第16話:恋愛音痴末期の男
【続ユーリス】
今すぐ厨房に飛び込み、アデルを固く抱きしめたい。
もう不安に思わなくていいから、仕事をやめても問題ない。
ユーリスは今すぐに、そう伝えようとしたのだが――。
「アデルさん。美味しかったよ、ご馳走さま」
これまでユーリスの死角で昼食を摂っていたらしいサミュが現れた。
サミュは“おまかせ”セットを注文したようで、彼の持つトレイには空になった大きなスープ皿があった。
俺より先に食堂を利用するなんて、とユーリスは少し嫉妬してしまったが、サミュは駐屯所に住み込んでいるので仕方ないかと思い直す。
サミュはカウンターの向こうで料理をするアデルに声を掛け、トレイを返却している。
「料理の知識も技術も素晴らしいね。ユーリスの近くに来るために、相当努力したんでしょう? 君の料理をいつでも食べられるアイツは幸せ者だね。きっと今日も勇んで来るだろうに」
「ありがとうございます。ですが、ユーリス様はきっとお食べにならないと思います」
「え」
(え?)
料理をする手を止めたアデルの爆弾発言。着火済み。
サミュだけでなく、慌てて足を止めていたユーリスも仰天していた。
たまたま周囲がシン……となったタイミングで、アデルの声だけが響いてしまい、涙を浮かべて語る彼女の姿に皆の注目が集まっていた。
(アデル、泣いて――……)
なぜだか嫌な予感がする――と、ユーリスの胸の内の警鐘が大きく鳴るが、時すでに遅し。
「ユーリス様は一度だって、私の料理に興味を持ってくださったことがありません。あの方のお心は、すべてバルドゥル団長に向けられていますから……ぐすん」
(それは誤解だ……ッ!)
涙を指の背で拭い、悲しそうに鼻をすするアデル――。
その姿を目にしたユーリスは、動揺を隠せなかった。
「違う! そんなことは――!」
厨房に向けて叫ぼうとしたユーリスだったが、柱の陰から躍り出た途端、ギロリと鋭い刃物のような視線に射竦められてしまった。新人騎士たちが一斉に立ち上がり、ユーリスを睨んでいたのだ。
体格のいい彼らが立ち上がったために視界が遮られ、厨房にいるアデルの姿は欠片も見えなくなってしまった。
(な……なんだ? 敵意……だと……?)
上官に向けるべき眼力では決してない。
「俺はアデルに用があるだけだ。そこをどけ」
「ユーリス副団長。レオ・マクレイです。発言のご許可をいただけますか」
「……なんだ?」
ユーリスが新人騎士たちをかわして厨房に足を向けようとすると、逃がすものかと一人の騎士が前に進み出た。一段と体格のよい金髪の青年――レオは言葉遣いこそ丁寧だが、声音には物騒な色が滲んでいる。
「アデルさんと話したいのであれば、どうぞ注文の列にお並びください! 食堂には食堂のルールがあるのです!」
「なッ⁉」
レオが食堂と厨房を隔てるカウンターの前へと飛び出すと、「それ行くぞ!」と他の新人騎士たちが彼の後に続いた。あれよあれよいう間に、カウンターを覆い隠すほどの大行列ができてしまい、ユーリスは目を白黒させた。
(部下たちが、俺の邪魔を……⁉)
「あれ、ユーリス様の声が聞こえたような……」
「それよりアデルさん、オレ、スープのおかわりがほしいです!」
「僕はサンドイッチを!」
「私はお茶を」
重なり合うようにして注文を始める新人騎士たちの隙間から、アデルの声が小さく聞こえる。
しかし、ユーリスが入り込む隙はまったくない。完全に視界を阻まれている。
「おい! どういうつもりだ⁉」
「ユーリス、撤退だ!」
ユーリスが聞き慣れた声に振り返ると、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべるサミュが立っていた。眼鏡の奥から紫色の瞳が睨みつけ、ユーリスの襟首を引っ掴んでズルズルと廊下へと引きずっていく。
「なぜ俺が――」
「胸に手を当ててみろ、恋愛音痴重症患者!」
「胸に手なら、さっき当てていた。俺は、“恋の駆け引き”をしようとするアデルにときめいていた!」
「はい、黙れ」
苛立ちを隠さない友人は、ユーリスのことを「末期」と診断したのだった。
そして、アデルの涙――その原因が、玉ねぎのみじん切りであったことは、アデル本人のみぞ知る。




