第一話 真冬の賑わい
三人の若者が黒いものに襲われてから、数日が過ぎていた。
その間にも雪は何度かまとまって降った。深夜除雪も一度や二度ではない。浩志たちは午前零時に目覚ましをかけ、一時前には重機車庫へ集まり、それぞれの路線へ出る生活を繰り返していた。
夜のうちに道路を開けても、押した雪がなくなるわけではない。
除雪のたびに路肩へ寄せられた雪は積み重なり、雪壁は少しずつ高くなる。道路は狭くなり、交差点では見通しが悪くなった。家が並ぶ場所では、もう押しておく場所もなくなってくる。
そうなれば日中は拡幅と排雪だった。
黒沢のロータリーが、道路脇に積み上がった雪壁を削っていた。
本来なら運転手とは別にシュートを操作する人間がつく。しかし稲沢地区の人数では、そこへ二人を割く余裕がない。黒沢は一人でロータリーを動かし、横についた四トンダンプの荷台を見ながらシュートも操作していた。
その前後には、浩志と石田が離れて立っている。
こうした作業のときは全員がトランシーバーを持った。
『上から一台行きます』
石田の声が入った。
「了解。こっち止める」
浩志は道路へ出て、こちらへ来ていた軽自動車に手を上げた。
黒沢がロータリーを止める。横についた四トンダンプも待つ。石田側から乗用車が一台抜けてきた。
『こっち終わりました』
「了解。こっち流す」
浩志が腕を振る。
待たせていた軽自動車がロータリーの脇をゆっくり通過した。
車が切れると、黒沢がまたロータリーを進めた。雪壁が崩れ、シュートから大量の雪が四トンダンプの荷台へ飛び込んでいく。
ところが、すぐにまたトランシーバーが鳴った。
『浩志さん、そっち一台行きました』
「来た。……二台いるな」
浩志は道路の先を見た。
一台目はパトカーだった。
「パトカーだ。先通す」
『了解です』
この数日、パトカーを見かける回数が明らかに増えていた。
国道398号線だけではない。県道や集落の中まで入り、一日に何度も巡回している。路肩に止まっているのを見かけることもあれば、警察官が住民に話を聞いているところを見ることもあった。
浩志が手を上げると、パトカーはゆっくり作業区間を抜けていった。
その後ろにいたのは、見慣れない県外ナンバーだった。
助手席の窓が開く。
スマートフォンが出てきた。
「また撮ってるよ」
『何を?』
黒沢の声だった。
「知らね。こっち向けてる」
『俺でねえべ』
「くろさん撮ってどうすんのよ」
『知らねえよ』
浩志は笑った。
四トンダンプへの積み込みが終わる。
「はい、どうぞー!」
手を振ると、県外ナンバーの車が動き出した。
助手席の男は、ロータリーの横を通り過ぎてもスマートフォンを下ろさなかった。雪壁を撮り、その先の道路を撮りながら走っていく。
「ほんと増えたな」
『朝からこんなのばっかりですね』
石田が答えた。
少しして、今度は軽トラックが来た。
荷台にスコップやかんじきを積んでいる。
「猟友会来た」
『今日もですか』
「朝も見たべ」
運転していたのは佐藤勇だった。助手席には後藤慎吾がいる。
浩志が手を上げると、勇も軽く手を上げて通り過ぎた。
パトカー。
猟友会の軽トラック。
市の車。
それに混じって、県外ナンバーの乗用車が何台も来る。
冬の稲沢地区で、こんなに車を止め続けることは普段なかった。
しかも、ただ通過してくれる車ばかりではない。
少し先の路肩に乗用車が止まった。
若い男が二人降りてくる。
片方はスマートフォンを持っていた。雪壁と道路を交互に見ながら、何かを探している。
「そこ止めんなよ……」
浩志が呟いた。
『なんかいた?』
「人。車止めて写真撮ってる」
『またか』
黒沢の声にも、もう驚きはなかった。
彼らが何を探しているのかは分かっていた。
黒いものだった。
*
ロータリーで削った雪は、稲沢地区除雪隊の四トンダンプ四台で雪捨て場へ運んでいた。
だが、そこへ来るのは四台だけではない。
雪が続いて排雪が本格的に始まると、市の指定業者も一斉に動く。それぞれの現場から雪を満載したダンプが、皆瀬川沿いの雪捨て場へ次々に集まってきた。
その日の雪捨て場を担当していたのは土田だった。
担当は固定ではない。日によって替わる。
数日前と比べても、雪捨て場はずいぶん大きくなっていた。
堤防道路とほぼ同じ高さから河川敷へ向かって伸び、奥へ行くにつれて緩やかに高くなっている。先端はすでに川まで達し、そこから川に沿って、堤防道路と平行に広い雪面が造られていた。
その外側は雪の崖になっている。
一台の四トンダンプが堤防道路から入ってきた。
雪を満載したまま、ゆっくり雪捨て場を登ってくる。奥まで進むとハンドルを切り、そこからバックで雪の崖へ近づいていった。
崖の少し手前で止まる。
荷台が上がった。
雪がまとまって落ちる。
荷台を下ろすと、ダンプは前へ出て、そのまま雪捨て場を下りていった。
入れ替わるように土田がローダーを動かした。
落とされた雪の山を、一度に全部押すことはしない。
半分ほどを崖の方へ押して落とす。前輪を縁ぎりぎりまで出したところでアームを上げ、一気に下げる。
グフッ、と前輪が沈んだ。
柔らかかった雪が、ローダーの重みで締まる。
少し横へずれる。
また雪を押す。
縁まで出る。
グフッ。
全部の雪を落としてから、改めて端を踏み固めて回るような暇はない。
次のダンプはもう来ている。
土田は場所を空けた。
ダンプがゆっくり登ってきて、ハンドルを切る。バックで入って雪を落とし、荷台を下ろしたら出ていく。
その雪をまた土田が押す。
雪を落とす。
前輪をかける。
少し横へずれる。
別の山を押す。
そんな作業を並行して繰り返しているうちに、柔らかかった縁は少しずつ締まり、平らな雪面になっていく。
簡単そうに見えて、これが難しい。
慣れた土田がやれば、ダンプがバックしていく場所まできれいに平らに仕上がる。
浩志がたまに担当すると、そうはいかなかった。
見た目には平らでも、踏み固めの甘い場所が残る。
そこへ雪を積んだ四トンダンプがバックしていき、後輪を乗せる。
ズボッ、と沈む。
それが一度や二度ではなかった。
以前、浩志が担当した翌日に土田が、
「浩志さん、昨日どこ踏んだの?」
と笑ったことがある。
「踏んだって」
「二台ハマったぞ」
「……そこは踏んでねえかもしれねえ」
「踏んでねえんじゃん」
「全部覚えてねえよ」
「ちゃんとやってくれよ」
「だったらおめ毎日やれ」
「嫌だよ」
重機に乗れることと、その仕事が上手いことは別だった。
午前十時頃、また四トンダンプが一台登ってきた。
祐介だった。
荷台には雪が山になっている。
いつものように奥まで進み、ハンドルを切る。バックで入って雪を落とすと、荷台を下ろして前へ出た。
そのまま帰るかと思ったが、土田のローダーの横で止まった。
祐介が運転席から降りてきた。
片手に缶コーヒーを持っている。
「つっちー」
土田が窓を開けた。
「ほら」
「お、ありがと」
缶を受け取る。
「今日、何台来てる?」
祐介が訊いた。
「ダンプ?」
「うん」
「十台くらいだな。うちら四台と、業者が六台くらい」
「そんなにいる?」
「いる。朝から全然切れねえもん」
「そりゃ回るの早いわ」
「早すぎるんだよ。押してる途中で次来るから」
土田は缶を開け、一口飲んだ。
祐介も自分のコーヒーを飲みながら、広がった雪捨て場を眺めた。
「でかくなったな」
「数日前、まだあそこまでなかったからな」
「今年どこまで行くべな」
「まだ一月だぞ」
「だよなあ」
堤防道路の向こうから、またダンプが見えた。
「ほら、来た」
「じゃ、戻るわ」
「ごっつぉさん」
「はいよ」
祐介がダンプへ戻る。
その四トンダンプが雪捨て場を下りていくのと入れ替わりに、次のダンプが登ってきた。
土田はコーヒーを置いてローダーを動かした。
午前中だけでも、雪捨て場は少しずつ形を変えていた。
*
その雪捨て場へ、ダンプでも作業車でもない車が入ってくることがあった。
県外ナンバーの乗用車だった。
三人ほど降りてくる。
土田はローダーの中から横目で見た。
珍しいのか雪捨て場を撮り、川の方を撮り、雪壁を撮り、そのまま道路の向こうへカメラを向けた。
「……観光地じゃねえぞ」
この数日、こういう連中が珍しくなくなっていた。
土地勘がないのだろう。
動画に映っていた場所を探しているらしいが、どこなのか分からない。とりあえず目についた雪壁や川や道路を撮り、スマートフォンの画面と見比べている。
見るだけなら勝手にすればいい。
問題は車だった。
乗用車が堤防道路の脇に止まったままになっている。
そこへ四トンダンプが来た。
雪捨て場へ入ろうとするが、乗用車が邪魔で大きく振れない。
ダンプが手前で止まった。
「あー、もう」
ローダーで近づき、土田はキャビンのドアを開けた。
「すみませーん! そこダンプ入るんで、車動かしてください!」
三人が振り返った。
「あ、すみません!」
慌てて車へ戻る。
ところが一人が、ドアを開ける前に土田へ訊いた。
「あの、この辺って黒いやつ出た場所近いですか?」
「知らないです! ダンプ待ってるんで早く動かしてください!」
「あ、はい!」
ようやく車が動いた。
待っていたダンプの運転手が片手を上げる。
土田も手を上げ返した。
四トンダンプがゆっくり雪捨て場を登ってくる。
県外ナンバーの乗用車は少し先まで走り、また速度を落としていた。
「ほんと何しに来てんだよ……」
*
原因は分かりきっていた。
三人組は、あの夜の生配信をアーカイブとして公開していた。
ワゴンRが襲われるところまで、ほとんどそのまま残っている。
最初は三人が騒ぎながら稲沢地区をうろついているだけだった。
コメント欄に何度も流れた、
――志村うしろ。
それも最初は冗談だった。
ところが、本当に後ろに黒いものが現れた。
三人が逃げる。
ワゴンRが横転する。
悲鳴と一緒に、車体へ何かがぶつかる音が響く。
やがてスマートフォンが吹き飛ばされ、画面には夜空と降ってくる雪しか映らなくなる。
それでも配信は続いた。
画面の外から三人の叫び声が聞こえ、車が壊されていく。
しばらくして、エンジン音が近づいてくる。
画面の端に黄色い回転灯の光が入り、続いてヘッドライトが雪を照らした。
石田と黒沢の乗った散布車だった。
その場面が何度も切り抜かれ、SNSに広がった。
元の配信を見たことのない者まで知るようになった。
警察が現場へ来たことも、ワゴンRが本当に廃車になったことも広まった。
それまで加工だ、CGだと言われていた怪異観測室の動画まで、もう一度再生数を伸ばしている。
何なのかは分からない。
だが、何かはいた。
そんな空気だけが、日に日に大きくなっていた。
*
その騒ぎで、思わぬほど儲かっているところもあった。
佐藤養蔵商店だった。
「三段二つお願いしまーす!」
「はいよ!」
「こっち天ぷら付き一つ!」
昼時の店内は混み合っていた。
駐車場もほとんど埋まっている。
秋田ナンバーに混じって宮城、岩手、山形。関東のナンバーまであった。
元々、観光客の来る店ではある。
それでも真冬の平日に、これほど県外客が集まることは滅多にない。
「すみません」
「はい」
「怪異観測室の人が食べてたのって、どれですか?」
「こちらの天ぷら付き三段せいろですね」
「じゃ、それ一つ」
「俺も同じので」
よく出た。
しかも店でも値段の高い方が、面白いように注文される。
店が黒いものに便乗して何か始めたわけではない。
怪異にちなんだ料理を作ったわけでも、動画配信者の写真を店先へ貼ったわけでもない。
いつも通り稲庭うどんを出しているだけだった。
それでも客は来た。
怪異観測室の二人がここで食事をし、そのあとに来た志村たちまで昼の配信をここから始めた。
志村が店内を撮影して注意された場面まで、妙な形で知られている。
「あ、ここだ。志村が怒られた店」
「怒られたんじゃなくて注意されただけだろ」
「本人も言ってたな」
そんな話をしながら入ってくる客までいた。
店員にしてみれば複雑なところもあったが、注文は次から次へと入る。
理由はどうあれ、店は儲かっていた。
*
『こちらは、防災湯澤市です』
午後、防災無線がまた鳴った。
『稲沢地区において、熊と思われる大型獣の目撃情報が相次いでいます。大型獣を目撃した場合は絶対に近づかず、警察または市へ通報してください』
この数日ですっかり聞き慣れた放送だった。
朝にも流れる。
昼にも流れる。
夕方には、夜間の外出を控えるよう改めて呼びかける。
『また、興味本位で目撃場所へ近づいたり、写真や動画の撮影を行ったりしないようお願いいたします』
その放送が流れている最中にも、県道では雪壁を背景に写真を撮っている者がいた。
ほどなくしてパトカーが来た。
この日だけでも何度見たか分からない。
警察官が窓を開けて声をかけると、路肩に止まっていた県外ナンバーが動き出した。
その少し先では、猟友会の軽トラックが山際に止まっていた。
佐藤勇と後藤慎吾は、この数日、何度も稲沢地区を回っていた。
山際を歩き、雪の上に残った跡を探す。
志村たちが襲われた現場に残っていた足跡についても、警察から話を聞いている。
だが、その後は何も見つからなかった。
「後藤さん」
雪の上を歩きながら勇が訊いた。
「あの足跡、熊だと思います?」
「知らね」
後藤は前を向いたまま答えた。
「車の写真も見ましたよね」
「見た」
「あれ、熊がやったと思います?」
「だから知らねって」
後藤が振り返った。
「見でもいねえもの、分がるわけねえべ」
「ですよね」
「熊なら熊で跡あるべ。それ探すしかねえ」
二人はまた歩き始めた。
警察も探している。
猟友会も探している。
市も一日に何度も注意を呼びかけている。
それでも、あの黒いものは見つからなかった。
*
雪は朝から降り続いていた。
午後になると、降り方はさらに強くなった。
ロータリーで広げた道路にも新しい雪が積もる。ダンプが何度も往復し、そのたびに新しい轍が刻まれ、その上へまた雪が積もっていった。
雪捨て場も今日一日でさらに広がった。
朝にはなかった場所まで雪が押し出され、平らにされ、その上を次のダンプがゆっくり進んでいく。
午後三時を過ぎる頃には、今夜も深夜除雪になることを誰も疑っていなかった。
やがて正式に連絡が回った。
深夜除雪だった。
「今日もか」
作業を終えた浩志が空を見上げた。
黒沢もロータリーから降りてくる。
「この降り方ならしゃあねえべ」
「帰ったら飯食って寝るしかねえな」
「俺もだ」
その横をパトカーが通った。
少しして猟友会の軽トラックも走っていく。
さらに、その後ろから県外ナンバーの乗用車が来た。
昼間の稲沢地区には、普段なら考えられないほど人と車がいた。
パトカーが走り、猟友会の軽トラックが山際を回る。
ロータリーが雪壁を削り、四トンダンプが雪を運ぶ。
県外から来た車が脇道まで入り込み、スマートフォンを持った人間が雪壁の前を歩いている。
真冬の稲沢地区が、妙に賑わっていた。
だが、夕方になると、その賑わいも少しずつ引いていった。
県外ナンバーの車が国道398号線を湯澤市街の方へ戻っていく。
猟友会もその日の捜索を終えた。
日中の排雪も終わり、雪捨て場からダンプのエンジン音が消えた。
佐藤養蔵商店の駐車場も、昼間の混雑が嘘のように空いていく。
日が暮れた。
午後五時を過ぎる頃、防災無線がまた鳴った。
『稲沢地区では、熊と思われる大型獣の目撃情報が相次いでいます。夜間の不要不急の外出は控え――』
雪はやまなかった。
八時。
十時。
十一時。
県道を走る車も、ほとんどなくなった。
昼間、動画と景色を見比べながら歩いていた者はいない。
雪壁の前でスマートフォンを構えていた者もいない。
家々の窓には明かりが残っていたが、外を歩く人間の姿はなかった。
昼間はあれほど騒がしかった道路にも、ただ雪だけが降り続けている。
日中につけられた轍は次第に浅くなった。
雪壁の脇を歩き回った野次馬たちの足跡も、一つずつ輪郭を失っていく。
真冬には似つかわしくない賑わいの痕跡を、新しい雪が静かに覆っていった。
昼間につけられた轍も、足跡も、その下へ消えていった。




