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稲沢除雪隊〜黒い獣〜  作者: 只野屍
プロローグ
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1/33

二十年前

挿絵(By みてみん)


 二十年前の十一月、秋田県湯澤市稲沢地区では、西の山から下りてくる風が日に日に冷たさを増していた。


 稲沢地区は、かつてI町と呼ばれていた。湯澤市へ合併されてからすでに三十年以上が経ち、行政上から町の名前が消えて久しい。それでも昔からこの土地で暮らしている者にとって、旧町の境界までなくなったわけではなかった。住所が変わり、町役場が市役所の庁舎に変わっても、どこからどこまでが自分たちの町だったのかは誰もが知っていた。


 秋田県南部の山間にある稲沢地区は、中央を一本の川が南北に流れている。川に沿って開けた平地には田んぼと集落が細長く続き、そこを外れればすぐに山だった。


 全国的には、この土地そのものより、そこで作られる稲河うどんの方がよく知られている。細く白い平麺で、しっかりとしたコシと、つるつるとした喉ごしが特徴の乾麺だ。日本三大うどんの一つともいわれ、秋田土産として立派な化粧箱に収められ、全国へ送られている。その発祥の地が、この稲沢地区にあった。


 もっとも、そこで暮らす人間が日々そんなことを意識しているわけではない。春になれば田んぼに水が入り、夏には稲が青く伸びる。秋には黄金色になった田を刈り、西の山から吹き下ろす風が冷たくなれば冬支度を始める。やがて雪が降り、積もれば片づける。それでも降れば、また片づける。


 そうやって毎年冬を越してきた土地だった。


 稲沢地区の中央を流れる川の東側には、堤防に沿って道路が延びている。西側には県道があった。


 県道とはいっても交通量は多くない。地区の南側から延びてきた道路の西にはほどなく山林が迫り、東には田んぼが広がって、その向こうを川が流れている。田んぼの合間には十数軒ほどの家が点在していたが、実際には川の東側にある堤防沿いの道路の方がよく使われていた。


 その県道で、道路改良工事が行われていた。


 工事を請け負ったのは、地元の檜山建設だった。


 田んぼではすでに稲刈りが終わり、短い刈り株だけが残っている。西側の山は紅葉の盛りを過ぎ、朝には吐く息が白くなる日もあった。雪が来る前にできるだけ仕事を進めておきたい時期ではあったが、現場は特に遅れているわけでもなかった。


 道路を広げ、路肩を整え、排水を直す。檜山建設にとって珍しくもない仕事だった。


 ある日の午後、バックホウで路肩をさらっていたオペレーターは、バケットの先に何かを引っ掛けた。


 草の中から、小さなものがごろりと転がった。


 石だと思った。


 そのまま次を掻こうとして、手を止めた。転がったものの形が、妙に整っている。


 オペレーターはバックホウを止めて運転席から降りた。道路脇の草を踏み分けて近づいてみると、それはただの石ではなかった。


 高さは三十センチほどしかない。


 人の姿らしいものが彫られた、小さな石像だった。


「……なんだ、これ」


 もともとは道路と田んぼの境に立っていたらしい。祠があるわけでもなく、注連縄が張られているわけでもない。周囲には草が伸び、長い年月を雨風に晒されて黒ずんだ石の色も、その中へすっかり馴染んでいた。そこにあると知っている者でなければ、バックホウの運転席から気づくのは難しかっただろう。


 男は石像を起こした。


 その胴に、大きな亀裂が入っていた。


 細いひびではなかった。少し離れて見ても分かるほど口を開けた亀裂が、胴を斜めに走っている。黒ずんだ表面の間から、風雨に晒されていない白っぽい石の内側が覗いていた。


 転がしたときの衝撃で入ったのだろう。


「……やったな、これ」


「何した?」


 後ろから声がした。


 別の作業員が歩いてきて、男の横から石像を覗き込んだ。


「これ、転がした」


「石?」


「いや。なんか彫ってある」


 作業員もしゃがみ込んだ。しばらく眺めてから、首を傾げた。


「これ、神様でねえの?」


「これが?」


「道祖神とか、そういうやつでねえが」


 オペレーターは石像を見て、それから自分が乗っていたバックホウを振り返った。


「こんなのあるって聞いでねえぞ」


「俺も知らねえ」


 亀裂は目立ったが、石像そのものは形を保っていた。


 現場代理人へ報告すると、地元のものならそのままにしておくわけにもいかないから、工事が落ち着いたら補修しようという話になった。


 それだけで現場を止める理由にはならなかった。


 その日の作業は、そのまま続けられた。


 三日後、一人の作業員が法面から転げ落ちた。


 足を滑らせただけだった。数メートル下まで転がったものの、幸い打撲で済んだ。


 その翌日には、別の作業員が鉄材を扱っている最中に手を切った。血はかなり出たが、病院で数針縫って、その日のうちに帰宅した。


 さらに二日後、資材を運んでいた車両が側溝へ片輪を落とした。怪我人はいなかったものの自力では上がれず、重機を使って引き上げることになり、その日の工程は大幅に遅れた。


「なんか最近、多くねえか」


 昼休み、現場の隅で弁当を食べていた一人が言った。


「何が?」


「事故よ。この前も転んだべ。その次は手ぇ切ったし、今日は車落どすし」


「あいつが下手なだけだべ」


 誰かが笑った。


「現場なんてそんなもんだ」


「まあな」


 話はそれで終わった。


 実際、その程度なら珍しいことでもなかった。重機が動き、地面を掘り、重量物を扱う仕事である。どれほど気をつけていても、小さな怪我や物損を完全になくすことは難しい。


 その後も、小さな事故は続いた。


 工具を足に落とした者がいた。積んでいた資材が崩れたこともあった。そのときはたまたま近くに人がいなかったから怪我人は出なかったが、立っている場所が少し違えばただでは済まなかった。


 一つ一つには理由があった。不注意だった。確認不足だった。たまたま運が悪かった。


 そう説明することができた。


 敷鉄板の事故が起きるまでは。


     *


 地盤の悪い場所に敷いていた鉄板を移動させる作業だった。


 現場では何度もやっている仕事である。吊り上げた鉄板を所定の位置へ移動させ、一人の作業員が少し離れた場所から手で合図を送っていた。


「もうちょいこっち」


 鉄板がゆっくり動いた。


「そう。もうちょい――」


 声が途切れた。


 次の瞬間、絶叫が上がった。


「止めろ!」


 近くにいた者たちが一斉に振り返った。


 鉄板が傾いていた。


 その下に、男の片足が挟まれている。


「上げろ! 早く!」


「待て、動かすな!」


「どっちだ!」


「真上だ! 真上に上げろ!」


 怒鳴り声が飛び交った。


 鉄板が慎重に持ち上げられると、男はその場に崩れ落ちた。


 長靴の形が変わっていた。


 誰かが救急車を呼んだ。別の者が男のそばへ駆け寄ったものの、どうしていいのか分からず、声をかけ続けることしかできなかった。


 男には意識があった。


 それだけに、救急車が到着するまでの叫び声を、現場にいた全員が聞くことになった。


 その日の作業は中止された。


 警察が来た。会社からも人が来た。事故現場の写真が撮られ、作業員たちは何度も同じことを聞かれた。


 男は死ななかった。


 だが、片足に重い怪我を負った。


 夕方になって警察や会社の人間が引き上げても、現場には重苦しい空気が残っていた。


「……これで何件目だ?」


 片づけをしていた一人が言った。


「何が」


「事故」


 転落、切創、脱輪、工具の落下、資材の崩落。


 一つ一つなら、どこの工事現場でも起こり得ることだった。


 だが、こうして並べてみると多かった。


「続きすぎでねえか」


 今度は誰も笑わなかった。


 一人が煙草に火をつけた。


 十一月の日暮れは早い。西側の山林はすでに黒く沈み、刈り取りの終わった田んぼを渡ってきた風が、作業着の隙間から入り込んだ。


 男は煙を吐きながら道路の先を眺めていたが、ふと視線を止めた。


「あれ」


「何よ」


「あれ、まだ直してねえのか」


 男が指した。


 道路脇の草の中に、あの小さな石像が立っていた。


 離れたところからでも、胴を斜めに走る亀裂が分かった。


「あれ転がしてからでねえか」


「何が?」


「事故」


「馬鹿くせえ」


 そう答えた男も、笑わなかった。


「俺だってそう思うよ。だけど、あれやったのいつだ?」


 誰かが日を数えた。


 その場が静かになった。


「道祖神なんだべ、あれ」


「知らねえよ」


「地元の人に聞いてみればいいべ」


「神様にヒビ入れたから事故起ぎだってが?」


「そこまでは言ってねえ」


「同じだべ」


 理屈では全員分かっていた。


 小さな石像に亀裂を入れたことと、作業員が法面から転げ落ちたことに関係などあるはずがない。手を切ったのは扱いを誤ったからで、車両が側溝へ落ちたのも運転の問題だった。今日の事故も調査が進めば、作業手順なり合図なり、何かしら人間側の原因が見つかるだろう。


 石の神様が鉄板を動かしたわけではない。


 それでも翌日、檜山建設は道祖神を補修することを決めた。


     *


 亀裂にはモルタルが詰められた。


 高さ三十センチほどしかない小さな石像なので、作業そのものには大した時間はかからなかった。ただ、補修した跡は隠しようがない。長年の風雨で黒ずんだ石の胴を、真新しい灰色のモルタルが斜めに横切っていた。


 近くに住む老人にも話を聞いた。


「ああ、あの神様な」


 老人は道祖神の存在を知っていた。


「いつからあるんです?」


「さあなあ。俺がわらしの頃には、もうあったもの」


「何の神様なんです?」


 老人はしばらく考えてから、首を振った。


「そこまでは知らねえ」


 誰が置いたのかも分からない。何を祀ったものなのかも分からない。


 ただ、昔からそこにある。


 それだけだった。


 檜山建設は念のため、地元の神社にも話を通した。


 数日後、神主が現場へやって来た。道路脇に簡単な祭壇が設けられ、その前に檜山建設の作業員たちが並んだ。


 祝詞が始まった。


 最初は付き合い程度に考えていた者も、誰一人ふざけなかった。敷鉄板に足を挟まれた男の叫び声を、まだ全員が覚えていたからだ。


 もう事故が起きませんように。


 頭を下げながら考えていることは、皆だいたい同じだった。


 お祓いが終わり、工事は再開された。


 それから大きな事故は起きなかった。


 それまで続いていた小さな怪我も、いつの間にかなくなった。


 偶然だったのだろう。


 少なくとも檜山建設では、そういうことになった。


     *


 県道は予定どおり完成した。


 工事車両が姿を消し、新しくなった道路を地元の車が走るようになった。


 ほどなくして冬になった。


 本格的に雪が積もり始めれば、高さ三十センチほどしかない道祖神などすぐに見えなくなった。一晩でその高さを超える雪が積もることも珍しくない土地である。根雪になれば、その場所に石像があることなど外からはまったく分からない。


 春になって路肩の雪が消えると、道祖神はまた姿を現した。


 田んぼに水が張られ、夏には稲が伸びる。秋には黄金色になった田から稲が刈り取られ、山が色づくころには冬の支度が始まる。


 そしてまた、雪の下へ消えた。


 そんな一年が繰り返された。


 檜山建設も、この土地に残った。


 二十年の間に社長は代替わりした。あの県道工事に携わった作業員たちも、退職したり会社を離れたりした。若い社員が入り、トラックも重機も少しずつ入れ替わっていった。


 檜山建設は湯澤市の除雪指定業者となり、冬になれば市の直営だけでは手の回らない稲沢地区の路線へ、会社の除雪車やホイールローダーが出るようになった。


 毎年、雪が降る。


 毎年、道路を除雪する。


 それが当たり前になったころには、二十年前の県道工事で起きた一連の事故を知る者も少なくなっていた。


 道祖神についても同じだった。


 誰が置いたのか。何を祀ったものなのか。なぜ、あの田んぼの脇に立っているのか。


 知っている者はいなくなっていた。


 ただ、高さ三十センチほどの小さな石像だけが、二十年前にモルタルで埋められた斜めの亀裂を胴に残して、交通量の少ない県道と田んぼの境に立ち続けていた。


 春から秋は草に紛れ、冬になれば雪の下へ消える。


 そして春になれば、また姿を現す。


 それを二十年、繰り返していた。

現在行われてるホラーコンテストとは全く関係の無い物語です。

ネタを思いついたので書き始めました。

職業小説のようなホラー小説になればいいなと

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― 新着の感想 ―
とても入りが上手いなと思いました。 あと東北の方言が多いので、ホラーなのに読んでいて心が落ち着きます。 楽しみにしてます。
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