られないように、それどころか自分でも気づかないフリをしようとしていた体の異常――ずくんっと、四肢の痛みが急に生々しくせり上がってきた。
レオが言葉を詰まらせていると、アデルはやっぱりと言いたげに眉を傾けた。
「当たりですね? きっと対抗試合のために、無茶なトレーニングを繰り返していたのでしょう?」
「……だって、絶対に勝ちたくて……」
レオはアデルの真っ直ぐな視線が絶えられず、ふいと目を逸らした。
「貴族とはいえ、三男坊のオレには『価値』が何ひとつなくて。だから、王国騎士としての実績で、自分はここにいるって……証明、したかったんです」
家督を継ぐのは長兄。それを支えるのは次兄。分け与えられる領地も末弟のレオには残っておらず、生きるには家を出て騎士になるしかなかった。レオにとって騎士は最後の選択であり、成り上がりの手段だった。
「でも、レオさんは優秀な騎士様じゃないですか。優勝にこだわらなくても、みんな、ちゃんとあなたのことを認めていますよ」
「だからこそ……です。急に自分が思ってもみなかったくらいの成果が出て、たくさんの人から期待されて……。そんなの今までなかったから、どうしたらいいのか分からないじゃないですか。何か一つでも失敗したら、がっかりされて、もう二度と振り向いてもらえないかもって……」
先輩騎士からは、新人の中で一番の有望株だと褒めてもらった。
同期たちからは、お前が勝たなきゃ、誰が勝つんだよと期待された。
憧れの団長からも目をかけてもらい、トーナメントでシード席をもらった。
意中の人にかっこいいところを見せたかった。
「だから、対抗試合で優勝するしかないと……。そう思うと、剣を振っていない時間が怖くなってしまったんです」
「そうだったんですね……。話してくださってありがとうございます」
声を震わせるレオに、アデルの柔らかな眼差しが注がれる。
誰に頼まれたわけでもないのに勝手に背負い込んでいた重圧。それをそっと地面に下ろさせるような優しい空気が、レオの呼吸を少し楽にさせた。
アデルはそれを察したのか、小さく口の端を持ち上げた。
「前に進んでいないことが恐ろしく感じるかもしれません。ですが、強くなるには思い切って休む勇気も必要ですよ――と、ユーリス様もおっしゃりたかったはずです!」
「副団長が?」
「ええ。ユーリス様ってば、本当に困ったお方です。説明を私に任せて行ってしまうんですもの……。あの方はバルドゥル団長を最優先にされていますが、お仲間の騎士様たちのこともとびきり大切に思われています。レオさんのオーバートレーニングなんて、お見通しなんですよ」
レモネードの氷がカラン、と二度目の音を立てた。
「勝ちたいときほど、焦ってはいけません。ちゃんと疲れを癒やしてから、丁寧に勝てる体を作りましょう!」
「……はい」
レオが絞り出した返事は、今にも消え入りそうだった。突きつけられた己のちっぽけさが恥ずかしくて、情けなくてたまらなかった。
(オレは副団長からアデルさんを奪おうとしたのに……。何が、対等じゃないのが悔しい、だ。対等であるわけがない。あの人はオレよりももっと、ずっと高い場所から、広くもの見ていたんだ。オレの私情にまみれた狭い視野なんかじゃ、同じ人を見つめることなんてできやしない……)
レモネードのグラスを差し出された時、アデルの白くて細い指が自分の武骨な指にかすかに触れた。
彼女へのときめきは褪せない。
アデルはレオにとって間違いなく、初めて恋した女性だ。
逃げ出しそうになっていた弱い自分を励まし、再び立たせてくれた人。美味しいご飯と優しい笑顔で、心を癒やしてくれた人。
このレモネードのよいに甘酸っぱい気持ちは、レオの日々を生きる原動力となっている。誰にも否定なんてさせない。
だが、ジュースが喉を清々しく滑り落ち、炭酸が鬱屈とした想いと一緒に弾けて消えていくのもたしかだった。黒い気持ちが失せた後に見えるものは、恨めしく思っていた上官の大きな背中だった。
認めたくないが、騎士としてのユーリスは今のレオでは届かない場所にいる。
(くそ……ッ。追いつきたい……! 追い越したい……!)
「ぷはーッ! 美味いです!」
「いい飲みっぷりですね! シュワシュワレモンは疲労回復の効果が抜群にありますから、おかわりもどうぞ。クッキーもいいですよ~。米粉で作ったので、グルテンフリーなんです! あ、ユーリス様にも持って行って差し上げなくちゃ。きっとお部屋で選手の皆さんの訓練メニューをお考えだと思うんです。脳の疲れを癒やして差し上げないと!」
レオのグラスに2杯目のレモネードを注ぎながら、アデルは早口でまくし立てる。それでも口元はほころんでいて、新緑色の瞳にはここにいないはずの上官の姿が映っていた。本人にはその自覚はなさそうだが。
(悔しい……オレだって……)
オレだって、あなたの瞳に映りたいのに。
ユーリスが同じ悩みを抱えていることをレオは知らない。
淡い黄色に沈む氷。それがゆっくりと溶け出すグラスは、その一瞬を切り取りたいほど美しく見えた。
「ユーリス副団長に非礼のお詫びと、改めて宣戦布告をしに行ってきます!!」
レオは新しいレモネードを一気に飲み干すと、アデルが用意していたユーリス用のティーセットを手に食堂を飛び出して行った。
宣戦布告の意味を勘違いしているアデルは「バルドゥル団長争奪戦が勃発⁉」と、目をまん丸くしていたのだった。




