第25話:箱推し②
【続ユーリス】
「アデル……!」
「まぁ、ユーリス様。こんばんは。今夜はお元気そうで何よりです。先の休息日はお顔が真っ白でしたし」
「あ、あぁ。その件は心配をかけてすまなかったな」
爽やかな色みのグリーンアイとぱちりと視線が重なると、ユーリスの胸は自然と高鳴った。
(か……可愛い……)
顔が熱い。頬が赤くなっている気がする。
ユーリスがアデルの顔を真正面から見つめるには、いつもたっぷりの勇気を奮っているのだ。
零れ落ちそうな大きな瞳、ふんわりと長いまつ毛、くっきりとした二重に、桃色の唇……。これほど可憐な女性が他にいるだろうかと、ユーリスは平素から信じて疑っていない。
だが、その気持ちを素直に表現する術を、苦手だからと女性との関わりを避け続けてきた男――童貞男子ユーリスは所持していないのだった。
(言え、俺! 寂しい思いをさせて悪かったと……! 俺のために王国騎士団に来てくれた君のことを、これからは心から大切にすると――!)
ユーリスは拳をぎゅっと握りしめ、口を開こうとした。
しかし、その言葉はアデルの朗らかな声にあっけなく遮られてしまった。
「バルドゥル団長のお席なら、一番奥ですよ? それとも、バルドゥル団長がお好きな黄金エールをお探しですか? それなら各テーブルに置いています! どうぞ、ご自由におかわりを――」
「待て待て。俺がいつもバルドゥル様を捜していると思うな」
「え。違うのですか?」
「俺は、君を捜していた」
数秒間の間があり、アデルが「あぁ!」と腑に落ちたように頷いた。
「すきっ腹にお酒は良くありませんよ? アルコール対策には柿がおすすめです! 酔いの成分を分解してくれますから!」
「どうして俺が酔っ払いになる⁉」
酒など、一滴も口にしていない。完全素面なのに。自分はへべれけに見えるのだろうか。
混乱するユーリスに、アデルは柿とチーズの料理を強めに勧め、先日渡したパンの感想文を自室に飾っているという話をしてきた。話題にまとまりはないが、婚約者である自分を大切に思ってくれている……ユーリスはそう感じ入り、胸がじーんと熱くなった。
ところがだ。
「ユーリス様からのファンサービスですもの。素直にいただくことが、ファンの務めです!」
(ファン?)
誇らしげに語るアデルの艶やかな唇から飛び出した、「ファンサービス」「ファン」という単語。そのよそよそしい響きに、ユーリスは思わず口を挟んでしまう。
「『ファン』だと? いつから君は俺のファンになったんだ? 俺たちは婚約者という『特別』な関係だろう?」
「そんな、恐れ多い! 私はただ、食堂のおばちゃんポジションで、“王国騎士団箱推し”をしているだけですから……っ」
「え……?」
「あれ? “推し活”のプロであるユーリス様なら、ご存知だとばかり……」
アデルの口にした「推し活」という単語が、記憶の蓋をコンコンッとノックした。古い記憶ではない。ごく最近の、アデルとの会話だ。ユーリスが自分のことで精いっぱいで、アデルが何を話しているのか、深く尋ねなかったあの日――。
(アデルが月桂樹模様のパイを、駐屯所に差し入れてくれた日だ……!)
『私も今日から“推し活”をすると決めました! 今後はお互い、推し活不可侵ということで!』
アデルは元気いっぱいに、ユーリスにそう宣言していた。たしか、ユーリスの推し活を見守るなどとも言っていた気がする。
(あの時、俺はアデルが怒っていないのなら、話が見えずともそれでいいと……)
なんだか嫌な予感がした。ユーリスの血の気はぐんぐんと引いていく。
目の前のアデルはあの時と同じく、たいそう機嫌が良い。ユーリスに好意的な視線に声音、笑顔には、黒い感情は見当たらない。
しかし、この先を聴くことが憚られた。逃げ出したい。だが、足が竦んでいる。優しいアデルは、ユーリスのために懇切丁寧に語ることをやめない。
「“箱推し”は、好きな団体をまとめて応援することです! 私、王国騎士団の大ファンでして……まるっと全力で推させていただいております!」
「ま、まるっと⁉」
「幼い頃に縁があって、泥臭くも輝かしい英雄譚や、切っても切れない友情、血潮みなぎる忠誠心……そんな熱い物語を持つ王国騎士団にずっと憧れを抱いてたんです。あ……その話は、両家顔合わせの時にもしましたっけ?」
「あ……あぁ……」
うわ言のように返事をしたが、ユーリスは鮮明に覚えていた。
王都の高級レストランで、アデルは王国騎士団が好きだと楽しそうに喋っていた。だから、婚約相手がそこの副団長であることに感激しているのだと。親たちは、そのことを運命だと言い、似合いの2人だと喜んでいた。
(俺は緊張して、『君のために王国騎士団に入った』……そう言えなくて――)
「命を懸けて戦う騎士様たちに、私がして差し上げられること……いえ、私自身がしたいと思ったこと――それが『笑顔でいっぱいになれる料理を作ること』で、私の“推し活”なんです。推しの笑顔が、私の栄養というわけです」
(笑顔……? 俺は仕事ばかりして、君に顔すらろくに見せてこなかった。美味しかったと、感想や感謝を伝えることもなかった……)
「アデル……俺は……」
「?」
アデル越しに見えていた星が、スッと流れて夜の空に消えた。願い事をする暇などなかった。
大切なものが無情にも零れ落ちていく感覚が、ユーリスの胸にひんやりと広がっていく。 ユーリスが弁明しようと唇を震わせるも、もう遅かった。
アデルは「あぁ」と納得した声と共に、こくんと頷いて。
「もちろん、ユーリス様は推しですよ。王国騎士団の一人として」
「…………ッ!!」
王国騎士団の一人として。王国騎士団の一人として。王国騎士団の一人として……。
鉄拳でみぞおちを殴りつけられたかのような衝撃が、ユーリスの全身へと駆け巡った。周囲の音が遠い。自分の盛大な勘違いが、目の前でチカチカと弾けて眩暈がした。
(アデルは、俺を追いかけてきたわけじゃなかった……? ただひたすら、王国騎士団を愛していて、俺は彼女の『特別』じゃない……?)
「だ、だが、俺と君は婚約者で……ッ」
「そうですね。書面上は」
「しょめ……ッ」
よろけながら声を絞り出すユーリスへの、にこやかな死体蹴り。悪意は、微塵も感じられない。揺らぎの一切ない瞳が、それを事実だと断言していた。
「3年かけて、ようやく気付いたんです」
満ち足りた笑みを浮かべるアデルは、頭上で明かりを放つ魔石ランタンを遠い目で見やると、その後、再びユーリスを真正面から見据えた。
爛々と輝く双眼には、自業自得の罪を負った男が映っている。
逃げるな。アデルの瞳の中の副団長がそう告げてきて、ユーリスは耳を塞ぐことができない。
アデルは拳をきゅっと丸めて天へと突きあげると、宴の熱気に負けない力強い声で叫んだ。
「ユーリス様の尊さは、ご自身の『特別』なお方――バルドゥル団長をひたすらに信じ、推し続けるお姿に宿っていると! ぽっと出の婚約者に構うなんて、解釈違い。バルドゥル団長単推しに狂うユーリス様こそ、大優勝なのです!」
「ちが……ちがうんだ……」
ユーリスの消え入りそうな声は、アデルを照らす星空に吸い込まれていく。
「私、脇目もふらず、推し活に命を懸けんとするユーリス様を、心の底から尊敬しているんです。そんな方が、大好きな王国騎士団の副団長で本当によかった……。だから、ユーリス様――」
ガクンと膝の力が抜けてしまい、地面に尻餅を突いてしまったユーリスに、アデルは慈愛で満ちた笑顔で手を差し伸べてくれた。
(変わらないといけない……俺は、このままじゃいけないのに)
「どうか、そのままでいてくださいね」
彼女の手はこんなに近くにあるのに、心はどうしようもなく遠い。
ユーリスは、愚かな自分を呪うしかなかった。
ヒーローのメンタルがぼろぼろになったところで、5章完です。
次章から挽回編に入りますので、見守っていただけますと幸いです。




