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稲沢除雪隊〜黒い獣〜  作者: 只野屍
第四章 変化
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20/33

第一話 真冬の賑わい

 三人の若者が黒いものに襲われてから、数日が過ぎていた。


 その間にも雪は何度かまとまって降った。深夜除雪も一度や二度ではない。浩志たちは午前零時に目覚ましをかけ、一時前には重機車庫へ集まり、それぞれの路線へ出る生活を繰り返していた。


 夜のうちに道路を開けても、押した雪がなくなるわけではない。


 除雪のたびに路肩へ寄せられた雪は積み重なり、雪壁は少しずつ高くなる。道路は狭くなり、交差点では見通しが悪くなった。家が並ぶ場所では、もう押しておく場所もなくなってくる。


 そうなれば日中は拡幅と排雪だった。


 黒沢のロータリーが、道路脇に積み上がった雪壁を削っていた。


 本来なら運転手とは別にシュートを操作する人間がつく。しかし稲沢地区の人数では、そこへ二人を割く余裕がない。黒沢は一人でロータリーを動かし、横についた四トンダンプの荷台を見ながらシュートも操作していた。


 その前後には、浩志と石田が離れて立っている。


 こうした作業のときは全員がトランシーバーを持った。


『上から一台行きます』


 石田の声が入った。


「了解。こっち止める」


 浩志は道路へ出て、こちらへ来ていた軽自動車に手を上げた。


 黒沢がロータリーを止める。横についた四トンダンプも待つ。石田側から乗用車が一台抜けてきた。


『こっち終わりました』


「了解。こっち流す」


 浩志が腕を振る。


 待たせていた軽自動車がロータリーの脇をゆっくり通過した。


 車が切れると、黒沢がまたロータリーを進めた。雪壁が崩れ、シュートから大量の雪が四トンダンプの荷台へ飛び込んでいく。


 ところが、すぐにまたトランシーバーが鳴った。


『浩志さん、そっち一台行きました』


「来た。……二台いるな」


 浩志は道路の先を見た。


 一台目はパトカーだった。


「パトカーだ。先通す」


『了解です』


 この数日、パトカーを見かける回数が明らかに増えていた。


 国道398号線だけではない。県道や集落の中まで入り、一日に何度も巡回している。路肩に止まっているのを見かけることもあれば、警察官が住民に話を聞いているところを見ることもあった。


 浩志が手を上げると、パトカーはゆっくり作業区間を抜けていった。


 その後ろにいたのは、見慣れない県外ナンバーだった。


 助手席の窓が開く。


 スマートフォンが出てきた。


「また撮ってるよ」


『何を?』


 黒沢の声だった。


「知らね。こっち向けてる」


『俺でねえべ』


「くろさん撮ってどうすんのよ」


『知らねえよ』


 浩志は笑った。


 四トンダンプへの積み込みが終わる。


「はい、どうぞー!」


 手を振ると、県外ナンバーの車が動き出した。


 助手席の男は、ロータリーの横を通り過ぎてもスマートフォンを下ろさなかった。雪壁を撮り、その先の道路を撮りながら走っていく。


「ほんと増えたな」


『朝からこんなのばっかりですね』


 石田が答えた。


 少しして、今度は軽トラックが来た。


 荷台にスコップやかんじきを積んでいる。


「猟友会来た」


『今日もですか』


「朝も見たべ」


 運転していたのは佐藤勇だった。助手席には後藤慎吾がいる。


 浩志が手を上げると、勇も軽く手を上げて通り過ぎた。


 パトカー。


 猟友会の軽トラック。


 市の車。


 それに混じって、県外ナンバーの乗用車が何台も来る。


 冬の稲沢地区で、こんなに車を止め続けることは普段なかった。


 しかも、ただ通過してくれる車ばかりではない。


 少し先の路肩に乗用車が止まった。


 若い男が二人降りてくる。


 片方はスマートフォンを持っていた。雪壁と道路を交互に見ながら、何かを探している。


「そこ止めんなよ……」


 浩志が呟いた。


『なんかいた?』


「人。車止めて写真撮ってる」


『またか』


 黒沢の声にも、もう驚きはなかった。


 彼らが何を探しているのかは分かっていた。


 黒いものだった。


     *


 ロータリーで削った雪は、稲沢地区除雪隊の四トンダンプ四台で雪捨て場へ運んでいた。


 だが、そこへ来るのは四台だけではない。


 雪が続いて排雪が本格的に始まると、市の指定業者も一斉に動く。それぞれの現場から雪を満載したダンプが、皆瀬川沿いの雪捨て場へ次々に集まってきた。


 その日の雪捨て場を担当していたのは土田だった。


 担当は固定ではない。日によって替わる。


 数日前と比べても、雪捨て場はずいぶん大きくなっていた。


 堤防道路とほぼ同じ高さから河川敷へ向かって伸び、奥へ行くにつれて緩やかに高くなっている。先端はすでに川まで達し、そこから川に沿って、堤防道路と平行に広い雪面が造られていた。


 その外側は雪の崖になっている。


 一台の四トンダンプが堤防道路から入ってきた。


 雪を満載したまま、ゆっくり雪捨て場を登ってくる。奥まで進むとハンドルを切り、そこからバックで雪の崖へ近づいていった。


 崖の少し手前で止まる。


 荷台が上がった。


 雪がまとまって落ちる。


 荷台を下ろすと、ダンプは前へ出て、そのまま雪捨て場を下りていった。


 入れ替わるように土田がローダーを動かした。


 落とされた雪の山を、一度に全部押すことはしない。


 半分ほどを崖の方へ押して落とす。前輪を縁ぎりぎりまで出したところでアームを上げ、一気に下げる。


 グフッ、と前輪が沈んだ。


 柔らかかった雪が、ローダーの重みで締まる。


 少し横へずれる。


 また雪を押す。


 縁まで出る。


 グフッ。


 全部の雪を落としてから、改めて端を踏み固めて回るような暇はない。


 次のダンプはもう来ている。


 土田は場所を空けた。


 ダンプがゆっくり登ってきて、ハンドルを切る。バックで入って雪を落とし、荷台を下ろしたら出ていく。


 その雪をまた土田が押す。


 雪を落とす。


 前輪をかける。


 少し横へずれる。


 別の山を押す。


 そんな作業を並行して繰り返しているうちに、柔らかかった縁は少しずつ締まり、平らな雪面になっていく。


 簡単そうに見えて、これが難しい。


 慣れた土田がやれば、ダンプがバックしていく場所まできれいに平らに仕上がる。


 浩志がたまに担当すると、そうはいかなかった。


 見た目には平らでも、踏み固めの甘い場所が残る。


 そこへ雪を積んだ四トンダンプがバックしていき、後輪を乗せる。


 ズボッ、と沈む。


 それが一度や二度ではなかった。


 以前、浩志が担当した翌日に土田が、


「浩志さん、昨日どこ踏んだの?」


 と笑ったことがある。


「踏んだって」


「二台ハマったぞ」


「……そこは踏んでねえかもしれねえ」


「踏んでねえんじゃん」


「全部覚えてねえよ」


「ちゃんとやってくれよ」


「だったらおめ毎日やれ」


「嫌だよ」


 重機に乗れることと、その仕事が上手いことは別だった。


 午前十時頃、また四トンダンプが一台登ってきた。


 祐介だった。


 荷台には雪が山になっている。


 いつものように奥まで進み、ハンドルを切る。バックで入って雪を落とすと、荷台を下ろして前へ出た。


 そのまま帰るかと思ったが、土田のローダーの横で止まった。


 祐介が運転席から降りてきた。


 片手に缶コーヒーを持っている。


「つっちー」


 土田が窓を開けた。


「ほら」


「お、ありがと」


 缶を受け取る。


「今日、何台来てる?」


 祐介が訊いた。


「ダンプ?」


「うん」


「十台くらいだな。うちら四台と、業者が六台くらい」


「そんなにいる?」


「いる。朝から全然切れねえもん」


「そりゃ回るの早いわ」


「早すぎるんだよ。押してる途中で次来るから」


 土田は缶を開け、一口飲んだ。


 祐介も自分のコーヒーを飲みながら、広がった雪捨て場を眺めた。


「でかくなったな」


「数日前、まだあそこまでなかったからな」


「今年どこまで行くべな」


「まだ一月だぞ」


「だよなあ」


 堤防道路の向こうから、またダンプが見えた。


「ほら、来た」


「じゃ、戻るわ」


「ごっつぉさん」


「はいよ」


 祐介がダンプへ戻る。


 その四トンダンプが雪捨て場を下りていくのと入れ替わりに、次のダンプが登ってきた。


 土田はコーヒーを置いてローダーを動かした。


 午前中だけでも、雪捨て場は少しずつ形を変えていた。


     *


 その雪捨て場へ、ダンプでも作業車でもない車が入ってくることがあった。


 県外ナンバーの乗用車だった。


 三人ほど降りてくる。


 土田はローダーの中から横目で見た。


 珍しいのか雪捨て場を撮り、川の方を撮り、雪壁を撮り、そのまま道路の向こうへカメラを向けた。


「……観光地じゃねえぞ」


 この数日、こういう連中が珍しくなくなっていた。


 土地勘がないのだろう。


 動画に映っていた場所を探しているらしいが、どこなのか分からない。とりあえず目についた雪壁や川や道路を撮り、スマートフォンの画面と見比べている。


 見るだけなら勝手にすればいい。


 問題は車だった。


 乗用車が堤防道路の脇に止まったままになっている。


 そこへ四トンダンプが来た。


 雪捨て場へ入ろうとするが、乗用車が邪魔で大きく振れない。


 ダンプが手前で止まった。


「あー、もう」


 ローダーで近づき、土田はキャビンのドアを開けた。


「すみませーん! そこダンプ入るんで、車動かしてください!」


 三人が振り返った。


「あ、すみません!」


 慌てて車へ戻る。


 ところが一人が、ドアを開ける前に土田へ訊いた。


「あの、この辺って黒いやつ出た場所近いですか?」


「知らないです! ダンプ待ってるんで早く動かしてください!」


「あ、はい!」


 ようやく車が動いた。


 待っていたダンプの運転手が片手を上げる。


 土田も手を上げ返した。


 四トンダンプがゆっくり雪捨て場を登ってくる。


 県外ナンバーの乗用車は少し先まで走り、また速度を落としていた。


「ほんと何しに来てんだよ……」


     *


 原因は分かりきっていた。


 三人組は、あの夜の生配信をアーカイブとして公開していた。


 ワゴンRが襲われるところまで、ほとんどそのまま残っている。


 最初は三人が騒ぎながら稲沢地区をうろついているだけだった。


 コメント欄に何度も流れた、


 ――志村うしろ。


 それも最初は冗談だった。


 ところが、本当に後ろに黒いものが現れた。


 三人が逃げる。


 ワゴンRが横転する。


 悲鳴と一緒に、車体へ何かがぶつかる音が響く。


 やがてスマートフォンが吹き飛ばされ、画面には夜空と降ってくる雪しか映らなくなる。


 それでも配信は続いた。


 画面の外から三人の叫び声が聞こえ、車が壊されていく。


 しばらくして、エンジン音が近づいてくる。


 画面の端に黄色い回転灯の光が入り、続いてヘッドライトが雪を照らした。


 石田と黒沢の乗った散布車だった。


 その場面が何度も切り抜かれ、SNSに広がった。


 元の配信を見たことのない者まで知るようになった。


 警察が現場へ来たことも、ワゴンRが本当に廃車になったことも広まった。


 それまで加工だ、CGだと言われていた怪異観測室の動画まで、もう一度再生数を伸ばしている。


 何なのかは分からない。


 だが、何かはいた。


 そんな空気だけが、日に日に大きくなっていた。


     *


 その騒ぎで、思わぬほど儲かっているところもあった。


 佐藤養蔵商店だった。


「三段二つお願いしまーす!」


「はいよ!」


「こっち天ぷら付き一つ!」


 昼時の店内は混み合っていた。


 駐車場もほとんど埋まっている。


 秋田ナンバーに混じって宮城、岩手、山形。関東のナンバーまであった。


 元々、観光客の来る店ではある。


 それでも真冬の平日に、これほど県外客が集まることは滅多にない。


「すみません」


「はい」


「怪異観測室の人が食べてたのって、どれですか?」


「こちらの天ぷら付き三段せいろですね」


「じゃ、それ一つ」


「俺も同じので」


 よく出た。


 しかも店でも値段の高い方が、面白いように注文される。


 店が黒いものに便乗して何か始めたわけではない。


 怪異にちなんだ料理を作ったわけでも、動画配信者の写真を店先へ貼ったわけでもない。


 いつも通り稲庭うどんを出しているだけだった。


 それでも客は来た。


 怪異観測室の二人がここで食事をし、そのあとに来た志村たちまで昼の配信をここから始めた。


 志村が店内を撮影して注意された場面まで、妙な形で知られている。


「あ、ここだ。志村が怒られた店」


「怒られたんじゃなくて注意されただけだろ」


「本人も言ってたな」


 そんな話をしながら入ってくる客までいた。


 店員にしてみれば複雑なところもあったが、注文は次から次へと入る。


 理由はどうあれ、店は儲かっていた。


     *


『こちらは、防災湯澤市です』


 午後、防災無線がまた鳴った。


『稲沢地区において、熊と思われる大型獣の目撃情報が相次いでいます。大型獣を目撃した場合は絶対に近づかず、警察または市へ通報してください』


 この数日ですっかり聞き慣れた放送だった。


 朝にも流れる。


 昼にも流れる。


 夕方には、夜間の外出を控えるよう改めて呼びかける。


『また、興味本位で目撃場所へ近づいたり、写真や動画の撮影を行ったりしないようお願いいたします』


 その放送が流れている最中にも、県道では雪壁を背景に写真を撮っている者がいた。


 ほどなくしてパトカーが来た。


 この日だけでも何度見たか分からない。


 警察官が窓を開けて声をかけると、路肩に止まっていた県外ナンバーが動き出した。


 その少し先では、猟友会の軽トラックが山際に止まっていた。


 佐藤勇と後藤慎吾は、この数日、何度も稲沢地区を回っていた。


 山際を歩き、雪の上に残った跡を探す。


 志村たちが襲われた現場に残っていた足跡についても、警察から話を聞いている。


 だが、その後は何も見つからなかった。


「後藤さん」


 雪の上を歩きながら勇が訊いた。


「あの足跡、熊だと思います?」


「知らね」


 後藤は前を向いたまま答えた。


「車の写真も見ましたよね」


「見た」


「あれ、熊がやったと思います?」


「だから知らねって」


 後藤が振り返った。


「見でもいねえもの、分がるわけねえべ」


「ですよね」


「熊なら熊で跡あるべ。それ探すしかねえ」


 二人はまた歩き始めた。


 警察も探している。


 猟友会も探している。


 市も一日に何度も注意を呼びかけている。


 それでも、あの黒いものは見つからなかった。


     *


 雪は朝から降り続いていた。


 午後になると、降り方はさらに強くなった。


 ロータリーで広げた道路にも新しい雪が積もる。ダンプが何度も往復し、そのたびに新しい轍が刻まれ、その上へまた雪が積もっていった。


 雪捨て場も今日一日でさらに広がった。


 朝にはなかった場所まで雪が押し出され、平らにされ、その上を次のダンプがゆっくり進んでいく。


 午後三時を過ぎる頃には、今夜も深夜除雪になることを誰も疑っていなかった。


 やがて正式に連絡が回った。


 深夜除雪だった。


「今日もか」


 作業を終えた浩志が空を見上げた。


 黒沢もロータリーから降りてくる。


「この降り方ならしゃあねえべ」


「帰ったら飯食って寝るしかねえな」


「俺もだ」


 その横をパトカーが通った。


 少しして猟友会の軽トラックも走っていく。


 さらに、その後ろから県外ナンバーの乗用車が来た。


 昼間の稲沢地区には、普段なら考えられないほど人と車がいた。


 パトカーが走り、猟友会の軽トラックが山際を回る。


 ロータリーが雪壁を削り、四トンダンプが雪を運ぶ。


 県外から来た車が脇道まで入り込み、スマートフォンを持った人間が雪壁の前を歩いている。


 真冬の稲沢地区が、妙に賑わっていた。


 だが、夕方になると、その賑わいも少しずつ引いていった。


 県外ナンバーの車が国道398号線を湯澤市街の方へ戻っていく。


 猟友会もその日の捜索を終えた。


 日中の排雪も終わり、雪捨て場からダンプのエンジン音が消えた。


 佐藤養蔵商店の駐車場も、昼間の混雑が嘘のように空いていく。


 日が暮れた。


 午後五時を過ぎる頃、防災無線がまた鳴った。


『稲沢地区では、熊と思われる大型獣の目撃情報が相次いでいます。夜間の不要不急の外出は控え――』


 雪はやまなかった。


 八時。


 十時。


 十一時。


 県道を走る車も、ほとんどなくなった。


 昼間、動画と景色を見比べながら歩いていた者はいない。


 雪壁の前でスマートフォンを構えていた者もいない。


 家々の窓には明かりが残っていたが、外を歩く人間の姿はなかった。


 昼間はあれほど騒がしかった道路にも、ただ雪だけが降り続けている。


 日中につけられた轍は次第に浅くなった。


 雪壁の脇を歩き回った野次馬たちの足跡も、一つずつ輪郭を失っていく。


 真冬には似つかわしくない賑わいの痕跡を、新しい雪が静かに覆っていった。


 昼間につけられた轍も、足跡も、その下へ消えていった。

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