5、休学中は学生なのだろうか
朝の光で目を覚ます。頭がよく回らない。もう一度まぶたを閉じた。ただ俺の部屋の台所でトントンと響く包丁の音が非日常を告げた。そしてしばらくして漂ってくるこのにおい……。
「やばい、失敗……」
呟きとパンが焦げたかのような臭い。
「…………」
「……まだ、起きてないよね?」
楓まちるだの声。俺はたぬき寝入りを決め込む。優しい知らんぷりを試みる。
「よし、起きてない」
(……ヴ)何ぃ……。
「キョ……キョウくん……?」
「…………」
「寝てるよ……ね?」
「…………」(ヴ)
震えやがった。優しくない俺の携帯め……。
「あ、起きてるんだ」
「いやぁ、朝ごはん作ってくれて失敗してるのを知らない振りしてやろうかなと……」
「失敗? 何のこと?」(ヴ)
「…………」
「…………」
「まぁ、それはともかく、何作ったの?」
「……トースト!」
ちょっと待て、包丁の音は何だったんだ!
「他は?」
「ホットミルク」
うーむ……訊くべきなんだろうか……。
「包丁は何に使ってたの?」
「包丁? 何のこと?」(ヴ)
いやしかしここは追及しないのが優しさなのだろうか。嘘を吐いてはいけないというお互いの立場を考えれば……。
「それにしても……嘘が一瞬でバレるのって、こわいね」と彼女は呟いた。
「そう? 全然こわくないね」と俺は強がってみた。が……
(ヴ)またしても震えやがった……。
「ほんと、私たちって似てるのね。超嘘つきで。親近感……湧いちゃうな」
楓まちるだはニコニコしていた。
「そうですか」
「本当はね、さっき冷蔵庫にあった食材で野菜炒めを調理していたんだけど……」
「あぁ、それを焦がしたと?」
「ううん、味見したら美味しくて全部食べちゃった」
「じゃあこの焦げの臭いは何で?」
「これ……トースト焦げた……」
「あら真っ黒」
「そう、私たちの心のように真っ黒」
「…………」
「…………」
「携帯、鳴らなかったな」
「鳴らなかったね」
どうやら俺たちの心は真っ黒らしい。
「悲しいね」
「悲しい……」
「あ、そうだ。ちなみに聞くけど、昨日の小芝居全部嘘?」
「小芝居?」
「ほら、大島さんがどうのこうのって」
「あぁ……そう、全部、嘘よ」(ヴ)
何ぃ。実話はどこに混ざってるんだ。というか、すぐ嘘で話が途切れるぞ、これ……。やはり、お互いに嘘のエキスパートだけあって、嘘を一つ吐くと、その先の話も嘘が混じるということをよく心得ている。だから会話を引っ張らない。そういったところからも俺と彼女の嘘スキルは相当な高レベルであることがうかがえる。って俺は一体何言ってんだろうね。なんだ、嘘スキルって……。
「ところで……この炭パンは誰が食べるの?」
「私おなかいっぱい」
「……俺のために焼いてくれたわけだね」
「うん」(ヴ)
うぇーい、違うのかーい。
「わざと焦がした?」
「ううん」
とりあえず食べてみる。バリ……ガリガリ、と音がする。不味い。超不味い。
「おいしい?」
「おいしくない」
当然だ。焦げた真っ黒トーストが好きな人なんて余程のマニアに違いない。少なくともそんな焦げマニアは知り合いに居ないぞ。
「ひどい」
「いやだって、立場的にこう言わないと死んじゃうし」
「たしかに……」
「ところで……さ、楓さんは、何で休学してるの?」
「え? だって学校遠いし」(ヴ)嘘らしい。
「…………」
「ていうか、教室に窓が無くて圧迫感がひどくて、それでやる気なくし――」(ヴ)嘘。
「じゃなくて……親に逆らいたくて……」(ヴ)これも嘘。
「いや、まぁ何と言うか、勉強嫌いになって……」(ヴ)嘘。
「講義もつまんないし」(ヴ)嘘。
「ああー……実は、友達いなくて、面白くなくて……」それが真実らしい。
「あぁ……そうなんだ……」俺は軽く頷きながら言った。
「キョウスケさんは?」
「全く同じ」
なんか一瞬、運命を感じてときめきそうになってしまった。危ないところだ。
「そ、そっか、あはは……なんか私だけ損した感じ……」
照れたような笑いをこぼす楓まちるだ。
「ところで、まちるださん、これから二人分食べていけるだけの資金が無いんだけど……」
「あたし無一文よ」
「何で?」
「色々あってね……」
「そっか」
嘘が出そうな話は掘らないに限る。
《キョウスケさん、マチルダさん》
「は、はい?」「何ですか?」
楓まちるだの携帯から声がした。時田まことちゃんが会話に割り込んできたらしい。
《ヒントですぅ。お金は、働いて得るものなのですよ。つまり、命を削ってお金を得るのです。お金と命は等価値なのですよ》
「え?」
《お金が温泉みたいに湧き出してるとでも思うですか? 時間の売却、つまり命の消費、金銭の獲得。この二つが社会生活において最も――》
「時間売って、命削らないとお金が得られないって?」
《そうですー。時間の経過が命を削るので、何か仕事をするのは有限の時間を売ることに他なりません! 夢を追うのもいいのです。どんな仕事をしたいかとか、そういった夢ならば……。でも、ただ好きなことをしていたい、とか、遊んでいたい。という目的のために時間を消費することは、もはや罪ですぅー。罪なので罰として死ぬべきですー》
「……えっと、じゃあどうすれば?」と、まちるだ。
《自分で考えてください。指示ではなく、ヒントですからー。それでは私はこれでっ》
「…………働けだってさ」と俺。
「でも働く時さ、身分訊かれたら、どうする? 大学生ですって言えば門は広いとは思うけど」
「でも休学中って学生って言うのかな……」
「それよね。どうなんだろうねぇ……」まちるだ。
「そういや大学の費用って、楓さんは自分で出してるの?」
「そんなお金ないわ。だから、親が……」
「俺も……」
「最低だね、私達」
「ああ、最低だな」
「……どうしよっか」
「ふぁーあ。バイトなんてしなくていっかー」
「そうねぇ。人と会うとどうしても嘘が増えてしまうものね」
「そうそう。まして人間関係でカドが立たないように嘘吐かなきゃいけないし」
「あ、ダイエットだと思えば一人分を二人で分けるのもいいかもね」
「そうだねぇ」
「頑張って生き残りましょう」
「ああ!」
どう考えてもダメ人間思考だった。




