第37話:推しの舞台の礎に
王国騎士団新人対抗試合の3週間前。
駐屯所の屋外掲示板に対戦表が貼り出された。各部隊から5名選出され、トーナメントを勝ち抜いていく。バルドゥルが特別に認めた一人だけが、1回戦免除でスタートするのだが、その特別枠に選ばれたのはレオだった。
(やっぱりレオさんって優秀なのね。将来有望だわ)
アデルは掲示板に群がる騎士たちの後方でぴょんぴょんと飛び跳ねながら、対戦表を目に焼き付けようとしていた。興味本位なんかではない。在籍する黒鷲隊の勝利に向けて、対策を講じるためだ。
(うーん、よく見えないっ)
「これでいいか?」
「ひゃっ」
不意に体がふわりと宙に浮かび、アデルは地から足が離れた驚きで悲鳴を上げた。
慌てて後ろを振り返ると、ユーリスが両手でアデルの腰を掴んで持ち上げているではないか。
「ユーリス様⁉」
「どうだ? 見えたか?」
「見えてますけど、見られてます!」
急にひょっこりと高い位置に来たアデルを、周囲の騎士たちが目を丸くして見上げている。
(ひぃ! 恥ずかしい!!)
高い高いをされている幼子のような体勢が耐えがたく、アデルはジタバタと下ろしてアピールを繰り返してようやく、地上に帰してもらうことができた。
なんだか、腰がそわそわする。
思えばユーリスに触れられた機会などほとんどない。パーティでエスコートをされたことはもちろん、ダンスだって一曲も躍ったことがなかった。
(なんで……急に……)
「びっくりさせないでくださいよ~! 私はダンベルじゃないんですから」
胸のざわつきを誤魔化すようにして、ユーリスにへらりと笑んでみせた。
アデル近頃、彼のことが一段とよく分からない。
アデルの料理を食べるようになったり、買い出しについて来ると言い出したり、プレゼントを渡してきたり――。
きっと彼の行動の理由の源流にはバルドゥルがいるのだろうが、その過程で婚約者の自分を翻弄するのはなぜなのか。この執着に見える「何か」をうっかり誤解してはいけないのだと、アデルは自分に言い聞かせていた。
「トレーニングに君を使うつもりはない。軽いし……。ただ、困っているのかと思って……」
艶やかな銀髪をくしゃくしゃと気まずそうに掻くユーリスが、普段よりもどこか子どもっぽく見えて不思議だった。本当に純粋にアデルのことを助けたかったことがハの字になった眉から伝わってくる。
にしても、女性を同意なくひょいっと持ち上げるのはいかがなものかと言いたくなるが。
「お察しの通り、困ってはおりましたが……お気持ちだけ、ちょうだいいたしますね」
「あぁ……あー……、待て! もしよければ、対戦表の複写を用意するが……⁉」
するりと解散しようとしたアデルをユーリスが呼び止めた。なかなか有難い提案に体の向きを戻すと、彼はホッとしたように小さく息を吐き出す。眉の角度も緩やかだ。
「いいのですか⁉ 私、対戦相手の騎士様たちを分析しようと思っていたのです! 今年はどの隊も粒揃いですから、しっかり研究して、強化献立を練らないと……」
「君は対戦相手のことまで分かるのか?」
「もちろん! 王国騎士団箱推しをしておりますので、全部隊の情報収集に心血を注いでおります! といっても黒鷲隊以外の騎士様に直接お会いする機会がないので、人脈を利用して……ですが」
人脈とは、黒鷲隊の中であれば、団長であるバルドゥルや、他部隊所属の経験があるベテラン騎士が安定の情報ホルダーだ。この辺りからは世間話の流れで、他所の部隊の活躍ぶりや注目している騎士の話を聞くことができる。
そして最近手に入れた外の人脈――紅竜隊のシェフと銀鹿隊のコックが非常に熱い。
グレゴの発案で王国騎士団の料理人の交流会が行われ、そこで仲良くなった2人だ。彼らは隊の騎士の自慢話をたくさん語ってくれるので、常に公式の情報に飢えているアデルにとってはまさに神の使いなのである。ユーリスには秘密だが、今ではすっかりペンフレンドだ。
アデルが詳細をぼかしてさもありなんといった口調で言うと、ユーリスは「君は熱心さには頭が上がらない」と目を丸くした。
「後ほど食堂に対戦表を持って行くから、ぜひ君の見解を聞かせてほしい。俺の持つ情報とすり合わせれば、選手たちにより適正なサポートができるだろう」
推しの騎士たちの支えになることができる――それがアデルの胸をパンのようにわくわくと膨らませた。
もちろん、勝負ごとなので敗者を生み出してしまうことは心が痛い。だが、王国騎士団単位でみると、イベントが盛り上がり、騎士たちが全力で戦える手伝いができることは、箱推しをしている身としては大変誇らしい。
(推したちの最高の舞台! 私がその礎になるんだわ!)
「いい案ですね! 優勝がグッと近づきそうです!」
「……あぁ。そうだな」
アデルはふんすふんすと大張り切りだ。
一方、「優勝」という単語にユーリスの瞳が一瞬不安げに宙を彷徨い――、行きついた先はアデルの髪だった。
「髪飾り……付けてくれているんだな」
「あ……はい。とても気に入っています」
「本当か……⁉」
アデルは急に別の話題を振られたことに少々驚いたが、片手で金木犀の髪飾りに触れながら、にこりと口の端を持ち上げた。
「だって、王国騎士団の推し活グッズですもの!」
「あぁ……うん。知っていた……」
ユーリスはこめかみを指で押さえながら何度か頷く。
「それでもいい。欲しいものがあったら、何でも言ってくれ」
「では、ユーリス様とバルドゥル団長の手合わせを拝観する権利がほしいです!」
「ぐぬぅ……ッ。まさかの無形……!」
ユーリスはそれでも「前向きに検討する」と言い、バルドゥルの執務室へと向かって行った。
未だ人だかりができている掲示板に用がなくなったアデルは、新人対抗試合のことを考えながら、澄んだ青空を見上げた。
王都でよく見かける野鳥が連なって飛んでいる。番かな? と、アデルは手を日除けの形にして2羽が空を滑る様子を見つめた。
ユーリスと2人で何かをしようとするのは、3年と少しの婚約期間で初めてのことだった。「婚約者」として接することは難しかったが、「推しの一人」あるいは「副団長」としてなら、彼とも大事を為すことができるのではないか――。
(どうだろう……。まぁ、あまり期待はしないでおこう)
もう傷つきたくないから。
その言葉を無意識にお腹の底にしまったアデルは、一人、軽い足取りで食堂へと舞い戻っていったのだった。




