第31話:見習い騎士の回想①
【続ユーリス】
「この色だ。俺が君に付けてほしいのは――」
「これは……王国騎士団のメインカラーですね!!」
「へ⁉」
ユーリスの裏返った声が店内に響く。
何の話なのだと尋ねる前に、アデルは自分の頭を指差した。彼女が注目を促したのは、黒地に金色の刺繍の入った件のリボンだ。
「こちら、黒鷲隊カラー。黒は何にも染まらぬ勇猛さの象徴である――と、バルドゥル団長がおっしゃってました! かっこいいですよね! あ、これ実は手作りの推し活グッズでして。黒鷲隊のスカーフってありますよね。料理長のそれが破れて使い物にならなくなってしまいまして。でも、数少ない公式グッズを捨てるなんてもったいないじゃないですか。なので、リメイクしてリボンにしたんです! あれ、話が逸れましたね。王都の北を守る銀鹿隊は銀、南を守る紅竜隊は赤……。三部隊はそれぞれ異なる生き物と色を掲げているのですが、共通しているのはそれぞれの色の生地をキャンバスにしている金色の糸。つまり、金糸の刺繍です。金色は紡がれた誇りを示し、王国騎士団全体を輝かせる色なんです。……って、ユーリス様ならご存知ですよね。さすが副団長! 隙あらばファンサと布教を同時にやってのけてしまうなんて!」
「……、……ッ」
アデルの怒涛の早語りに圧倒されてしまい、ユーリスははくはくと口を動かした。
(ファンサ? 布教? 俺は好意を込めた物を贈ることも赦されないのか?)
自業自得とはこのことだ。
散々アデルを放置していたが故に、彼女の心は遠くにいってしまった。
たとえグレゴからアデルに贈った品が嫉妬の対象でなくなったとしても、彼女との距離は変わらない。ユーリスの決死の口説き文句も行動も、自分が王国騎士団の騎士である限り、彼女の心には届かないのだ。
(アデルに認められたくて騎士を目指したはずなのに、俺はいったい何をしていたのだろう――)
***
脳裏に浮かんだのは、王国騎士団で過ごした幼い日々だ。
ユーリスは9歳の頃、ある事情で叔父――当時の王国騎士団の団長エドガーの計らいで、彼の部隊に身を置かせてもらっていた。
名目上は、武者修行目的で騎士見習いをしていたバルドゥルの世話役。当初父親は跡取り息子を王国騎士団へやることに難色を示したが、バルドゥルの名を出すと、黙る他なかったらしい。結局、ユーリスは苦言の一つも言われずに、無事に騎士見習い生活に踏み出すことができた。
「お前は将来、侯爵位を継いで、領地経営に専念することになる。だが、大人しく部屋に籠ってお勉強してるだけじゃあ、世界を理解することはできねぇ。この王国騎士団で、人の喜びや痛みを知れ。それから侯爵になったって、遅くはねぇよ」
叔父エドガーは勤勉な内政を得意とするユーリスの父とは正反対の人で、いつも豪快で大雑把な指示を出す騎士だった。
けれど、よく人を見ていた。相手が求めるものを見極め、相応しい方向へ導くことができる目と手腕を持っていた。もちろん、相手の身分や性別は問わない。
思えば、現在のバルドゥルはエドガーと似ている。王弟でありながら、民に近い目線であろうとしているのは、間違いなくエドガーの影響だ。
エドガーはたくさんの国民たちから慕われていて、少年だったユーリスもまた、上に立つ者の理想像としてエドガーを追いかけるようになっていった。
とはいえそれは、人間性の話。いつかは家督を継ぐことが定められていたユーリスは、本気で騎士を目指していたわけではない。エドガーもそれは理解していて、命を削るような戦場に甥を連れていくことはほとんどなく、「身の回りの人間を守りながら自分も生き残る術」を教えてくれようとしていた。
クレッセント伯爵領に大型魔獣が出現したのはそんな折だった。
伯爵領は荒廃地と接していないため、まさか魔獣が襲来するとは誰も予想していなかった。なんと魔獣は海からやって来た。前代未聞ではあったが、荒廃地の瘴気に蝕まれた海獣類の成れの果てが、海を遥々と渡ってきたのだ。
はまともな戦力のない伯爵領は、なすすべなく半壊状態となった。
王国騎士団は領主から救援要請を受けて戦闘を、ユーリスとバルドゥルは避難誘導の役割を担った。
しかし、支援部隊であっても、町の状況は嫌でも目に飛び込んでくる。
ユーリスは、人里が魔獣に蹂躙される様を初めて目の当たりにした。荒廃地から侵入してこようとする魔獣を砦で食い止めるのとは、わけが違う。人々の営み、歴史、想いが踏み荒らされ、あちこちから悲しみの声が鳴りやまない。
「おにいさん。その剣、わたしにかして」
避難所となっていたクレッセント伯爵の屋敷で、ユーリスは小さな女の子と出会った。
5、6歳だろうか。女の子は柔らかそうなピンクブロンドの髪を怒らせ、新緑を映したような瞳に涙を溜めていた。避難の際に転んでしまったのか、質の良い白いワンピースはすっかり泥だらけになっている。膝には擦り傷ができていて、じんわりと痛々しい赤色が滲んでいた。
「駄目だよ。これは騎士の剣なんだから」
「だっておにいさん、もってあるいてるだけだもん! だったら、わたしがその剣でマジュウをやっつけるんだ!」
屋敷の大広間。赤い絨毯の上にぽたぽたと涙が零れ落ちる。
一刻も早い魔獣の討伐を願い、不安を押し殺して形見を寄せあう避難民たちの視線がユーリスと女の子に集まり、ひりひりとした空気を作り出していた。
「みてるだけなんてヤなの!」
「だ、大丈夫だよ。王国騎士団を信じて、君は安全な場所で……」
「じゃあ、わたし、おうこくきしだんに入ってマジュウとたたかう!」
(この子の目、本気だ。叔父上と同じ……皆を本気で守ろうとしてる目だ)
エドガーが戦場で見せる騎士の瞳が脳裏に浮かぶ。爪が白くなるほど両手をぎゅっと握りしめる女の子の叫びが、ユーリスの耳の内側でわんわんと響く。
彼女の無茶な願いを叶えてやるつもりは毛頭なかったが、じゃあどうしたらこの子の力になれるのかが分からなかった。「もってあるいているだけ」と言われた剣の柄を豆ひとつない手で握る。だが、命を削る覚悟を持たないユーリスには、戦場で剣を振るう自分を想像することすらできなかった。
「俺は――」
「うわぁぁ~~ッ!! どこに行ってたんだい⁉ お父さん、心配したんだから!」
「おとうさま!」
全身が固まって動けなくなっていたユーリスの前に、血相を変えた赤髪の貴族男性が駆けてきた。
少女と同じ瞳の色をしたその人は、以前、王都の夜会で見かけたことがあった。ロレンツ・クレッセント伯爵だ。その時は寡黙で抜け目ない印象だったが、今は子煩悩全開の父親といったところか。
(ということは、この子は伯爵の娘……)
「騎士様に迷惑をかけちゃいけない。この大事を乗り切るために、みんなで力を合わせるんだよ。一人一人ができることをすればいいんだ。ほら、一緒に怪我をしている人たちの手当に回ろう」
「うん。わかったよぅ……」
ロレンツはユーリスに申し訳なさそうに頭を下げると、未だぽろぽろと涙を流し続ける娘の手を引いて大広間の奥へと消えた。
ざわついていた避難民たちの注目も次第に収まっていき、再び不安と焦燥の満ちた空気が戻ってくる。
ユーリスはその場に立ち尽くしながら、ロレンツの言葉を黙って噛み締めていた。
(『一人一人ができること』……。俺は人々を避難させて……バルドゥル様の安全を確保して……できることも、やるべきこともやってる……。でも、女の子ひとり、励ますことも慰めることもできない)
なんて無力なんだろう。
それがユーリスだけが覚えている、アデルとの出会いだった。




