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稲沢除雪隊〜黒い獣〜  作者: 只野屍
第四章 変化
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第二話 臨時議会

 一月の臨時議会が開かれた。


 議題は、稲沢地区で相次いでいる「熊と思われる大型獣」への対応だった。


 市長の挨拶に続き、担当部長から、これまでに確認された事案が説明された。


 最初の通報から、新聞配達員が襲われた件、乗用車との接触、そして県外から来た三人の若者が襲われた件まで、警察や市に寄せられた情報が時系列に沿って読み上げられていく。


 幸い、これまで死亡者は出ていない。


 しかし最後の一件では、三人が乗ってきた軽自動車が横転し、ほとんど原形を残さないほど破壊された。


「警察及び猟友会、鳥獣被害対策実施隊と連携し、現地の確認、巡回等を継続しておりますが、現在まで当該大型獣の発見には至っておりません」


 部長が資料を一枚めくった。


「また、一連の事案を撮影したとされる映像がYouTube、TickTok等の動画投稿サイト及びSNS上で拡散しており、現場を訪れる目的で稲沢地区へ入る市外、県外車両の増加が確認されております。路上駐車、道路上での撮影等により、除雪作業及び一般車両の通行に支障が生じた事例も報告されております」


 議員たちが手元の資料をめくった。


 そこにはYouTubeやTikTokで拡散している動画から切り出した画像も添えられていた。


 夜の県道。高い雪壁。横転したワゴンR。


 そして少し離れた場所に写っている、黒いもの。


 印刷された紙の上でも、それだけが妙に黒かった。


 質疑に入ると、一人の議員が手を挙げた。


「防災無線では、早朝及び夜間の不要不急の外出を控えるよう呼びかけていますね」


「はい」


「新聞配達も時間を遅らせたと聞いております。住民には夜間や早朝はなるべく外へ出ないようにと言っている。その一方で、市の除雪作業員は午前一時、二時という時間から仕事をしている。これは市としてどう考えているんですか」


 担当部長が立った。


「除雪につきましては、翌朝の通勤通学に加え、救急車両、消防車両等の通行を確保する必要がございます。降雪状況によっては、深夜から作業を開始せざるを得ません」


「それは分かります。私も除雪をやめろと言っているわけではありません」


 議員は机の上から一枚の資料を持ち上げた。


「ただ、これを見れば、車の中にいれば安全だとも言えないでしょう」


 横転したワゴンRの写真だった。


「市として、重機の中にいれば絶対に安全だと保証できるんですか」


「それは保証できません」


 部長はすぐに答えた。


 議場が静かになった。


「今回の事案を受けまして、除雪作業中に大型獣を確認した場合の対応についても見直しを行います。作業の継続より作業員の安全を優先し、状況によっては担当路線を完了していない場合でも作業を中止し、退避することを認める方向で――」


「認める方向、では困るんですよ」


 議員が言葉を挟んだ。


「現場の人は、市道を残して帰ったら怒られると思うでしょう。朝までに道路を開けなきゃならないと思って仕事してるんですから。そこははっきりさせた方がいい。危ないと思ったら逃げていいんですか、駄目なんですか」


 担当部長が市長の方を見た。


 二人が小声で何かを確認したあと、部長がもう一度マイクへ向いた。


「大型獣を確認し、作業員が危険を感じた場合には、作業を中止して退避して構いません。未除雪区間が残ったことについて、作業員個人の責任を問うことはありません」


「それを現場へきちんと伝えてください」


「はい」


 別の議員が手を挙げた。


「猟友会の方も出てもらっているんでしょう?」


「はい。必要に応じて捜索及び現地確認にご協力いただいております」


「これだけ続けば出動も増えるでしょう。費用の方はどうなっていますか」


 そこから補正予算の話になった。


 猟友会や鳥獣被害対策実施隊の活動に伴う費用、注意看板の設置、防災無線や市の広報による注意喚起、夜間に道路上で作業する除雪作業員への安全対策。


 議員から質問が出るたび、担当者が資料を確認して答えた。


 実際に人が襲われ、車が一台壊されている。そのうえ、相手が何なのかさえ分かっていない。


 議論は真面目に続いた。


 そんな中、後ろの方に座っていた年配の議員が手を挙げた。


「ちょっといいですか」


 議長がそちらを見る。


「どうぞ」


「さっき動画の話、出ましたよね」


「はい」


「ユーチューブとかチック、なんだっけ……チックトックか」


「はい」


「あれ、相当見られてるんでしょう?」


 担当者が資料へ目を落とした。


「市が投稿したものではありませんので、正確な数字は把握しておりませんが、相当数閲覧されているものと認識しております」


「何百万とかいってるんでねえの?」


「個別の再生回数については把握しておりません」


「ああ、数字はいいんですけど」


 議員はそこで少し姿勢を直した。


「稲沢地区、今ずいぶん人来てるんですよ」


 何人かの議員が顔を上げた。


「県外からも来てる。さっき交通の邪魔になってるって話もありましたけど、佐藤養蔵さんなんか、うどん屋、ずいぶん客増えて喜んでるって聞いてますよ」


 一瞬、議場が静かになった。


 議長が口を開いた。


「質問の趣旨をお願いします」


「いや、だからね。もちろん危ないものがいるうちは駄目ですよ。そこは私も分かってます。ただ、これだけ全国から注目されることなんて、なかなかないでしょう」


 近くに座っていた議員が思わず横を向いた。


「そこでそれ言う?」


 小さな声だった。


 だが、年配の議員は気にしなかった。


「いやいや、今すぐ人を呼べって言ってるんじゃないですよ。落ち着いてからの話。せっかく稲沢地区って名前まで全国に出てるんだから、これ、何か町おこしに使えないのかなって」


 担当部長が少し困った顔をした。


「現時点では、市といたしましては、市民及び来訪者の安全確保を最優先に考えております。また、現地を訪れる方の増加により、除雪作業等にも実際に支障が――」


「それは分かってます。それは当然なんですよ」


 議員が頷く。


「ただ、悪いことばっかりでもないでしょうって話ですよ。うどん屋だって客が増えてる。コンビニだって人来てるでしょうし。市内でガソリン入れる人だっているでしょう」


 すると別の議員が口を挟んだ。


「ホテルはどうなんですか」


「ホテル?」


「県外から来てるなら、湯澤市内に泊まってる人もいるでしょう」


「ああ、それもあるな」


「経済効果がどのくらい出てるかくらいは、調べてもいいんじゃないですか」


 最初の議員が、我が意を得たりと頷いた。


「そうそう。私が言ってるのはそれですよ」


 先ほど「そこでそれ言う?」と漏らした議員が、呆れたように笑った。


「町おこしまで話飛んでたべ」


「だから将来的な話だって」


「まだ何だかも分かってねえんだぞ」


「分かってから考えれば遅いべ」


 議長がマイクへ身を寄せた。


「本日の議題は、大型獣への緊急対応及びそれに伴う補正予算です。観光振興については、別の機会にお願いします」


「はい」


 年配の議員がようやく座った。


 その隣から、ぼそりと声がした。


「黒いやつで町おこしか」


「まだ熊だって」


「熊にしちゃ車壊しすぎだべ」


 議長がそちらを見た。


 二人とも前を向いた。


 議事は再び補正予算へ戻った。


     *


 臨時議会を経て、市から夜間の除雪作業について新しい指示が出た。


 その日の午後、建設課から夏樹へ連絡が入った。


 夕方、作業を終えた連中が重機車庫へ戻り、畳の部屋へ集まっていた。


 智也がコーヒーを飲み、黒沢は煙草を吸っている。譲は壁にもたれ、石田は湯呑みを手にしていた。浩志も自分のコーヒーを持って座った。


 夏樹が一枚の紙を持って入ってきた。


「ちょっといいすか」


「なした?」


 譲が顔を上げた。


「今日、臨時議会あったんすけど、それで建設課から夜の除雪について連絡来ました」


「なんか変わるの?」


 智也が訊いた。


「除雪自体は変わんねす。ただ、熊……」


 夏樹が紙へ目を落とした。


「熊と思われる大型獣を発見した場合――」


 黒沢が煙草を持ったまま笑った。


「まだ熊って言ってんのか」


「じゃあ何って書くんすか」


「黒いやつ」


 土田が言った。


 智也が笑った。


「議会の資料に『黒いやつ』って書けるわけねえべ」


「でも熊じゃねえべ、あれ」


 黒沢は煙を吐いた。


「俺、見たけどよ。あんな真っ黒な熊いるが?」


「そこは警察も熊だって決めたわけじゃないみたいすよ」


 夏樹が紙を軽く振った。


「とりあえず聞いてください」


「はいはい」


「見つけても近づかない。追わない。写真とか動画も撮らない。機械から降りない」


 譲が眉を上げた。


「誰が写真撮るんだよ」


「祐介あたり撮りそうでね?」


 智也が言った。


「撮らねえよ」


「TickTokに上げるんだべ」


「やってねえし」


「若えのに?」


「関係ねえべ」


 夏樹が苦笑した。


「あと、逃げられるならその場から離れてください。無理なら安全な場所で待機。警察と市に連絡。見た時間と場所、どっちに行ったか分かれば、それも伝える」


 そこまでは、いつもの熊対応を少し厳しくしたような話だった。


 だが、次の言葉には何人かが顔を上げた。


「それから、途中でも除雪やめていいそうです」


 石田が聞き返した。


「路線の途中でもですか」


「はい。終わってなくてもいいです。危ないと思ったら、そのまま逃げてください」


 譲が夏樹を見た。


「残していいの?」


「いいす。そこは俺も建設課に確認しました。どこ残したか連絡だけしてもらえればいいそうです。あとでどうするかはこっちで考えるって。残したことで怒ったり、責任取らせたりもしないそうです」


「へえ」


 智也が少し驚いた顔をした。


「そこまで言うって、役所も結構びびってんな」


「そりゃ、あの車見ればな」


 黒沢が言った。


 全員が、志村たちのワゴンRの写真を見ていた。


 横転しただけでは、ああはならない。ドアも屋根もフェンダーも潰れ、窓は割れ、前も後ろも分からないほど壊されていた。


 黒沢だけは、そのそばにいたものを実際に見ている。


 夏樹も、もっと小さかったとはいえ、深夜の巡回中に同じようなものを見ていた。


 浩志もそうだった。


「あと、これも言われました」


 夏樹が続けた。


「機械に乗ってれば絶対安全とは考えないでくれって。離れられるなら離れる。無理して路線やらなくていい。これでお願いします」


 土田が浩志を見た。


「まあ、浩志さんなら大丈夫だべ」


「何が」


「ナナマルゴなら60キロ出るがら、余裕で逃げられるべ」


「出ねえよ。チェーン履いてんだぞ」


「逃げるときくらい出るべ」


「出ねえって。せいぜい30キロだべ。つうか雪道でそんな出したくねえよ」


「じゃあ黒いやつが31キロだったら終わりだな」


「なんで一キロだけ速えんだよ」


 智也が吹き出した。


 黒沢も笑った。


「おめ、今度会ったら測ってこい」


「嫌だよ」


「写真は駄目だけど速度測るなとは書いてねえべ」


「どうやって測んだよ」


 部屋に笑いが起きた。


 夏樹も笑ってから、紙をテーブルへ置いた。


「まあ、冗談はいいんすけど。ほんとに見つけたら無理しねでください。除雪残ってもいいんで。そこだけはお願いします」


 今度は誰も茶化さなかった。


     *


 雪は夕方になっても降り続いていた。


 暗くなる頃には、昼間に除雪した道路にも新しい雪が積もり始め、ほどなく深夜除雪の連絡が入った。


 浩志は家へ帰り、夕食を済ませた。風呂に入ってから目覚ましを午前零時に合わせ、布団へ潜り込んだ。


 枕元で目覚ましが鳴ったとき、窓の向こうではまだ雪が降っていた。


 着替えを済ませ、長靴を履いて外へ出る。軽トラックの屋根には、寝る前にはなかった雪が積もっていた。


 エンジンをかけ、ワイパーを動かす。


 重機車庫までは近い。


 午前零時を過ぎると、いつものように一台、また一台と車が集まってきた。


 軽トラックが入り、バンが入り、乗用車が入ってくる。


 浩志が着いたときには、もう何人か来ていた。


「おはようさんです」


「おはよう」


「降ったなあ」


「まだ降ってるな」


 シャッターが上がった。


 外の冷気と一緒に雪が吹き込んできた。


 黒沢が機械へ乗り込み、エンジンをかけた。そのままゆっくり車庫を出て、雪の降る構内へ置く。


 続いて智也のローダーが出た。


 譲も自分の機械を外へ出す。


 浩志はGD705へ乗り込んだ。


 クラッチを踏み、キーを回す。


 ディーゼルエンジンが低い音を響かせ、座席から振動が伝わってきた。


 ブレードを上げ、ギアを入れる。


 ゆっくり車庫を出た。


 外へGD705を置くと、浩志は運転席を降りた。


 乗ってきた軽トラックへ戻り、空いた場所へ入れる。


 ほかの連中も重機を外へ出し、その空いた場所へ軽トラックやバンを収めていった。


 車庫の外では、何台ものディーゼルエンジンが低い音を重ねていた。黄色い回転灯の光の中を、雪が絶え間なく流れている。


 浩志はGD705へ戻った。


 運転席へ上がり、ドアを閉める。


 ヒーターからは、もう温かい風が出ていた。


 夏樹のハイエースが先に動き出した。


 それぞれが自分の機械へ戻り、一台、また一台と車庫前を離れていく。


 浩志もクラッチを踏んだ。


 ギアを入れる。


 GD705がゆっくりと道路へ出た。


 昼間には県外ナンバーの車が走り回り、雪壁へスマートフォンを向ける人間までいた稲沢地区に、今は誰も歩いていなかった。


 黄色い回転灯を雪の中へ滲ませながら、それぞれの重機が、それぞれの路線へ散っていった。

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