第32話:見習い騎士の回想②
【続ユーリス】
クレッセント領に出現した魔獣は、王国騎士団の奮闘によって見事討伐された。
領地に刻まれた傷は浅くはないが、明るい領主の人柄もあってか、人々は前向きに復興作業を進めていた。
ユーリスも瓦礫の撤去や魔獣の解体に勤しんでいたのだが、忙しくしていても胸の内のもやもやは消えることがなかった。
「例のご令嬢が気になるのか、ユーリス」
「バルドゥル様……お見通し、ですね」
領主が催してくれた感謝の宴の席でも、ユーリスの顔は曇ったままだった。
多大なる魔獣被害があったにもかかわらず、宴会場には贅をつくした料理の数々が並んでいる。領主夫妻によると、こうでもしなければ、領民たちの気が治まらないのだと言う。
さすがに港が荒らされているため、名産の海産物の量は多くはなかったが、代わりに山の幸がふんだんに皿に盛られている。
食に疎いユーリスには見た目の情報をざっくりと言語化することしかできないが、オレンジを使ったサラダ、チーズとハーブ(種類は不明)のペーストで和えたパスタ、野菜とミートソースを重ねて焼いたもの、米のコロッケなど実に様々な料理が大皿の上で輝いていた。
その輝きが眩しくて、ユーリスは無意識に視線を手元に落とした。乾杯後からずっと握っているグラスの綺麗な黄色の液面に、眉の下がった少年の顔が映る。ひんやりとしていたはずの柑橘系のジュースは、すっかりぬるくなってしまっていた。
バルドゥルはここ数日悩ましげにしていた友人の心を案じながらも、パスタをフォークにぐるぐるとたくさん巻きつけ、吸い込むようにして口へと運んでいる。
王城ではマナーに気を遣うが、騎士の宴では騎士の振る舞いに準ずるのだと、以前彼は嬉しそうに話していた。王国騎士団にいる間、彼は王族バルドゥル・ライゼンハルトではなく、一人の騎士見習いバルドゥルなのだ。
(じゃあ、俺はどうなのだろう……)
「アデル嬢は領地や領民のことが大好きなのだろう。人々と同じ目線で怒り、悲しむことができる彼女には、敬意の念を抱かずにはおれんな」
「俺は……なんというか、圧倒されました。俺も彼女と同じ……いえ、俺の方が次期領主としての責務があるのに、今まであれほどの熱量を覚えたことがありません」
「状況が状況だからではないか?」
「どうでしょうか……」
自分のグラスを置き、バルドゥルのために柑橘ジュースの入った瓶に手を伸ばす。空のグラスに煌めく果汁をとくとくと注ぐと、鼻先を爽やかな香りが掠めた。
件のアデル嬢は使用人たちと共に、料理の皿をせっせと運んで回っていた。けれど、時折思い詰めた表情で窓の外を覗いては、涙を必死に堪える様子がうかがえた。
魔獣被害によって荒れ果てた町を見る度に、つらい思いをしているのかもしれない――と、ユーリスは無意識に彼女を目で追いながら、重苦しい気持ちに苛まれた。
「おい! シケてんなぁ!」
「うわっ!」
突然背中をバシッと叩かれ、ユーリスは危うくジュースを溢すところだった。慌ててグラスをテーブルに置いて振り返ると、エドガーが背後で眉を持ち上げていた。
「おじ……エドガー団長、痛いです」
「私なら余裕で耐えられる。ユーリスは薄っぺらいから、もっと鍛えた方がいいぞ!」
「バルドゥル様……!」
「ははッ。ガキはくだらん言い合いしてるくらいがちょうどいい」
エドガーはユーリスとバルドゥルのやり取りを見て大袈裟に頷く。
エドガーはシュトラウル一族らしい金色の瞳を持つが、髪の色は褪せた銀灰色だ。こだわった手入れもされていないので無造作な印象を受けるが、そちらの方が男らしくてかっこいいと、ユーリスは思っていた。
「ユーリスはよぉ、細かいことを考えすぎなんだ。やれ貴族だ、やれ騎士だ、んでもって跡取りだとか、そんなこたぁどうでもいいんだよ。余計なもんは取っ払って考えろ。人間ってのは本来単純な生き物なんだ」
「え……ですが……」
「まぁ、見てろよ」
エドガーはユーリスの肩を軽く叩くとその場を離れ、空の樽ジョッキを片手にアデルへと歩み寄っていった。
席に残されたユーリスとバルドゥルは顔を黙って見合わせたが、そこからはエドガーの人たらしな面をありありと見せつけられた。
「よく働くお嬢ちゃん。おじさんの英雄譚、聞いてくんない? 部下には耳タコって言われちゃってさぁ」
「だんちょうさん! わたしでよければ、ぜひ」
アデルは隣にいた領主夫人に目で許可をもらうと、エドガーがぽんぽんと手で座るように促した席に腰掛けた。
始めは笑顔が硬かった。けれど、ユーリスがこっそりと見守っているわずかな時間の間に、彼女の表情はみるみるうちに柔らかくなり、グリーンの瞳はキラキラと光を放ち出した。
仲間と共に剣を振るい、戦場を駆ける日々。
騎士の栄誉を駆けた馬上槍試合。
未知なる大地での胸躍る大冒険――。
エドガーが語る生きた騎士物語は、瞬く間に少女の影を帯びた心を解きほぐしていったのだ。
(笑ってる……可愛い……)
キャッキャと高い声で年相応の相槌を打ったり、ハッと息を吞んだりと、アデルは忙しそうだった。
「わたし、きしになりたい! わたしもだんちょうみたいにマジュウをやっつける!」
「おーおー、威勢がいいねぇ。だが、オレみたいになる必要はない。君にはオレのできないことができる」
「なぁに、それ?」
ふんすふんすと息巻くアデルの言っていることは、避難場所でユーリスに言い放ったことと同じだった。
だが、目の輝きが違う。あの時の彼女の目は、涙で憎悪を覆っていた。
エドガーは大らかに笑いながら、双眼に星を宿すアデルの頭を大きな手でわしわしと撫で回す。何も言い返せず、頭の中で「女だから」「子どもだから」と言い訳を探して固まっていたユーリスとはすべてが違う。
「オレたちは“剣”で平和な世を創る。だが、人の笑顔を作るのは、いつの時代だって “うまい飯”だ」
エドガーは「たまんねぇ」と感嘆の息を溢しながら、アデルの前で香草入りの黒パンを豪快に頬張る。
「オレら騎士の汚れた手じゃあ、パンの一つも焼けやしねえ。たくさんの人の働きや、支えがあるからこそ――」
「うん、わかった!」
アデルはエドガーの説明を遮り、コクコクと頷いた。
「わたし、たべた人をえがおでいっぱいにするごはんを作りたい――‼」
希望に満ちたアデルの力強い言葉が、ユーリスの耳に滑り込んで居座った。
エドガーが伝えようとした内容とはズレてしまっていたが、幼い彼女がその瞬間に抱いた夢は他の何よりも眩しく、尊かった。
そしてその晴れ晴れとした笑顔に、ユーリスは強烈に惹きつけられたのだ。
息をするのも忘れ、アデルを見つめていた。景色がこれまでと異なって見えた。視界がチカチカとする。けれど、くっきりと色鮮やかだった。
「いつか、おうこくきしだんのみなさんにも、きっとごちそうしますね! えがおでいっぱいにしてさしあげます!」
「ハハッ! そいつぁ、楽しみだ」
エドガーは「人間は本来単純な生き物なんだ」と言っていた。「余計なもんは取っ払って考えろ」とも。
長く生きたわけではないが、こんなにも胸が高鳴ったことはなかった。指先に巡る血液の熱さを患わしく感じてしまう。
(この目にもう一度、あの子の笑顔を映したい。叔父上じゃなくて、俺が――)
「バルドゥル様……。俺……不純な動機で騎士を目指してもいいでしょうか……?」
「不純? 純粋の間違いではないか? 親友」
放心状態からようやく意識を取り戻したユーリスを見て、バルドゥルは柑橘ジュースの入ったグラスを掲げた。
アデルはその日、たくさんの人を料理で笑顔にしたいと願った。
ユーリスはたった一人の少女を剣で笑顔にすることを誓った。
出会った時からすれ違っていたなんて、誰が思っただろう――。




