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稲沢除雪隊〜黒い獣〜  作者: 只野屍
第四章 変化
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26/33

第七話 塩

 一月も二十日を過ぎた。


 ここ数日は、深夜に除雪車を出すほどの雪が降っていなかった。日中にちらつき、夕方には道路が白くなることはあっても、夜中にまとまって積もるほどではない。


 それでも散布車には出番があった。


 橋や交差点、急な坂。昼に緩んだ雪が夜になって凍る場所を、石田は散布車で回っていた。深夜除雪のない日は、直営のメンバーが交代で助手席に乗る。


 そんな日が何日か続いたあと、久しぶりにまとまった雪が来た。


 日付が変わるころには道路の轍も消え始めた。


 直営班は次々と車庫へ集まり、零時を少し回ったころには重機を出した。譲のWA270、智也のWA200、辰雄のローダー、土田のWA350、祐介のMG430。そして浩志のGD705も、それぞれの持ち場へ向かった。


 久しぶりの深夜除雪だった。


 石田が車庫へ来たのは午前三時だった。


 すでに直営の重機は一台も残っていない。


 散布車を出し、凍結防止剤を積む場所へつける。荷台へ入れるのは、中国産の岩塩を砕いたものだった。


 積み終えると車へ戻り、散布装置を確認して車庫を出た。


 雪はまだ降っていた。


 だが、道路はすでに除雪されている。


 石田が皆瀬川の堤防道路へ入ると、路面にはグレーダーの排土板が通った跡が残っていた。


 浩志の仕事だった。


 路肩まできれいに雪が切られ、道路の幅が出ている。その上へ新しい雪が薄く積もり始めていた。


 石田は散布装置を動かした。


 荷台の下から岩塩が扇状に飛び、仕上がった路面へ散っていく。


 堤防道路の途中に、短い距離で急に上り、頂上を越えるとそのまま下る場所がある。


 石田は速度を落とし、岩塩を撒きながら坂へ入った。


 右側には、除雪で押し上げられた雪壁が続いている。高いところでは二メートル近い。


 その向こうで、橙色の光が回った。


 一度見え、消える。


 また見えた。


「ローダーいるな」


 頂上近くには右から道が入っている。


 T字路になっているため、こちらからは雪壁に遮られて何をしているのか見えない。


 橙色の光だけが、雪壁の向こうで回っていた。


 石田はそのまま坂を上った。


 T字路へ差しかかった。


 右側の雪壁がそこで切れた。


「……うわっ」


 石田の身体がわずかにハンドルへ寄った。


 ローダーがいた。


 楢山建設のWA100だった。


 その前に、黒いものがいた。


 立ち上がった頭が、WA100のキャビンの屋根とほとんど同じ高さにある。


「……これか」


 黒いものとローダーが道路の上でもみ合っている。


 石田に分かったのはそれだけだった。


 散布車は止まらない。


 岩塩を撒きながらT字路を抜け、坂の頂上を越えた。


     *


「このっ……!」


 WA100の運転手がアクセルを踏み込んだ。


 黒い足が雪を削りながら下がる。


 WA100がじりじり前へ出た。


 だが、二メートルも行かないうちに、それ以上動かなくなった。


「くそっ……」


 道路の端にはガードレールが続いている。


 その向こうは急な法面だった。


 あそこまで押す。


 ガードレールの手前まで持っていったら排土板を上げ、その上から向こうへ押し落とす。


 さっきからそれを狙っていた。


 だが、そこまで持っていけない。


「でかすぎだべ……」


 黒いものが排土板へ身体を寄せてくる。


 頭はキャビンの屋根とほぼ同じ高さだった。


 目も鼻も口も分からない。


 作業灯を受けても、ただ黒い形のままだった。


 腕が排土板へ掛かった。


「上がってくんなよ……」


 運転手が排土板を動かす。


 腕が外れる。


 すぐにまた掛かる。


 その時、左から光が差した。


 雪壁の向こうからヘッドライトが近づいてくる。その上で橙色の回転灯が回っていた。


「散布車か」


 T字路から散布車が現れた。


 WA100のすぐ横を通っていく。


 後ろでは散布装置が回り、白い粒が扇状に飛んでいた。


 その直後だった。


 黒いものが突然、大きく身をよじった。


「うおっ」


 排土板に掛かっていた力が抜けた。


 WA100が前へ出そうになり、運転手は慌ててアクセルを戻した。


「何だ?」


 黒いものが暴れている。


 腕を振り、身体を捻る。


 散布車はもう坂の向こうへ下り始めていた。


 運転手はすぐに前を見た。


「今だ!」


 アクセルを踏み込んだ。


 今度は押せた。


 黒いものが排土板に押されて下がっていく。


「行げ、行げ!」


 WA100が前へ進む。


 黒いものが後ろへ押される。


 その足が、散布車の通った路面へ下りた。


 身体が跳ねた。


「うわっ!」


 黒いものが足を上げた。


 別の場所へ下ろす。


 また跳ねた。


 黒い脚の下から、煙のようなものが上がった。


「何だ、これ……」


 黒いものが倒れた。


 腕を路面につく。


 そこからも煙が上がった。


 慌てるように腕を引く。


 別の場所へ手をつく。


 また煙が出た。


 運転手はアクセルから足を離した。


 WA100が止まった。


 排土板はもう黒いものに触れていない。


 それでも黒いものは道路の上でのたうち回っていた。


 脚の輪郭が崩れた。


 身体が路面へ触れるたび、そこから黒い煙が上がる。


「おい……」


 ガードレールまでは、まだ距離がある。


 上半身が持ち上がった。


 黒い腕が宙を掻いた。


 その腕も途中から煙になった。


 最後に残った黒い塊が路面へ落ちる。


 煙が上がった。


 そして、消えた。


     *


 石田は坂を下りきったところで散布車を停めていた。


 身体を捻って後ろを見る。


 坂の上にはWA100が止まっている。


 さっきまで、その前にいたはずの巨大な黒いものが見えない。


 しばらくすると、WA100のドアが開いた。


 運転手が降りてきた。


 排土板の前へ回り、道路を見ている。


 何歩か歩いては止まり、また足元を見る。


 やがて坂の下を向いた。


「おーい!」


 大きく手を振った。


「散布車ー! ちょっと来てくれー!」


 石田は少し迷ってから散布車を降りた。


「何があったんですかー!」


 坂を上っていく。


 相手もこちらへ歩いてきた。


「今の、見てました?」


「通る時に見ましたけど、何やってるところかまでは分からなかったです」


「俺、あいつをあっちの法面さ落としてやろうと思ってたんですよ」


 運転手がガードレールの向こうを指した。


「ここまで押して、排土板上げて、上から向こうさ落としてやろうと思って。それが全然押せなくて」


「ずいぶん大きかったですね」


「でかいなんてもんじゃないですよ。頭、100の屋根くらいまであったもの」


 運転手はWA100を振り返った。


「それが、散布車通った直後に急に暴れ始めたんですよ」


「私が通ったあとですか?」


「はい。それまで押すの大変だったのに、急に力抜けたみたいになって。それで今だと思って押したら、この辺まで来たところで、もっとひどく暴れ出して」


 足元を指した。


「煙出して、そのまま消えました。最後は俺、もう押してないです」


「何もしないで?」


「はい」


 二人とも道路を見た。


 グレーダーが仕上げた路面の上に、撒かれたばかりの岩塩が散っている。


 運転手がしゃがんだ。


 しばらく白い粒を見てから言った。


「……塩ですかね」


 石田も足元を見る。


「……まさか」


「でも、散布車通ってからなんですよ」


「塩でねぇ……」


 石田は首を傾げた。


     *


 朝、直営班の詰所に戻ると、石田は昨夜のことを話した。


「それで、散布車が横通ったら急に暴れ出したって?」


 智也が聞いた。


「そう言ってました。私は通り過ぎる時に見ただけなんで、そこまでは分からなかったです」


「そのあと、石田さんが撒いたところまで押したら消えた?」


「はい。楢山の人は、最後はもうローダーで押してなかったそうです。それでも道路の上で煙みたいになって消えたって」


 祐介が首を傾げた。


「……塩が効く?」


「ナメクジじゃねえんだから」


 土田が笑った。


「でも、清めの塩ってのもあるし……まさかなぁ」


 黒沢が言った。


 智也がそちらを見る。


「くろさん、そういうの信じる人だっけ?」


「信じてねえよ。言ってみただけだ」


 そこで話は一度途切れた。


 ストーブの上で、やかんが小さく鳴っている。


 浩志は缶コーヒーを飲みながら、昨夜の話を頭の中で繰り返していた。


「……待て」


「何よ?」


 智也が見る。


「俺、前に堤防で追っかけられた時あったべ」


「ああ。バックで逃げたやつ」


「んだ。ずっと追ってきてたのに、でかい交差点の手前で急にいなくなった」


 浩志は少し黙った。


「あそこ撒いてるべ」


 智也の顔から笑いが消えた。


「交差点、塩撒いてる。じゃあ、あん時追ってこねがったのも……塩?」


「いや、でも偶然じゃね?」


 土田が言った。


「黒いやつが勝手にやめただけかもしれねえべ」


「それもある」


 譲が頷いた。


 石田が湯呑みを置いた。


「ただ、散布車はかなり出てますよ」


「除雪ない日も出るもんな」


 智也が言った。


「はい。皆さんにも交代で助手席に乗ってもらってますけど、散布してる時に黒いやつを見たって話、ほとんどないですよね」


 祐介が少し考えた。


「俺、一回見たな」


「俺もだ。若い三人組の時」


 黒沢が言った。


 譲が指を折るでもなく、そのまま頷いた。


「その二回くらいか」


「たぶん、それくらいですね」


 石田が言った。


「私も昨夜が初めてです」


 智也が腕を組んだ。


「散布車、あんだけ夜走ってんのにな」


「まあ、それだけなら偶然かもしれねえけどな」


 譲が言った。


 また少し間が空いた。


 浩志が眉を寄せた。


「樋口さんもだ」


「国道の?」


「んだ。最初の頃に一回見たって言ってたべ。国道の近くで。けど、国道さ入ってこねがったって」


「ああ」


 譲も思い出した。


「それから一回も見てねえって言ってたな」


「国道って全線撒いてるべ」


 誰もすぐには答えなかった。


 智也が腕を組んだまま言った。


「高山さんのも……そうじゃね?」


「何が?」


「100でぶっ飛ばしたやつ」


「ああ」


 土田が頷く。


「あの妙にあっさりやっつけたやつか」


「最後、国道まで押してったんだべ」


「……そうだったな」


 今度は誰も笑わなかった。


 黒沢が煙草の煙を吐いた。


「……塩か」


 譲が椅子の背にもたれた。


「まあ、本当に効くかはまだ分がんねえけど、とりあえず、お守り代わりに袋さ塩入れて持っとくべ」


「お守り代わり?」


 祐介が聞いた。


「んだ。どうせ車庫にあるんだし」


 夏樹が口を開いた。


「持ってくのはいいけど、それ当てにして近づいたりしないでくださいよ。今まで通り、逃げられるなら逃げること」


「効かなかったら?」


 土田が聞いた。


「逃げるしかねえべ」


 浩志が答えた。


「結局それかよ」


「当たり前だべ」


 その夜、何台かの重機の助手席には、岩塩を入れた袋が置かれていた。


     *


 土田はWA350を走らせていた。


 直営班で使っている中では一番大きい。


 十六トンクラスの車体に、譲の270よりさらに大きな排土板を付けている。


 土田はこの機械が好きだった。


 大きい。


 重い。


 力がある。


 それで十分だった。


 広い二車線道路を押している時、作業灯の先に黒いものが現れた。


「……お」


 土田はアクセルを戻した。


 道路の真ん中に立っている。


「でっけえな」


 黒いものがこちらを向いた。


 三メートル近い身体が歩き始める。


 すぐに速くなった。


 土田は左の助手席を見た。


 岩塩を入れた袋が置いてある。


 正面へ目を戻す。


 黒いものが近づいてくる。


「……まあ」


 排土板を下げた。


「こっちは350だしな」


 アクセルを踏んだ。


 WA350が前へ出る。


 黒いものも速度を上げた。


「来い!」


 距離が詰まった。


 黒い身体が排土板へぶつかった。


 ドンッ。


「おおっ!」


 十六トンクラスの車体にも衝撃が伝わった。


 黒い腕が巨大な排土板へ掛かる。


「力あるじゃん!」


 土田はさらにアクセルを踏んだ。


 WA350が前へ出る。


 黒いものの足が雪を削った。


「でもな!」


 さらに踏む。


「力こそパワーなんだよ! うりゃ!」


 黒いものが下がった。


「どうした! 三百五十なめんなよ!」


 無線の送信ボタンは押していない。


 土田は一人で叫んでいた。


 黒いものが排土板へ身体を乗せようとする。


「上がんな!」


 排土板を動かした。


 黒い身体が崩れる。


 そのまま押す。


 黒いものの足がもつれた。


 巨体が排土板の前へ転がった。


 土田はすぐに止めた。


「よし!」


 排土板を上げた。


 倒れた黒い身体の上へ被せるように位置を合わせる。


「寝てろ!」


 排土板を一気に下げた。


 黒いものの身体が雪へ沈んだ。


 車体が揺れる。


 黒い腕が排土板の脇から伸びた。


 それでも抜け出せない。


「どうした!」


 土田は笑った。


「デカい方が強えんだよ!」


 黒いものがまた暴れた。


「……あ」


 土田は左を見た。


 助手席に岩塩の袋がある。


「そうだった」


 黒いものを見る。


「おめえ潰すんじゃなくて、これ試すんだった」


 土田は350をその場に止めた。


 左の助手席から岩塩の袋を取る。


 左のドアを開けると、雪と冷たい風がキャビンへ吹き込んだ。


「さみっ!」


 排土板の向こうでは、押さえ込まれた黒い上半身がまだ動いている。


 土田は袋を左手に持った。


「うりゃ!」


 投げた。


 袋が黒いものの胸へ当たった。


 ぼすっ。


 跳ね返って雪の上へ落ちる。


「……」


 破れていない。


「そこは破れろよ!」


 黒いものが排土板の下で暴れた。


「ちょっと待て!」


 土田はもう一つの袋を取った。


 縛った口をほどく。


 黒いものを見る。


「中身だべ」


 口を開けたまま左手で持つ。


「ほらよ!」


 投げた。


 袋が飛ぶ。


 途中で岩塩がこぼれた。


 白い粒が黒いものの胸から肩へ散った。


 黒い身体が跳ねた。


「お?」


 排土板の下で激しくのたうつ。


 岩塩の付いた胸から黒い煙が上がった。


「おお?」


 肩が崩れる。


 煙が噴き出す。


 黒い腕が大きく振られた。


 その腕にも岩塩が付いていた。


 途中から輪郭が崩れ、煙になった。


 土田の顔から笑いが消えた。


 開けたドアの奥から、黙って見ている。


 黒い身体が縮んでいく。


 腕が消えた。


 頭が崩れた。


 最後に残った黒い塊も煙になった。


 何もなくなった。


 雪だけが開いたドアから吹き込んでくる。


 土田はしばらく動かなかった。


 それから、排土板の向こうを見たまま呟いた。


「……マジで塩じゃん」

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