第一話 割れた石像
二月も終わりに近づくと、道路脇の雪の壁は目に見えて低くなってきた。
日中の気温が上がる日は、屋根から雪解け水が落ち、道路の端を細い流れになって走った。田んぼにはまだ厚い雪が残っていたが、除雪で押し込まれていた雪も少しずつ沈み始めている。
西側の県道沿いも同じだった。
冬の間、完全に雪の下へ埋もれていたものが、少しずつ姿を現していた。
その日の午前、夏樹の携帯に地区の住民から電話が入った。
『県道脇の荒神様、まだ壊れたままだべ』
「荒神様?」
『ほら、冬の初めに割れたやつよ。雪から出てきてるぞ。いつまであのままにしておくんだ』
「ああ……あれか」
『あのまま春まで置いとくわけにもいがねえべ』
「んだすな。市さ話してみます」
電話を切った夏樹は、湯澤市の建設課へ連絡した。
午後には職員が見に来た。
県道脇の雪はかなり下がり、石像は頭から半分ほどが外へ出ていた。
夏樹と職員が雪を掘る。
小さな石像は斜めに割れたまま、上下に分かれていた。
「完全に離れてますね」
「冬の初めに見つけた時からこうです」
職員がしゃがんだ。
「これ、前にも一回直してるんでしたっけ?」
「二十年ぐらい前だって話です。楢山建設が道路工事やった時に」
「じゃあ、楢山さんに一回見てもらいますか」
「その方がいいべな」
*
翌日、楢山建設から高橋五郎が来た。
七十一になった今も現場へ出ている五郎は、雪の中へ長靴で入り、石像の前にしゃがみ込んだ。
「やっぱりここだな」
夏樹も横から覗いた。
「やっぱり、前に割れたところなんですね」
「んだ。同じとこだ」
五郎は手袋をした指で斜めの割れ目をなぞった。
古いモルタルが残っている。
「前はここまで割れてねがった。ヒビ入っただけだったから、モルタル詰めたんだ」
「今回は完全に離れてますもんね」
「んだな」
五郎は上側の石を持ち上げ、合わせてみた。
「これなら石材用のエポキシパテでいいんじゃねえか? ちゃんと合わせればいげるべ」
「じゃあ、それでお願いします」
「分がった」
五郎は石を元へ戻した。
立ち上がりかけて、また石像を見た。
「ていうかよ」
「はい?」
「やっぱりあれが黒いのに関係してるんだべか」
夏樹も石像を見た。
「……塩、効きましたからね」
「なあ」
五郎は雪を踏んで道路へ戻った。
「二十年前も、これやったあと変なこと続いたんだよ」
「前に言ってましたね」
「最初は大したことねがったんだ。斜面で一人滑って転んだり、工具落として足さぶつけたり、手切ったり。そのうち鉄板で足潰したやつまで出てよ」
夏樹は黙って聞いていた。
「それで直したんですか」
「んだ。さすがに気味悪いって話になってな。ヒビにモルタル詰めて、神主さん呼んでお祓いしたんだ」
五郎は煙草を取り出した。
「それからだ。変なこと、ぱったり起ぎねぐなった」
ライターを鳴らした。
夏樹はもう一度、雪の中の石像を見た。
「……今回も、直してお祓いしてもらいますか」
「その方がいいんでねえか。別に大した手間でもねえし」
「市さ話してみます」
*
数日後、楢山建設の軽トラックが県道脇に止まった。
雪を掘り、石像の周りを出す。
割れた面に残っていた古いモルタルを落とし、汚れを取り除く。石材用のエポキシパテを使い、上下を合わせた。
斜めに走っていた割れ目が埋まっていく。
五郎が少し離れて眺めた。
「こんなもんだべ」
隣にいた作業員も見る。
「楢山で直した時より綺麗になったんでねぇが」
「前も楢山だよ」
「いや、二十年前の」
「あの時はモルタル詰めただけだもの」
「雑だったんすか」
「二十年前だぞ。しょうがねえべ」
二人で笑った。
石像は小さかった。
道路脇の雪の中に立ってしまえば、車で通り過ぎる者なら気づかないほどだった。
*
その後、地区の神社から神主が来た。
雪を踏み固めた石像の前に立ち、簡単な祭壇が置かれた。
市の職員と夏樹、楢山建設から五郎たちが立ち会った。
祝詞が読まれた。
頭を下げ、祓いを受ける。
特別なことは何も起こらなかった。
終わると神主は道具を片付け、五郎たちも軽トラックへ戻った。
「これでいいべ」
五郎が言った。
「んだすな」
「二十年前もこれで終わったんだから」
夏樹は頷いた。
「もう出ねえといいですけどね」
「黒いやつか」
「はい」
五郎は石像を振り返った。
「出ねえべ」
「そうだといいですけど」
それだけ話して、夏樹もハイエースへ戻った。
県道には雪解け水が流れていた。
*
その日から何日か過ぎた。
黒いやつを見たという連絡はなかった。
請負のオペレーターからも、住民からも、警察からも話は入ってこなかった。
夜間に散布へ出た石田も何も見ていない。
車庫でも、黒いやつの話をすることは少なくなった。
三月が近づいていた。
道路脇の雪はさらに下がり、田んぼの雪も少しずつ締まっていった。
稲沢地区は、長かった冬の終わりへ向かっていた。




