↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
稲沢除雪隊〜黒い獣〜  作者: 只野屍
第一章 冬支度
PR
5/33

第四話 黒いもの

 早く降った雪は、長くは残らなかった。


 初除雪から数日もすると気温が上がり、雨も降った。田んぼを覆っていた白はところどころ土の色に戻り、道路脇へ押し出された雪も見る間に小さくなっていった。竹立てもひと通り終わったが、だからといって仕事がなくなるわけではない。本格的に雪が降り始めるまでに、やっておくことはいくらでもあった。


 その日の仕事は、道路の穴埋めだった。


「ここだな」


 黒沢が道路脇に停めたダンプから降りた。


 舗装には深さ数センチほどの穴が開いていた。大きさは三十センチ四方を優に超えている。この程度なら除雪作業そのものに支障が出るわけではない。ただ、一般車がまともに踏めばタイヤを取られるし、場合によってはパンクの原因にもなる。


 雪が積もれば、穴はいったん雪で埋まって見えなくなる。厄介なのは、その雪が溶ければまた同じ穴が顔を出すことだった。冬の初めはそれを何度も繰り返す。だから路面が出ている今のうちに、見つけたものから塞いでいく。


 浩志はダンプの荷台からアスファルトの補修材を降ろした。袋を開けると、黒い粒状の補修材がばらばらと出てくる。砕いたアスファルトのような見た目で、油分を含んでいるため触れると少しベタつく。


「これくらいだべ」


「んだな」


 穴へ補修材を入れ、スコップで均す。あとでプレートを掛ければ沈む。その分を見越して、周囲の舗装より少し高くなるように最初から量を決めて入れた。


 夏樹がプレートを持ってくる。エンジンを掛けると、小さな機械がけたたましい音を立てて振動を始めた。


 ダダダダダダダダ――。


 補修材の上を何度か往復させる。盛っていた黒い粒が少しずつ締まり、やがて周囲の舗装とほぼ同じ高さになった。


「いいべ」


「んだな」


 最後に水を掛ける。水で固まる補修材なので、あとはしばらく置いておけばいい。


 浩志にとって、道路上でこうした作業をすること自体は珍しくなかった。稲沢地区へ来る前、高速道路の除雪をしていたころにも経験している。ただし、同じ道路作業でも、やり方はまるで違った。


 高速道路では、いきなり車を停めて作業を始めるなどあり得なかった。作業箇所の十メートル以上手前から矢板を三枚置き、カラーコーンで作業場所を確保する。警笛を持った監視員を置いて接近する車両を見張らせ、そこまでやってようやく作業員が道路へ出る。


 稲沢地区へ来て初めて道路補修をしたとき、浩志は当然のように聞いたものだった。


「矢板、どこにあるんすか?」


「矢板?」


「規制するやつ」


「いらねべ」


「え?」


「車来たら避げればいい」


 冗談だと思った。冗談ではなかった。


「車来たぞー」


 黒沢の声に浩志が顔を上げた。


「はいよー」


 夏樹がプレートを道路脇へ寄せ、三人も路肩へ避ける。一台の軽自動車が速度を落として横を通り過ぎていった。


 黒沢がその後ろを確認する。


「行ったぞー」


「はいよ」


 再びプレートを道路へ出し、何事もなかったように作業を再開する。


 四年目になった今では、浩志も何とも思わなくなっていた。最初はあまりの緩さに戸惑った。本当は駄目なのだろうということくらい、今でも分かっている。それでも交通量の少ない稲沢地区で毎日仕事をしているうちに、自分もすっかりこちらのやり方に染まってしまった。


「次どご?」


「もうちょい先」


「へば行くべ」


 道具を積み直し、三人は次の穴へ向かった。


 昼前、最後の穴を埋め終えて道具を片付けていると、黒沢がふと思い出したように浩志へ声を掛けた。


「かべちゃん、神様どうなった?」


「建設課でなんとかするんでねえの」


 夏樹がプレートを荷台へ積みながら言った。


「モルタルでくっつければいいべ」


「俺が?」


「浩志さんならできるべ」


「でぎるど思うけど、勝手にやったらあの爺さんまた怒るべ」


「ああ、それは怒るな」


 夏樹が笑った。


「『荒神様どご勝手に直して、なんとしてけるなだ!』ってまた電話来るぞ」


 黒沢があの老人の真似をして言った。


 浩志も笑いながら首を振った。


「祟りよりおっかねぇ」


 三人で笑って、それで話は終わった。


 午後も細かな仕事をいくつか片付け、四時五十分を過ぎたころに詰め所へ戻った。畳敷きの部屋にはすでに何人か集まっていて、ストーブが点いている。浩志はコーヒーを淹れて畳へ座った。


「明日何する?」


「まだ穴あるべ」


「あるある。祐介の路線の方ひでえぞ」


「グレーチングも一か所直さねばねえな」


 そんな話をしているうちに退勤時間になった。皆でタイムカードを押し、「お疲れさーん」「お疲れー」「また明日」と声を掛け合って散っていく。


 いつも通りの一日だった。


     *


 西田新聞店の朝は早い。もっとも、世間一般の感覚なら、まだ朝ですらなかった。


 午前二時を過ぎたころ、店の中では三人が配達の準備をしていた。


 店主の西田敏夫。妻の照子。そして息子の吉輝。家族三人で配達区域を分担しており、敏夫は軽トラ、照子は軽バン、吉輝はヴィッツを使っていた。


 それぞれの担当分を車へ積み込んでいく。毎朝繰り返している作業なので、大した会話もない。


 新聞の束を抱えて外へ出た吉輝が空を見上げた。


「雪降ってきたな」


 街灯の光の中を、細かな雪がちらちらと落ちていた。


 敏夫も外へ出て空を見た。


「積もるほどでねえべ」


「予報もそんなだったな」


 照子が最後の束を軽バンへ積み込む。


「へば行ってくる」


「はいよ」


「気ぃつけで」


 三人はそれぞれの車に乗った。軽トラ、軽バン、ヴィッツの三台が、まだ眠っている町の中へ別々の方向に走っていった。


 敏夫はいつもの道を走った。何年も新聞を配り続けている道だった。


 どの家がどの新聞を取っているか。どこへ車を置けば効率よく回れるか。どの家のポストが玄関横にあり、どこは道路際にあるか。いちいち考える必要もない。身体が覚えていた。


 ある集落に入ったところで、敏夫は軽トラを道路脇へ停めた。助手席から新聞を数部抜き取り、脇に抱える。


 この辺りは、ほとんどが一軒家だった。一軒配るたびに車へ戻り、数十メートル動かしてまた降りる。そんなことをしていては時間ばかりかかる。何軒分かをまとめて持ち、歩いて配るのがいつものやり方だった。


 一軒目のポストへ新聞を入れ、そのまま隣へ歩く。二軒目、三軒目と順番に配っていく。


 細かな雪はまだ降っていたが、路面を白くするほどではない。アスファルトは黒いままだった。風もほとんどなく、辺りは静まり返っている。時折、遠くで車の走る音が聞こえるくらいだった。


 最後の一部をポストへ差し込む。


 これで、この辺りは終わりだった。


 空になった手を防寒着のポケットへ入れ、軽トラへ戻り始める。何気なく前を見たとき、敏夫は足を止めた。


「ん?」


 道路の先に、何かいた。


 黒い。


 最初は犬かと思った。だが、犬にしては大きい。


「……イノシシ?」


 大きさだけなら、それくらいだった。


 この辺りで野生動物が出ても不思議ではない。敏夫はすぐには動かず、その場で様子を見た。


 だが、妙だった。


 街灯は点いている。道路も見える。電柱も家も、道路脇の枯れ草も見えている。空から落ちてくる細かな雪も、街灯の光を横切るたびに白く浮かび上がる。


 なのに、そこにいるものだけがよく見えない。


 黒い。


 ただ黒い。


 黒い毛をした動物なら、光の当たる部分と影になる部分があるはずだった。それがない。毛並みも見えず、顔がどちらを向いているのかさえはっきりしない。


 まるで、その形に合わせて景色を黒く切り抜いたようだった。


「なんだ、あれ……」


 敏夫は目を凝らした。


 やはり分からない。熊かと思ったが、それにしては小さい。イノシシなら大きさは合うが、こんなふうに見えるものなのか。


 敏夫はゆっくり一歩下がった。


 軽トラは十数メートル先にある。


 黒いものが動いた。


「……おい」


 こちらへ歩いてくる。


 敏夫も軽トラへ向かって歩き始めた。まだ走らなかった。野生動物を相手に背中を見せて走っていいものか、それすら分からない。


 黒いものも歩いてくる。


 敏夫が歩調を速めると、向こうも速くなった。


「来んなよ……」


 軽トラまで十メートルほど。敏夫は何度も振り返りながら歩いた。


 距離が縮まっている。


 近づいてきても、その姿は相変わらず黒い塊にしか見えなかった。


「なんなんだよ……」


 とうとう怖くなった。


 敏夫は背を向けて走った。


 同時に、後ろから地面を強く蹴る音がした。


 速い。


 さっきまでとはまるで違う。


「うわっ!」


 敏夫は軽トラへ駆け寄った。運転席へ回ってドアを開けている暇はない。そのまま車の後ろへ走り、荷台へ両手を掛けた。


 背後から、地面を蹴る音が急速に迫ってくる。


「うわっ、来んな!」


 腕に力を込め、身体を持ち上げた。腹が荷台の縁へ乗る。足を蹴り上げる。


 長靴の先が地面から離れた。


 その瞬間。


 黒いものが、敏夫めがけて突っ込んできた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。