第二話 竹立て
出陣式が終わると、稲沢地区の冬支度はいよいよ本格的になった。
雪が積もる前に済ませておかなければならない仕事はいくつもある。その中でも毎年それなりの日数を取られるのが、道路脇への竹立てだった。
竹を立てる一番の目的は、道路と路肩の境目を示すことにある。
雪のない時期なら、舗装の端を見ればどこまでが道路なのか分かる。側溝も縁石もガードレールも、そのまま目で確認できる。
だが、雪が積もればそうはいかない。
道路も路肩も、その外側の田んぼも、すべて白くつながってしまう。まして深夜、雪が降り続く中を除雪車で走れば、ヘッドライトの先に見えるのは一面の白だけだ。
どこまで排土板を出していいのか。
どこから先へ出してはいけないのか。
その目印になるのが竹だった。
道路と路肩の境に沿って一定の間隔で竹を立てておけば、雪が積もって舗装の端が見えなくなっても、オペレーターは竹の並びを見ながら道路の形を追うことができる。
竹より外へ出しすぎれば、側溝へ落とすこともある。逆に怖がって内側ばかりを掻けば、雪が道路に残り、降るたびに道幅が狭くなっていく。
だから竹は、除雪をする人間にとって大事な目印だった。
使う竹にも種類がある。
普通の道路脇に立てるのは、先の方を赤と白の縞模様に塗った竹。
ガードレールがあるところでは、黄色と白に変わる。ガードレールそのものが雪壁の中へ隠れても、黄白の竹が続いていれば、その脇にはガードレールがあると分かる。
さらに、絶対に接触してはいけないものがある場所では、その場で竹へピンク色のリボンを巻く。
スノーポールのない縁石、道路を横断する水路の継ぎ目、電柱から地面へ斜めに伸びる支線。
赤白は、道路の端。
黄白は、ガードレール。
ピンクは、絶対に当てるな。
そうやって、これから雪に消えてしまう道路へ、先に目印を付けておく。
それが竹立てだった。
そして、その竹は今年になってから用意したものではない。
今年使う竹を作り始めたのは、前年の十一月だった。
除雪の仕事は、雪が降れば忙しい。だが、毎日朝から晩まで仕事があるわけでもない。深夜から早朝に除雪へ出ても、そのあと日中の排雪などがなければ時間の空く日がある。
そんな日に、翌年使う竹を塗る。
単管パイプで作った台へ竹を載せ、二人一組になる。一人が竹をくるくる回し、もう一人がローラーでペンキを塗る。
赤と白。
あるいは黄色と白。
塗り終わった竹は別の者が受け取り、乾かす場所へ運ぶ。
除雪の合間の暇な日に少しずつ作りためてきた竹が、一年近く経って、ようやく道路へ立てられる。
*
朝八時十分。
「おはようございまーす」
浩志が詰め所の戸を開けると、いつもの顔ぶれはほとんど揃っていた。
「おせえぞ、かべちゃん」
コーヒーを飲んでいた譲が言った。
「まだ二十分あるべ」
「かべちゃん、一番家近えのに毎日最後だな」
「近けぇがら、ゆっくり出てもいいんだよ」
「どんな理屈だよー」
勤務開始は八時半だった。
皆、だいたい八時を少し過ぎたころには来ている。だからといって早く仕事を始めるわけでもない。畳敷きの詰め所でコーヒーや茶を飲み、テレビを眺めたり、どうでもいい話をしたりしながら時間を待つ。
浩志も上着を脱いで座った。
向かいでは祐介がスマートフォンを眺めている。
智也が、ふと思い出したように言った。
「祐介、昨日パチンコ屋さいだべ」
祐介の指が止まった。
「……なんで智也さん、知ってるんすか」
「車あったもの」
「見てたんすか?」
「俺もいたからだべ」
「じゃあ、お互い様じゃないっすか」
「俺は別に隠してねえもの」
「俺も隠してないっすよ!」
詰め所に笑いが起きた。
浩志も笑いながらコーヒーを飲んだ。
「智也さん、ほんと人のことよく見てるな」
「たまたまだ」
「そのたまたまが多すぎるんだよ」
八時半になった。
夏樹が時計を見て立ち上がった。
「へば、竹やるぞ」
皆がカップを置いた。
*
竹立ては、全員で一つの路線を片づけていく仕事ではない。
地区内の路線をいくつかに分け、二人か三人で班を組んで同時に進める。
特に距離の長い二本のグレーダー路線には、それぞれ三人が付いた。
浩志の路線は、浩志、夏樹、黒沢。
祐介の路線は、祐介、譲、智也。
残る土田と辰雄、石田も別の路線へ回る。
浩志たちは、前年から作りためておいた竹をダンプの荷台へ積んだ。
赤白。
黄白。
かなりの本数を積んでも、一日やれば減っていく。
穴を開けるための鉄棒も載せる。
「こんなもんでいいべ」
黒沢が荷台を見た。
「足りねぐなったら取りに戻ればいい」
三人はダンプへ乗り、担当路線へ向かった。
現場へ着くと、役割は決まっていた。
黒沢がダンプ。
浩志が鉄棒。
夏樹が竹。
先頭を行くのは黒沢だった。
といっても普通に走るわけではない。
ダンプは、人が歩く程度の速度で道路脇をゆっくり進む。
その後ろを浩志と夏樹が徒歩でついていく。
黒沢が少し先でダンプを止めた。
夏樹が荷台から赤白の竹を数本抜き、肩に担いだ。
「この辺からでいいべ」
「はいよ」
浩志が道路脇へ鉄棒を突き立てる。
ぐっと体重をかけ、何度か突いて穴を作る。
鉄棒を引き抜く。
すぐ後ろから来た夏樹が、担いでいた竹を一本抜いて穴へ差し込んだ。
それで一本。
二人はすぐ次へ歩く。
浩志が穴を開ける。
夏樹が竹を立てる。
また歩く。
少し先では、黒沢のダンプが二人の歩調に合わせてのろのろ進んでいる。
夏樹の担いだ竹が減れば、先行するダンプへ追いついて荷台から数本取る。
また歩く。
穴を開ける。
立てる。
歩く。
その繰り返しだった。
「この先ガードレールだぞ」
黒沢が運転席の窓から言った。
「黄色だべ」
「んだ」
夏樹が荷台から黄白の竹を数本抜いた。
ガードレールの始まりから、立てる竹が黄色と白に変わる。
浩志が穴を開ける。
夏樹が黄白を差す。
一本。
また一本。
その先を黒沢のダンプがゆっくり進む。
「竹立てって、こんな歩いたっけ」
浩志が鉄棒を肩へ担いだ。
「毎年言ってるべ」
夏樹が答えた。
「俺、鉄棒持ってる分だけ損してね?」
「俺も竹持ってるべ」
二人の少し先を、黒沢のダンプがのろのろ走っている。
浩志がそれを見た。
「黒さんだけ楽でね?」
運転席の窓が開いた。
「聞こえてるぞ」
「耳いいな」
「代わるか?」
「いや、いい」
「だったら歩け」
「はいはい」
浩志は鉄棒を担ぎ直した。
*
一本一本は単純な作業でも、何キロも続けばそれなりにきつい。
しばらく進んだところで、夏樹が道路脇を見た。
「ここ、ピンク巻いどくべ」
道路を横断する水路の継ぎ目がある。
浩志が鉄棒で穴を開けた。
夏樹が赤白の竹を差し、その竹へピンク色のリボンを結ぶ。
「これ引っ掛ければ嫌だな」
浩志が継ぎ目を見た。
「嫌どころでねえべ」
「グレーダー止まるかな」
「おめの心臓は止まるかもしれねえな」
「それは困る」
「だったらピンク見落とすな」
「はいはい」
竹は道路の端を教えてくれる。
だが、竹だけを見ていれば除雪できるわけでもない。
マンホールや橋の継ぎ目など、自分で場所を覚えておかなければならないものはいくらでもある。
浩志も稲沢地区でグレーダーに乗って四年目になった。
最初のころに比べれば、担当路線のどこに何があるのかはだいぶ頭へ入っている。
一度排土板を当てた場所は、特によく覚えた。
以前、家の前に出ていた住民が気になって、少し多めに雪を持っていってやろうとしたことがある。
そのときは寄せすぎてグレーチングを引っ掛け、壊した。
黒沢と二人で直す羽目になった。
「おめ、余計なことするからだ」
あのとき黒沢にはそう言われた。
ほかの連中は勤務も長い。
除雪中に家の前へ出てくる住民がいても、それほど気にしない。
浩志はどうも放っておけなかった。
除雪車が来る前に家の前を片づけている人を見ると、なるべく雪を残さないようにしてやりたくなる。
それで失敗する。
それでも、次に誰かが出ていれば、やっぱり気になる。
性分なのだろう。
*
十一時半を過ぎたころ、黒沢がダンプを止めた。
「午前、ここまでにするか」
「んだな」
浩志と夏樹がダンプへ乗り込んだ。
詰め所へ戻る途中、黒沢はコンビニの駐車場へ入った。
駐車場には、別路線を回っていたユニックも停まっていた。
「祐介たちもいるな」
店へ入ると、祐介が飲み物を選んでいた。
その向こうで進藤がカップラーメンの棚を見ている。
浩志は、その姿を見ただけで笑った。
「また?」
「まだ何も言ってねえべ」
譲が振り返った。
そしてカップラーメンを一つ取った。
「たまにはやるべ」
「ほら」
「何よ」
「この前も食ってたべ」
「たまにだ」
「全然たまにでねえよ」
夏樹も棚から一つ取った。
「親方も食うんじゃねえか」
「たまにはな」
「だから、たまにでねえって」
祐介も持っている。
智也も一つ取った。
「おめら弁当あるんだべ?」
浩志が聞いた。
「あるよ」
譲が答えた。
「じゃあラーメンいらねえべ」
「弁当だけだば足りねえもの」
「毎回食ってれば太るぞ」
「冬になれば動くから大丈夫だ」
「重機の中で座ってるだけだべ」
「うるせえな」
結局、弁当組の何人かがカップラーメンを買った。
浩志は昼飯を家で食べるので、飲み物だけを買った。
*
午後も同じ作業が続いた。
黒沢のダンプが先を行く。
浩志と夏樹は歩く。
浩志が鉄棒で穴を開ける。
夏樹が竹を立てる。
竹がなくなれば、前を走るダンプへ追いついて補充する。
また歩く。
何時間も続けていると、さすがに話すこともなくなってくる。
浩志は鉄棒を突き、抜いた。
次へ歩く。
また突く。
「なんか冷えできたな」
浩志が言った。
夏樹が空を見上げた。
「んだな」
黒沢もダンプの窓を開けた。
「週末、雪マーク付いでらったぞ」
「降るの?」
「天気予報ではな」
浩志も空を見た。
雲が厚くなっていた。
「十一月だもの。雪くらい降るべ」
「積もらねばいいけどな」
夏樹が言った。
「まだ大丈夫だべ」
それで天気の話は終わった。
十一月に雪が降ること自体は珍しくない。
朝起きれば屋根や田んぼが白くなっている日もある。昼になれば雨に変わり、いつの間にか消えている。
除雪が必要になるほど積もるかどうかは、また別の話だった。
*
竹立ては翌日も続いた。
その次の日も続いた。
朝八時過ぎに詰め所へ集まり、八時半になればそれぞれの路線へ出る。
午前中いっぱい歩く。
昼前には、途中でコンビニへ寄ることもある。
「たまにはやるべ」
「昨日もやったべ」
「昨日は昨日だ」
午後になれば、また歩く。
全路線を終えるまで、おおむね一週間。
土日は休みだから、実働なら五日ほどだった。
木曜日。
祐介たちのグレーダー路線は、ほぼ終わりが見えていた。
一方、浩志たちにはまだ先が残っている。
浩志の担当路線は長かった。
川の西側を南北に走る県道の一部にも、まだ入っていない。
県道とはいっても交通量は少ない。川の東側を走る道の方が車は多く、西側は道路のすぐ近くまで山林が迫るところもある。田んぼの間には十数軒ほどの家がぽつぽつと建っていた。
その道路脇。
夏なら草に隠れて見落としてもおかしくない場所に、高さ三十センチほどの古い石像があった。
当然、まだそこには竹は立っていなかった。
「今日じゃ終わらねえな」
午後四時を過ぎたころ、浩志が残った路線を見て言った。
「明日で終わるべ」
夏樹が答えた。
「んだな、あと一日あれば終わるべ」
別に作業が遅れているわけではなかった。
例年と変わらない進み方だった。
それだけのことだった。
*
四時五十分ごろ、三人は作業を切り上げた。
ダンプで車庫へ戻り、鉄棒や余った竹を片づける。
それから詰め所へ上がった。
畳敷きの部屋に座り、コーヒーや茶を飲む。
仕事はほぼ終わっているが、勤務時間は五時十五分までだった。
祐介がスマートフォンで天気予報を見ていた。
「月曜、結構降るみたいっすよ」
「何センチ?」
譲が聞いた。
「日曜の日中から降りそうですね」
夏樹も自分のスマートフォンを取り出した。
「ほんとだな」
「積もるがな?」
浩志が言った。
「どうだべな」
「明日で竹できるかな」
「まあな」
誰も大騒ぎはしなかった。
十一月に雪が降るのは普通のことだった。
珍しいのは、そのまま根雪になることや、除雪車を出さなければならないほどまとまって積もることだった。
五時十五分。
「へば、お疲れさまでした」
「お疲れー」
皆がタイムカードを押し、そそくさと帰宅した。
*
次の日になって、予報はさらに悪くなった。
今日は竹立ての続きをする。
皆そのつもりだった。
ところが、日曜から月曜の朝にかけてまとまった雪になる可能性が高くなった。
除雪が必要になるかもしれない。
皆が集まったところで、夏樹が天気予報を見ながら言った。
「これ、積もりそうだな」
浩志が聞いた。
「竹どうする?」
「後だな」
夏樹はスマートフォンをしまった。
そうなれば竹立てより先にやらなければならない仕事がある。
重機のチェーン掛けだった。
「雪積もりそうだから、チェーン掛けるべ」
誰も反対しなかった。
除雪出動が決まってからでは遅い。
重機用チェーンは、すでに車庫へ用意してある。
すり減った部分には、肉盛り用の溶接棒で肉を盛ってある。
直営で使うチェーンは、それだけではない。
雪へ食い込む横のコマを、入れられるだけ増やしてある。
全コマ。
普通のチェーンよりコマ数が倍以上で、馬鹿みたいに重い。
浩志は自分のグレーダー用のチェーンを見下ろした。
去年まではコマ数はスタンダードだった。
ほかの連中の機械が全コマなのを見ているうちに、だんだん羨ましくなった。
そこで前年の除雪出動がなくなった春先、自分のチェーンにもコマを増やした。
出来上がったときは満足していた。
今、車庫の床に横たわる鉄の塊を見ると、少しだけ後悔した。
「これ掛けるの、大変だな……」
黒沢が横から言った。
「おめが増やしたんだべ」
「作ってるときは格好いいと思ったんだよ」
「チェーンの何が格好いいんだ」
「全コマだぞ」
「知らねえよ」
そう言う黒沢の機械も全コマである。
そこへ土田がやってきた。
浩志のグレーダーと、床に広げられた全コマのチェーンを交互に見る。
いつもの真面目な顔のまま言った。
「浩志さん」
「何?」
「浩志さんのグレーダー、これで六十キロ出るぐなったべ」
浩志も真顔になった。
「マジか!」
「速えっすよ」
「じゃあ今年、仕事早く終わるな!」
一瞬の間があった。
祐介が最初に吹き出した。
「出るわけねえべ!」
「つっちーが言ったんだよ!」
「信じる方がおかしいっす!」
「信じてねえよ!」
車庫の中に笑い声が響いた。
夏樹が手を叩いた。
「はいはい。遊んでねえでやるぞ。今日、全部掛けるから」
全員が動いた。
チェーン掛けは一人でやる仕事ではない。
夏樹も含めて総出だった。
浩志はグレーダーへ乗り込んだ。
後ろには四本のタイヤがある。
そのうち後ろ側の二本で、用意した太い垂木を踏む。
黒沢が外から手で誘導する。
「もうちょい」
浩志がゆっくり動かす。
「もうちょい……そこ!」
ブレーキを踏んだ。
後ろ側のタイヤが垂木へ乗り上げる。
すると、その前にある二本の後輪が地面から垂木分わずかに浮く。
重いグレーダーを、乗用車のようにジャッキアップして作業するわけにはいかない。その隙間を利用してチェーンを掛ける。
浩志もサイドブレーキをかけて、エンジンを切って降りた。
全コマのチェーンを広げる。
「せーの」
三人で持ち上げた。
「重っ!」
「だからおめが増やしたんだべ!」
「それ何回言うんだよ!」
タイヤの上からチェーンを被せる。
一コマずつタイヤのブロックに掛けていく。
ただ力任せに引っ張るだけでは重機のチェーンは張れない。
「ハンマー」
黒沢が手を出した。
ガン。
ガン。
チェーンを叩く。
反対側からも叩く。
何人かでタイヤの周囲を回りながら叩き、チェーンを馴染ませる。
少し引く。
また叩く。
ガン。
ガン。
「もうちょい来るぞ」
「引っ張れ」
「はいよ」
少しずつ、張りを詰めていく。
一台だけではない。
ローダーもグレーダーも、使う機械すべてにチェーンを掛ける。
車庫の中には、鉄を叩く音が何度も響いた。
浩志は額の汗を袖で拭った。
「雪降る前から疲れるな」
「これからだべ」
黒沢が言った。
「知ってるよ」
竹立ては、まだ終わっていない。
浩志の担当路線には、道路と路肩の境を示す竹が一本も立っていない区間が残っている。
それでも今は、除雪の準備が先だった。
雪が積もれば、まず道路を開けなければならない。
一度でも除雪に出れば、排土板で掻いた雪は道路脇へ寄せられる。
そうなると、残った竹立てが面倒になる。
竹を立てるはずだった道路脇には、除雪で寄せた雪が溜まってしまう。あとから竹を立てるには、その雪を一本ごとにスコップで寄せ、下の地面を出してから鉄棒で穴を開けなければならない。
できない仕事ではない。
ただ、ひどく手間がかかる。
浩志は車庫の外を見た。
「積もらねばいいけどな」
誰かがそう言った。
それ以上、その話をする者はいなかった。




