6、消滅
「あ、ねえねえ詳しいの? パソコン」
数分後、楓まちるだは、そう言って俺のデスクトップパソコンの前に座った。
「いや、そこまで詳しいわけじゃないけど……」
「起動していい?」
「まぁ別にいいけど……」
電源ボタンが押され、起動した。
「…………あ、貸して。パスワードでロックかかってるから」
カタカタカタ
俺がパスワードを入力してネットと繋がった。
「…………」
「あ、このゲーム……」
まちるだが指差したアイコンは、俺がコトノとして活動していたゲームだった。
「あぁ、それに繋ぐのは……」
嘘が増えるから良くないぞ。
「あたしもこのゲームやってるよ?」
「え、まじで?」
「……てことは……出会ってるかもしれないね」
「さぁ……どうだろ」
「キャラの名前は?」
僅かな沈黙の後、俺は明らかに言いづらそうに、目をそらしながら、
「……コトノ」
と言った。そして、僅かな沈黙の後、彼女は言った。
「……へぁぁ?」
すごい顔をされた。
「つまり……えっと、ネカマ?」
「いや、違うんだ。違くないけど、違うんだ。誤解なんだ。コトノというのは……えっと……何て言ったら良いんだ? ネカマかどうかわかんないじゃん! コトノって名前の男かも知れないじゃん!」
ちなみに、ネカマとは……ネット上で性別を偽る画面の向こうの男のことである。ネット上のオカマということなのだろう。
「だって私、まさしってキャラだし? 女のフリしてる君のこと………知ってるし……」
「はああああっ?」
大声を出してしまった。そりゃ大声も出るさ。びっくりだ。
「まさかこんな男の人がコトノちゃんだったなんて……」
まさし……それは、コトノに散々セクハラ発言を続けてきた男の格好したキャラだった。
「えっと……つまり……ネナベ?」
「そう、ネナベ」
ネナベとは……ネット上で性別を偽る画面の向こうの女のことである。
「まさか……こんな女の人がまさしだったとは……」
「世界って狭いねー」
「狭いなぁ……」
「本当に似てるね、私たち」
「あぁ、妙な親近感が湧いてきたところだ」
その後、特筆すべきことは何事も起こらず、ただ嘘の数だけは増え続け、残り一週間になった。残り一週間で俺の日常が帰ってくるんだと考えると、少しホッとする。俺は、親の金で借りているこの六畳アパートで相変わらず楓まちるだとの共同生活を続けていた。
「まことちゃん」
《どうかしましたか?》
「今嘘何回だ?」
《六百九十九です。今のでピッタリ七百ちょうどになりましたー》
あと百か。余裕だな。
《……それにしても……二人を見てるとイライラするです》
と、突然、携帯から発せられる時田まことの声はそう言った。
「イライラって、どうしてだ?」
「ほんと、何でかしらねぇ」
《働きもせず、何をするでもなく、ただ時間を浪費して、何も無い日々で、そんなの人間じゃない!》
「へー」「へー」
《いい? 嘘つきニートども》
「ニートじゃないから。まだ学生だから」と俺。
「そうよ。学生よ。休学中だけど」とまちるだ。
《精神は荒廃しきってもうニートまっしぐらじゃない!》
「そうですか」俺。
「そうらしいですよ?」まちるだ。
《いらいらいらいらいらいら! あぁ! もう! いい? 社会に守られている以上、社会に貢献するべきなのよ! 国に守られている以上、国に貢献するべきなのよ! そうでないなら国を出なさい! 地球に守られているなら地球に貢献すべきなのよ! そうでないなら地球から出て行きなさい! 人間社会の手の届かない場所に行きなさい!》
「死ねってことだな?」
「そうよね、今のは死ねってことよね」
《いらいらいらいらいらいら!》
もうなるべく、一回の嘘も吐かないようにしようと思った。百回の嘘なんて、嘘のエキスパートにとってはあっという間だ。もうこれから一回も外に出なければ嘘を吐く必要もない。何にも気付かなければ、何も考えなければ嘘を吐く必要もない。あ、何も考えないとか、これいわゆる無の境地じゃないか。悟りの境地っての。格好よくね?
《楓まちるだ》
「何よ」
《将来の夢は?》
「そんなの無いわよぉ」(ヴ)
《好きな人はいる?》
「いなーい」(ヴ)
《最後の質問。あなたは、この一ヶ月間の生活、生きてたって言える?》
「生きてるわよ、生きてるじゃない。ほら、見てみてぇ、動く動く……あーおなかすいた。ねぇ、キョウちゃん。ご飯は?」
「さっき食べたばっかりでしょ……」
「えー、うそだー」
「嘘じゃないよ、ほら、携帯も震えてない」
俺は自分の携帯を誇らしげに見せ付けた。
「あー、何か面白いことないかなー」
「一週間経ったら、何か探しにいこうよ、二人で」
「あ、それ良い! ナイスアイデア!」
「だろ?」
「嘘吐いちゃダメだよ? 土壇場でキャンセルとかしたら泣かすよ?」
「えぇ? 楓ちゃんのが嘘吐くじゃん……」
「いやいや、私嘘なんか吐いたことないよ? 嘘ひとつ無い正直な野原みたいな女だよ」
(ヴィイイイイ!)
いつもと違う音がした。その音は、まるで、クイズ番組の、不正解の音のような音色。濁った不快な音。大音量が、六畳一間のアパートに、響き渡った。
「え? まーこちゃん? 今の音、何?」
戸惑う楓まちるだ。
《残念ね……》
「え?」
《今の八百一回目の嘘、つまり八百回の嘘を……越えたわ》
「え? え? ……そんな! 嘘でしょう?」
《嘘吐かないわ》
「え? 待って! 死にたくない! まだ! あれ? ごめんなさい! もうしないから!」
《何を?》
「もう嘘吐かないから! 許して! 死ぬの嫌! あ……あれ? 体が透けてきて……え? あらら……あららら……」
「楓ちゃん!」
《もう、サヨナラよ》
「あ……や……キョウちゃん! たすけ――」
それが、最期の言葉だった。楓まちるだは、俺の部屋に霧散した。それは、それ以上ないほどにあっけない……俺の知っている死より、ずっとあっけなくて、残酷だった。その現象を、死と表現していいのかどうか迷うような……。
「う……うわあ……ううあうあわああああ!」
叫んだ。自然と、叫び声が出た。
「ううああああああ!!」
ガン! ゴト……。と音がした。俺の投げた彼女の携帯が、壁に当たって、落ちた。
「あ、あ……ああ……うわああああああ!」
こわい。
こわい。こわい……。
死ぬ……俺も……あんな風に、無くなる………こわい!
(ピンポーン)
来客の音がした。誰か来たらしい。
何だよ。こんなときに。出てる場合じゃねえっての!
(ヴ)
「おい! どうなったんだよ! どうなってんだよ! 彼女はどこに行っちまったんだよ!」
《だから……死んだのよ……》
「嘘だ! 嘘だろ! 嘘!」
《嘘吐かないわ》
「だって! 彼女別に悪い娘じゃなかったじゃないか! 何で? 何でだよ!」
《働かないことは、悪よ》
「はぁ! 善も悪もねぇよ! 何で? 何で!」
(ピンポーン)また、音がした。
「ああ? ピンポンピンポンうるせえよ!」
「二井戸さん? どうかしましたか?」
ドアの向こうからの声。隣に住んでいる男の声だった。
「どうもしませんよお!」(ヴ)
「どうもしてねえっての!」(ヴ)
「どうもしてねえだろ!」(ヴ)
「だ、大丈夫ですか?」心配する隣人。
「大丈夫だよ!」(ヴ)強がって嘘吐く俺。
「あの……でも……」
俺はガチャリと扉を開けて、顔を出す。
「大丈夫ですから……大丈夫ですから」(ヴ)(ヴ)
「そ、そうですか……」
明らかに、不審なものを見る目をしていた。
「あ、劇の練習です。ちょっと今度学校のサークルでやるんで」(ヴ)(ヴ)
「あ、あぁ、そうなんですか。急に何事かと思いましたよ」
「あはは、すいません。ちょっと凄まじい役なんで」(ヴ)
「どんな役です?」
「薬物による精神異常者がテーマのもので、薬やめ郎っていう男の役です」(ヴ)(ヴ)
「へぇ……それは本格的だなぁ……劇団か何かに入ってるの?」
「いえ、学校のサークルで……」(ヴ)
「まぁ、僕は理解あるからいいけど……大声は迷惑になるからさ、控えた方がいいと思うよ?」
「はい、ちょっと役にのめりこみ過ぎまして」(ヴ)
「何かちょっと顔色悪いね。ちゃんと食べてる?」
「あ、ハイ食べてます」(ヴ)
「本当?」
「あ、いえ、役作りなんで」(ヴ)
「どっち?」
「食べてます食べてます。はい。生きてます」(ヴ)(ヴ)
「そっか、じゃあ、頑張ってね」
「はい、すみませんどうも」
俺が言って、バタンと扉は閉じられた。
「…………楓ちゃん? あれぇ?」
《あなたも、今のままだとああなるわ》
「……こええ……」
《そうね。こわいわね》
「時田まことちゃん……今さらな質問していい?」
《どうぞ》
「何で嘘八百回吐いたくらいで死ななきゃならんの?」
《そういう、きまりなのよ》
「……へぇ、でも、俺達なんかより嘘吐いてる奴らいっぱいいるじゃん」
《そうね》
「じゃあ何でそいつらのところに行かないの?」
《あなたには、更生して羽ばたく可能性が……あるのよ……》
「…………ねぇよ……」
小さな声で、呟いた。




