第17話:ヴヴヴ
◆◆◆【ユーリス】
『ユーリス様は一度だって、私の料理に興味を持ってくださったことがありません。あの方のお心は、すべてバルドゥル団長に向けられていますから……ぐすん』
目元できらりと光る雫とくぐもった声が頭から離れず、ユーリスはすっかり蒼白になっていた。「ぐすん」「ぐすん」が耳の内側で反響を繰り返し、アデルの哀しそうな眼差しを思い浮かべると、罪悪感で今にも息が止まってしまいそうになる。
(アデルは俺のせいで泣いていた。俺が、彼女を悲しませてしまっていた……)
「――リス! ユーリス! ちょっと聴いてる?」
「!」
ユーリスの意識を現実に引き戻したのは、眼鏡の奥で目を吊り上げているサミュだった。吊り目の印象を和らげるために掛けている伊達眼鏡のはずだが、それを緩和できないほどに鋭い目付きになっている。
サミュがきつくユーリスを咎めるのも当然だろう。今は、「対アデル・クレッセント関係改善会議」なるミーティングの真っ最中だった。
「まぁ、怒ってやるな。よほど動揺しているのだろう。……かく言う私もだが」
そう溢しているのは、大きなガラス窓を背にした執務机に肘をつき、頭を抱えているバルドゥルだった。黒々と凛々しい眉は険しく寄せられ、眉間の皺が深く刻まれている。
「まさか、ユーリスとアデル嬢の関係を乱していたのが私だったとは」
「バルドゥル様のせいではございません! すべては俺の不徳の致すところです!」
「いや。上官として、お前の時間の使い方に目を配るべきだったのだ」
ユーリスはちぎれんばかりに首を横に振ったが、責任感の強いバルドゥルはもちろん良しとはしない。彼には数えきれないほどの心当たりがあった。
「ユーリスは、毎朝私を迎えに来るだろう? そこから2人で城外ランニングをして、仕事に向かう。夜も城に一緒に戻り、事務仕事に手を貸してくれる。王族の公務の時も同行してくれるし、茶会や夜会では護衛を務めてくれる。休日は共に鍛錬をしたり、武器の手入れをしたり、それに――」
「ちょ……多い! 多いですって! 労働の法律とは、休日の概念って知ってます?」
「うっ、サミュは相変わらず毒舌だな。ついユーリスを頼ってしまうのだ。昔から、ずっとそばで支えてくれていたからな」
「それにしたって、おかしいと気づくべきです。コイツには婚約者がいるんですよ?」
「ぐうの音も出ん」
サミュは「はぁ……」とため息を吐き出すと、眼鏡をグイと指で押し上げた。
ユーリス、バルドゥル、サミュの三人は、同じ学び舎で騎士を目指した親しい学友であるため、身分の差はあれど、しばしば本音で語り合う。頭の固いユーリスと完璧超人じみたバルドゥルに一般人の視点でものを述べるのは、昔からサミュの役割だった。
「で、ユーリスはどうしたいの? これからも死ぬまでバルドゥル団長に、時間どころか心も捧げていくの?」
低いテーブルの向かいから、サミュの湿った視線がユーリスに突き刺さる。
もちろん、ユーリスが死ぬまでバルドゥルに仕える予定はない。ユーリスは侯爵家の嫡男であり、いずれ騎士団を退団し、領地を治める身。今は現侯爵である実父が壮健なので、敬愛するバルドゥルのそばで尽くしているのだ。
「そんなことはない」
ユーリスはふるふると首を振り、笑顔で新人騎士たちに食事を振る舞っていたアデル――いずれ、妻として迎えるはずの婚約者の姿を思い出す。
(だが、俺はあれほど満ち足りた表情のアデルを見たことがない。俺の振る舞いが、彼女を失望させていたからだ……)
「俺はいつか侯爵として、笑顔のアデルを嫁に迎えたい……。俺にも微笑んでほしい……」
ユーリスが何とか絞り出した言葉は、王国騎士団副団長としては弱々しく、頼りないものだった。しかし、今まで婚約者との関係について真剣に考えてこなかった男にとっては、これが精いっぱいだった。
「大丈夫だ、ユーリス。お前のアデル嬢への想いの深さは、俺がよく知っている。今からそれを彼女に伝えるのだ。彼女とて、わざわざこの職場を選んでいる。歩み寄りの意思が互いにあるのだから、必ず上手くいく」
「しかし、バルドゥル様……。俺がアデルに近づけるかどうか……」
「アデルさんを守り隊」とでも言おうか。
食堂で新人騎士たちにアデルとの会話を妨害された後も、ユーリスはことごとく彼らのガードに阻まれていた。料理長のグレゴまで、何かと理由をつけてアデルを表に出さない始末だ。このままだと、アデルとの関係を修復する前に、副団長としての威厳まで失墜していきかねない状況だった。
「任せろ。私に考えがある」
形の良い顎を指で撫でるバルドゥルは、騎士団旗を背に口の端を持ち上げたのだった。
◆◆◆【バルドゥル】
翌日の昼下がり――。
バルドゥルは駐屯所の執務室にアデルを呼び出した。
団員への個別面接と称し、アデルの本音をさりげなく聞き出し、ユーリスとの仲をアシストしてやろうという目的である。
バルドゥルは豪気かつおおらかな人柄により、他者から好かれやすく、心情を引き出すことに長けている。初めてまともに話すアデル相手でも、きっと彼女が望む答えを出してやれるだろうと踏んでいた。
(何より、友のためだ。自分の尻拭い以上のことをせねばな)
「王国騎士団へようこそ、アデル・クレッセント伯爵令嬢。ユーリスに軽く紹介してもらって以来だな。ちゃんとした挨拶が遅れてすまなかった。騎士団長として、君を歓迎しよう」
太陽のような笑みと共に、バルドゥルはアデルへと右手を差し出したのだが――。
「あ……あ、あああああありがたき幸せぇぇぇっ!!!」
バルドゥルの手を恭しく握り返すアデルは、手だけでなく全身が興奮で震えている。バルドゥルにまで振動が伝わってくるほどだ。
どうやらちょっと個性が強そうな子だなと思いつつ、バルドゥルはアデルと一緒になってヴヴヴヴと震えた。




