第21話:緑雨ネトルのディナーロール
【続ユーリス】
「ユーリス様、大丈夫ですか?」
群青色の溶け出した夕焼け空の下。
アデルは爽やかな若草色のワンピースにポニーテールという可愛らしい装いをしているが、その表情はハラハラとしていた。
「問題ない。少しふらついただけだ」
「でも、お顔色が真っ白です。ちゃんとご飯は食べましたか? 水分も摂っておられます?」
駆け寄ってきたアデルは、じぃっとユーリスの顔を覗き込む。
思いかけず吐息のかかるほどの距離になってしまい、ユーリスは表情を読み取られまいとして、慌てて顔を背けた。心臓がドッドッドと強く鳴り始めている。これは体調不良のためか、それともアデルからふわりと漂う花のような香りのせいなのか――。
「自己管理くらいできている。食事は……朝の鍛錬後にレーションを齧った。紅茶だって、ついさっき君の家でしこたま飲んだ」
「えっ。私の家で? お約束はしていませんでしたよね⁉」
(うッ! デートに誘いに来たなどとは微塵も想定されていない!)
「いや、まぁ、その通りなんだが……、近くに来たものだから……」
「そうでしたか。せっかく寄ってくださったのに、不在で申し訳ございません……! あぁ……ユーリス様がバルドゥル団長に捧げる貴重なお時間を割かせてしまうなんて、一生の不覚です……!」
「待て。一生ものの不覚なんて感じるな」
大袈裟な動きで頭を抱えるアデルの瞳には、気まずそうに顔を引き攣らせるユーリスの姿が映っている。彼女の中では、ユーリスは常にバルドゥルのために動いているらしい。
(違う……違うんだ、アデル。俺は、今日一日を君と過ごそうと思って――)
「私、食探訪のためによく出かけるものでして……。もしご用がある時は、事前に在宅をご指示していただけると、すれ違わなくて済むかと思います!」
「し、指示?」
ユーリスの声が裏返った。
婚約者は「在宅を指示」するものなのだろうか。交際ごとに疎いユーリスには、それが一般的なのかどうかの判断がつかなかった。
突然デートに誘いに来ることが歓迎されないのであれば、適切なのかもしれない。いやしかし、上司が部下にするように、行動を命じていいのだろうか。それはなんだか気持ちが良くない気がするが――……。
ぐるぐると脳内を疑問符が回り出すと、ユーリスの頭にズキンと重たい痛みが走った。やはり、体調は芳しくない。
「ユーリス様、少しだけあちらでお待ちいただけますか?」
ユーリスがこめかみに長い指を押し当てていると、アデルが広場のベンチを手で指し示しながら言った。
彼女が何を思ったのかが分からないユーリスだったが、このまま歩き続けるよりかはいったん体を休めた方が良さそうだと思い、促されるままにベンチに腰を下ろした。座ると全身のだるさが少しマシになってきた気がして、思わず「はぁ……」と大きな息が漏れていった。
自分はいったいどうしてしまったのだろう――その理由をユーリスは漠然とした不安としてしか捉えることができずにいた。
そうこうしている間にアデルは自宅の方向へとパタパタと走りだし、しばらくすると、またパタパタと駆け戻ってきた。胸にはバスケットを抱えており、そこから緑色の枯れ草が顔を覗かせている。
「お待たせしてすみませんっ! よければ、こちらをお持ち帰りください!」
「これは……花壇の雑草?」
ユーリスは、アデルの家の前にある花壇を思い出した。たしかこの葉が雑然と生い茂っていた気がする。手入れが行き届いていないと決めつけ、ユーリスは使用人不足を心配していたのだ。
しかしアデルは「違いますよ」と、少々呆れた口調で否定しながら、ユーリスの隣に腰掛けた。
差し出されたバスケットに被せられているレースのハンカチをよけると、飛び出している枯れ草の他に、丸っこいパンが2つ鎮座している。見た目は白パンと似ているが、生地に緑色が混じっていた。枯草とパンからは干し草のような香りを感じる。
「私が世話している緑雨ネトルです。新緑の季節に振る雨で育つハーブで、鉄分やビタミンCが豊富なんです。試作品ではあるのですが、乾燥緑雨ネトルと、それを練り込んだディナーロールを作りました。ミントやレモンとブレンドすると、お茶としても美味しく飲めますよ。ユーリス様、貧血のご様子ですし、お薬がわりに召し上がってください」
(雑草じゃなかったのか……)
アデルが育てているハーブを雑草扱いしてしまい、自身の失言にユーリスは唇を噛み締める。それでも優しい眼差しをくれるアデルに気を取り直しながら、「なぜ俺が貧血だと?」と再び口を開くが、気まずい気持ちは払いきれない。
「空腹時に多量の紅茶を飲むと、利尿作用で水分不足になったり、頭痛が起こったり、鉄分不足に陥ったりすることがあります。ユーリス様は、朝ご飯しか召し上がっていない状態で、紅茶をたくさん飲まれたのでしょう? お顔色がとても悪いので、血が不足しておられるのかなと」
今度は素直に面を食らった。医学に詳しくないユーリスは、アデルの口からすらすらと飛び出す言葉の数々に、彼女の知らない一面を見た。食堂で新人騎士相手に披露していた変態的に鋭い観察眼が、現在進行形で使われているのだと、ユーリスはハッと気が付く。
アデルには、医者に似た観察眼と知識がある。
もしや彼女はこれまでも、自分にそれを向けてくれていたのではないだろうか。過去の差し入れにも、きっとユーリスの体を思いやった意味が込められていて、それなのに――。
「アデル、俺は……!」
慈愛に満ちた婚約者に言わねばならない。
ユーリスは口を開いた。




