第一話 任用
十一月も半ばになると、眞壁浩志の仕事は畑から道路へ移る。
春から秋まではトマト農家としてハウスに立ち、収穫を終えて片づけが一段落すると、市の除雪オペレーターとして冬を迎える。今年で四年目だった。
初出勤の日、浩志は市から支給された上下グレーの作業着に袖を通した。普段の汚れ仕事では別の服を着るため、この作業着を着るのは任命式や出陣式など、少しかしこまった日が多い。鏡を見ると、今年も冬が始まるのだという実感が湧いた。
市役所には、市内四地区から期間オペレーターたちが集まっていた。
会場には見慣れた顔も多い。毎年顔を合わせる者たちは、開始前から小声で世間話をしている。
やがて式が始まった。
建設課から冬期間の道路維持について説明があり、その後、地区ごとに名前が呼ばれていく。
「稲沢。進藤譲」
「はい」
譲が立ち上がった。
三十八歳。若く見えるが、二十歳から除雪に携わっているため、稲沢では最も勤務歴が長い。
「黒沢馨」
「はい」
「佐藤智也」
「はい」
「土田弘行」
「はい」
「佐々木辰雄」
「はい」
勤務歴順に名前が読み上げられ、そのたびに一人ずつ立ち上がって返事をする。
「安倍祐介」
「はい」
三十歳の祐介が立った。
その次だった。
「眞壁浩志」
「はい」
浩志も席を立つ。
四十八歳。
祐介より十八も年上だが、市の除雪では浩志の方が後輩だった。ここでは年齢ではなく勤務歴がすべてである。
「石田正雄」
「はい」
最後に石田が立った。
六十六歳。今年採用されたばかりの新人だが、担当は融雪剤散布車だけと決まっている。この冬、新車の融雪剤散布車が稲沢へ配備され、その専任として採用された。
六十六歳、その歳で採用されるということは、それだけ除雪作業の担い手の現状が分かる。
全員の呼名が終わると、地区代表として再び進藤譲の名前が呼ばれた。
譲は前へ進み、建設課長から任命状を受け取る。
一礼して席へ戻ると、会場は次の地区へ移っていった。
それだけの簡素な式だった。
けれど浩志にとっては、冬の仕事が正式に始まる日でもあった。
*
任命式を終えると、稲沢の面々は重機車庫へ戻った。
広い車庫の中には、この冬を共に過ごす機械が静かに並んでいる。
浩志は一番奥へ歩いた。
コマツGD705。
今年も自分が乗るモーターグレーダーだった。
最新型ではない。むしろかなり古い部類に入る。それでも浩志にとっては四度目の冬を迎える相棒である。
普通、市の除雪へ入った新人はローダーから始めることが多い。
浩志だけは一年目からグレーダーだった。
採用面接のとき、以前の仕事について聞かれた浩志は正直に答えた。
「高速道路の除雪を四年やってました。主に除雪トラックです。ローダーはあまり乗ったことありません」
高速道路の除雪トラックには、車体前方へ大きなプラウが付いている。雪を抱えながら左側へ流し、さらに車体の腹下にあるブレードで路面を削る。
その経験を聞いた建設課長が、
「だったらローダーより、グレーダー乗せた方いいんでねえが」
と決めた。
前年までその路線を担当していたのは黒沢だった。
一年目の浩志は黒沢から、道路の癖を何度も教わった。
橋の継ぎ目。
マンホール。
縁石。
標識。
流雪溝。
雪が積もれば全部消える。
どこに何があるかを覚えることも、除雪オペレーターの仕事だった。
「譲くん」
浩志は隣のWA270を見て笑った。
進藤は運転席へ身を乗り出し、床へカーペットを敷いていた。
「今年も土禁にするながぁ」
「するよ。当たり前だべ」
「よぐやるなあ」
「汚ねぐなるべ」
「除雪車だぞ。雪ついた長靴で乗る機械だべ」
「だから脱いで乗ればいいべ」
「俺は無理だ。めんどくせえ」
進藤は黙々とカーペットの端を床へ合わせている。
「かべちゃんのも土禁にすればいいべ」
「しねえよ。こんな古いグレーダー」
「古いからって汚していいわけでねえべ」
「動けばいいんだよ」
「だからおめの機械、いつも砂っこいっぱいなんだ」
近くで聞いていた佐藤友也が笑った。
「かべちゃんは大雑把だからな」
「智也さんまで言うが」
「事実だもの」
その向こうでは、祐介が自分の三菱MG430のガラスを拭いていた。
「祐介、今年は壊すなよ」
土田が言う。
「去年も壊してねえっすよ」
「まだ始まってもねえのに言い訳してら」
「だからしてないって!」
車庫に笑い声が広がった。
そこへ夏樹が入ってきた。
「はいはい、十時休憩しよ」
四十七歳の高橋夏樹は、市職員で稲沢地区道路維持担当二年目である。
皆からは親方と呼ばれていた。
夏場は一人で稲沢地区の道路維持を担当しているため、地区の道路を誰より知っている。
「缶コーヒーあるがら皆んな飲んでな」
「はいよ」
各々の機械整備を切り上げて休憩場所に向かった。
*
午後からの仕事は水路への蓋掛けだった。
雪が降る前にも、除雪の仕事は山ほどある。
道路脇に蓋のない排水路があれば、木の板や廃棄されたガードレールを渡して塞ぐ。
雪が積もれば排水路は見えなくなる。
そのままローダーで雪を押せば、穴へ雪が落ちて奥まで押し込めない。
だから今のうちに蓋をする。
浩志は辰雄と古いガードレールを抱え、田んぼ脇の道路へ運んだ。
「もう少し右」
「この辺?」
「そこだ」
二人でゆっくり下ろす。
何十キロもある鉄だが、毎年やっているので息は合っていた。
夕方四時五十分。
その日の作業を終えると、皆で道具を片づけた。
詰め所の畳敷きの部屋へ上がる。
誰かがコーヒーを淹れ、急須から茶を注ぐ者もいる。
五時十五分までの二十分ほどは、毎日ほとんど雑談の時間だった。
「祐介、昨日横手さいだべ」
智也が言った。
「え? なんで知ってんすか」
「見たもの」
「怖えよ」
「どこにでもいるな、智也さん」
黒沢が孫の話を始め、譲が笑いながら茶を飲む。
時計が五時十五分を指す。
「へば帰るか」
「お疲れー」
一人ずつタイムカードを押し、浩志も車へ乗り込んだ。
*
一週間後。
その日は市の除雪出陣式だった。
午前中は文化会館横の大きな駐車場で会場設営である。
浩志たちは普段着の仕事服で集合し、稲沢からハイエースと軽トラックに分乗して会場へ向かった。
智也はWA200を運転してくる。
石田は納車されたばかりの融雪剤散布車を慎重に駐車場へ入れた。
各地区から比較的新しい除雪機械が集まってくる。
コマツのWA270。
WA200。
WA100
新潟トランシスNR303。
歩道用ロータリー。
そして、一台のモーターグレーダーに浩志は目を奪われた。
「やっぱ格好いいなあ……」
コマツGD675だった。
「まだ言ってら」
黒沢が横で笑う。
「だって新しいべ」
「雪掻くのは一緒だ」
「全然違うって」
誘導員の笛が鳴る。
「もう少し前!」
「右!」
「ストップ!」
大型機械が一台ずつ綺麗に並べられていく。
その後はテントを立て、机や椅子を運び、祭壇を置く場所を整える。
昼前には設営が終わった。
「へば一回戻るぞ」
稲沢組はハイエースと軽トラへ乗り込む。
詰め所へ戻ると昼休みになった。
夏樹はいつもの弁当を広げる。
石田も弁当を食べ始めた。
浩志だけは立ち上がった。
「俺、家さ帰るわ」
「はいよ」
家が近い浩志は、普段から昼飯は自宅だった。
昼食を済ませ、グレーの支給作業着へ着替える。
十二時半過ぎには再び詰め所へ戻った。
そこには既に皆が着替えていた。
その中で一人だけ妙に洒落て見える男がいる。
祐介だった。
「おめ、なんでそんな格好いいんだ?」
「何がっすか」
「同じ作業着なのに、おめだけモデルみでえだ」
「普通に着てるだけですよ」
譲も笑う。
「若いからだべ」
「俺ら着ると完全に作業員だものな」
「皆さん作業員でしょ!」
「祐介だけ街さ遊び行く途中みてえだ」
「行かねえっす!」
また笑いが起きた。
午後一時。
全員グレーの作業着姿で文化会館へ戻った。
*
午前とは駐車場の空気が違っていた。
市長。
建設課員。
指定業者の社長たち。
期間オペレーター。
数十人が整然と並ぶ。
前方には、午前中自分たちで並べた除雪機械が静かに並んでいる。
神主が祝詞を奏上した。
「かしこみ、かしこみも……」
冷えた空気の中へ澄んだ声が響く。
浩志たちは頭を下げ、静かに祝詞を聞いた。
やがて玉串奉奠となる。
湯澤市を代表して市長が神主から玉串を受け取る。
祭壇へ供え、二礼、二拍手、一礼。
乾いた柏手が駐車場へ響いた。
続いて指定業者代表として、楢山建設の若社長が玉串を受け取る。
同じように拝礼し、参列者全員も柏手を打った。
神事が終わると、市長の挨拶があり、最後に作動点検が始まった。
「作動点検、始め!」
号令とともに、当番地区のオペレーターたちが前へ出る。
一斉に運転席へ乗り込む。
ディーゼルエンジンが次々と始動した。
WA270の排土板が持ち上がる。
WA200の汎用排土板が左右へ動く。
GD675の長いブレードがゆっくり旋回する。
NR303のオーガとシュートも作動した。
午前中まで静かだった機械たちが、一斉に命を吹き込まれたように動き始める。
浩志は思わずGD675を見つめた。
「やっぱ乗ってみでなぁ」
「浩志しん、それ何回目?」
祐介が笑う。
「冬終わるまで言うと思う」
「じゃあ毎日聞きますね」
作動点検が終わると、エンジン音が順番に消えていった。
出陣式も終わりである。
しかし仕事はまだ残っていた。
テントを畳み、椅子を片づけ、机を運ぶ。
午前中作った会場を、夕方には元へ戻す。
ともやさんはWA200へ乗り込み、石田は散布車を運転して稲沢へ帰った。
すべて終えたころには、いつもの四時五十分になっていた。
詰め所の畳へ座る。
「疲れたっす」
祐介が大の字になりかける。
「まだ若いべ」
進藤が笑う。
「若い若いって便利な言葉っすね」
夏樹は弁当箱を洗いながら笑っていた。
五時十五分。
全員が立ち上がる。
「へば、お疲れさまでした」
「お疲れー」
タイムカードを押し、今日の勤務が終わった。
外はもう薄暗い。
浩志は車へ乗り込み、自宅へ向かった。
明日からまた、防雪柵や排水路、竹立てが始まる。
冬は、静かに近づいていた。




