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稲沢除雪隊〜黒い獣〜  作者: 只野屍
第三章 黒い獣
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17/33

第四話 拡散

 朝の仕事が始まる前だった。


 詰所の畳の部屋には、いつものように何人かが集まっていた。


 部屋の中央に置かれたブルーヒーターが赤く燃えている。外はまだ薄暗い。今日の作業について話す者もいれば、座布団に座ってテレビを眺めている者もいる。


 祐介は畳の上であぐらをかき、スマートフォンを眺めていた。


 ニュースアプリを流し見していた指が止まった。


「……あれ?」


 画面を少し戻す。


 見覚えのある地名があった。


 ――湯澤市稲沢地区。


 記事を開く。


 数秒読んだところで、祐介が顔を上げた。


「なんか稲沢でYouTuber、動画撮ってらっすよ」


「YouTuber?」


 土田が反応した。


「何撮ってんの?」


「熊。ほら、この前から出てるやつ」


「わざわざ?」


「東京から来たみたいっす」


「物好きだな」


 祐介は記事を下へ送った。


 記事には動画へのリンクが貼られていた。


『秋田県で人気YouTuberが“謎の黒い獣”に襲われる 映像にCG疑惑も』


「結構ニュースなってる」


「見せて」


「ちょっと待って。動画あるから」


 祐介がリンクを押した。


 YouTubeが開く。


 再生回数を見て、祐介が目を丸くした。


「うわ、すげえ回ってる」


「どれくらい?」


「もう百万超えてる」


「そんなに?」


 興味を持った何人かが寄ってきた。


 祐介は音量を上げ、スマートフォンを畳の上へ置いた。


 画面に大曲駅が映った。


『どうも、怪異観測室の拓海です。今回は緊急で秋田県に来ています』


「大曲から撮ってんのか」


「最初っからかよ」


 画面の中では、東京から来た二人が駅前の雪を見て驚いている。


『雪、すごくない?』


「大曲でこれなら、こっち来たらどうなんだよ」


 誰かが笑った。


 やがてレンタカーのヤリスが高速道路を走り、湯澤市へ入る。


 国道三九八号線。


 見慣れた雪壁。


 見慣れたトンネル。


 それらが東京から来た二人のカメラを通すと、妙に違って見えた。


『これ、車の屋根より高いところあるぞ』


「そりゃあるべ」


 笑い声が起きた。


 やがて画面にローソンが映った。


「あ、ここじゃん」


「ほんとに来てるな」


「そりゃ来てるだろ」


 黒沢は少し離れたところに座り、テレビを見ていた。


 石田もスマートフォンを覗き込む輪には入ってこない。


 若い連中がYouTubeを見て騒いでいる。


 二人にはその程度のことだった。


 動画は昼食の場面へ移った。


 大きな看板に、佐藤養蔵と映る。


「あ、養蔵行ってる」


「観光してんじゃねえか」


「うどんうまそう」


「一番高いやつ食ってるな」


 三段のせいろと天ぷらを前に、拓海が食レポを始める。


『細いのにちゃんとコシある。つるっと入るけど、噛むとちゃんと弾力がある』


「熊探しに来たんじゃねえの?」


「昼飯くらい食わせてやれよ」


 また笑いが起きた。


 動画の前半は、ほとんど旅行動画だった。


 そのうち仕事の時間も近づいてくる。


「長えな。飛ばせ飛ばせ」


「待って、たぶん後半だべ」


 祐介が再生位置を動かした。


 夜の映像になった。


 笑い声が少し減った。


 街灯。


 雪壁。


 薄く雪の積もった県道。


 見覚えのある風景だった。


『現在、午後九時二十七分です』


 白い息を吐きながら拓海が話している。


『雪が少し降っています。さっきから何か所か回ってるんですけど、今のところ熊らしきものは確認できていません』


「こんな時間まで何してんだよ」


「熊探し」


「だから、それがおかしいんだって」


 誰かが笑った。


 祐介も笑っていた。


 浩志は少し離れたところから画面を見ていた。


 夏樹もいた。


 二人とも、最初から動画に興味があったわけではない。


 ただ、稲沢地区で撮られたと聞けば、多少は気になる。


 画面の中で、拓海が何かに気づいた。


『……直人』


『何?』


『あれ』


 カメラが動いた。


 街灯の先。


 雪壁のそば。


 そこに、黒いものがいた。


「……何だこれ」


 誰かが言った。


 さっきまでの笑い声が止まった。


 祐介がスマートフォンを手に取り、顔へ近づけた。


「これ……」


 画面の中の黒いものは、ひどく不自然だった。


 夜だから黒く見えるのではない。


 街灯の光を受けても何も返さない。


 陰影もない。


 毛並みもない。


 雪の上に、真っ黒な形だけが置かれている。


「CGじゃねえの?」


「なんか貼っつけたみたいだな」


「だからニュースなってるんでねえの?」


 祐介は黙って見ていた。


 何かが胸に引っかかった。


 以前、自分が除雪中に一瞬だけ見たもの。


 道路脇にいた黒い何か。


 あのときは、イノシシか小熊だと思った。


 その後、猟友会が熊を一頭駆除したと聞いて、祐介の中ではそれで話が終わっていた。


「……俺が見たのも、こんなんだったのかな」


「何?」


「いや、前に一回、黒いの見たことあるって言ったべ」


「ああ」


「でも一瞬だったからな。俺は小熊かイノシシだと思ってたし。そのあと熊獲ったから、あれだったのかなって」


 祐介自身、確信はなかった。


 ただ、黒かった。


 それだけしか覚えていない。


 浩志は何も言わなかった。


 画面を見つめていた。


 あれは違う。


 熊ではない。


 浩志は、それを知っている。


 除雪中に自分が見たもの。


 子熊ほどの大きさしかなかった、光をまったく返さない真っ黒なもの。


 形は違って見えるのに、同じものだと感じた。


 そして。


 大きい。


 自分が見たものより、明らかに大きい。


 浩志が夏樹を見た。


 夏樹も画面を見ていた。


 表情が変わっている。


 深夜のパトロールで見た。


 あのとき夏樹も、熊ではないと確信した。


 視線が合った。


「……なつきくん」


「ああ」


 夏樹が小さく答えた。


「俺ら見だの、こんなでがぐなかったよな」


「……なかった」


 二人の声は小さかった。


 周囲の者には聞こえなかった。


 動画の中で、黒いものが動き始めた。


 カメラ越しでも異様だった。


 立体感のない黒い形が、雪の上をこちらへ近づいてくる。


『拓海』


『うん』


『そろそろ戻った方がいい』


 その直後。


 黒いものが一気に動いた。


『拓海!』


『戻るぞ!』


 画面が激しく揺れる。


 二人がヤリスへ走る。


 車内へ飛び込む。


 エンジンがかかる。


 そして、


 ガンッ!


 大きな音がスマートフォンから響いた。


『うわっ!』


『ミラー!』


『いいから出せ!』


 ヤリスが走り出す。


 カメラが後ろを向く。


 黒いものが追ってくる。


「……これ、作り物か?」


 誰かが呟いた。


「分かんね」


「ミラーまで壊してるぞ」


「再生数取るためなら、それくらいやる奴いるんでねえの?」


「十五万人も登録者いるんだってよ」


「十五万って多いの?」


「かなり多いっすよ」


 祐介が答えた。


 動画は、逃げ切った二人がコンビニの駐車場で映像を確認するところまで続いた。


 そこで祐介は再生を止めた。


「これが今、めちゃくちゃ炎上してるみたいっす」


「何で?」


「CGだって言ってる人と、本物だって言ってる人と。あと、こんなときにわざわざ来て夜中に撮影してるのが迷惑だって」


「そりゃそうだべ」


「熊出てるって分かって来てんだからな」


「何かあったら結局こっちが迷惑するんだぞ」


 祐介はニュース記事へ戻った。


 怪異観測室側は、映像に合成や加工はしていないとSNSで否定しているらしい。


 それがさらに話題になっていた。


「昨日だけで登録者、何万人も増えたみたいっすよ」


「炎上して増えるの?」


「増えるんすよ。みんな見に行くから」


「変な世界だな」


 夏樹はもうスマートフォンを見ていなかった。


 浩志も同じだった。


 他の者たちがCGだ、本物だと話している。


 二人には、その議論そのものがどうでもよかった。


 同じものかどうか。


 確かめようがない。


 それでも。


 自分たちが見たものより、大きくなっていた。


 そのことだけが頭から離れなかった。


     *


 怪異観測室の動画は、その日も伸び続けた。


 公開当初、十五万人を少し超えた程度だったチャンネル登録者数は、数日のうちに二十万人を突破した。


 そこで止まらなかった。


 ニュースサイトが取り上げる。


 まとめサイトが取り上げる。


 SNSでは短く切り抜かれた黒いものの映像が何度も転載された。


 CGだと断定する者。


 本物だと信じる者。


 宣伝のための自作自演だと疑う者。


 映像そのものより、危険が呼びかけられている地域へわざわざ撮影に行った二人を批判する者。


 議論は動画を見ていなかった人間まで呼び込んだ。


 数日で、登録者数は十万人以上増えた。


 二十五万。


 二十七万。


 二十八万。


 そして三十万人が見えるところまで来た。


 拓海自身にも、想像していなかった影響が出た。


     *


「三浦君、ちょっといい?」


 会社で上司に呼ばれたとき、拓海にはだいたい察しがついた。


 会議室へ入る。


 上司はノートパソコンを開いていた。


 画面に見覚えのあるものが表示されている。


 怪異観測室だった。


「これ、三浦君だよね」


「……はい」


 隠す意味もなかった。


「YouTubeやってること自体をどうこう言いたいわけじゃないんだけどね」


「はい」


「今回の件、結構ニュースになってるよね」


「そうですね」


「会社名まで調べようとしてる人がいるみたいなんだよ」


 拓海は黙った。


「危険だから夜間の外出を控えるよう呼びかけられてる地域に、わざわざ撮影しに行ったっていう批判も出てる。会社としては、そこをちょっと問題にしてる」


 もっともだった。


 拓海自身、それについては反論するつもりもなかった。


 黒いものを実際に見るまでは、自分たちもどこかで企画として考えていた。


 熊なら熊でいい。


 何も出なくても一本の動画にはなる。


 そんな程度だった。


 実際に襲われた。


 レンタカーのサイドミラーまで壊された。


 今になって考えれば、軽率だったと言われても仕方がない。


「今後については、少し考えてもらいたい」


「分かりました」


 その日の帰り。


 拓海は電車の中でスマートフォンを開いた。


 怪異観測室。


 登録者数は、また増えていた。


 これまで何年もかけて十五万人まで増やした。


 それが一本の動画で、倍になろうとしている。


 ずっと考えていた。


 もう少し伸びたら。


 収益がもう少し安定したら。


 会社を辞めて、専業でやってみたい。


 いつか。


 そのうち。


 条件ばかり考えて、決断を先送りにしてきた。


 その夜、拓海は直人に電話をかけた。


『もしもし』


「俺、会社辞めようと思う」


 少し間があった。


『……マジで?』


「うん」


『今日なんか言われた?』


「言われた。でも、クビとかじゃないよ。注意されただけ」


『だったら辞めなくてもいいだろ』


「前から考えてたから」


『それは知ってるけど』


「今、登録者二十九万近い」


『それも知ってる』


「やるなら今かなって」


 直人はすぐには答えなかった。


『俺は辞めないよ』


「分かってる」


『嫁いるからな』


「うん」


『三十万行きそうだから会社辞めます、なんて簡単に言えないから』


「お前はそれでいいよ」


『……本気なんだな』


「本気」


 拓海は窓に映った自分を見た。


「一回、やってみたい」


 直人が息を吐く音がした。


『分かった』


「直人は今まで通りでいいから」


『それはいいけどさ』


「うん」


『専業になったからって、毎週あんな目に遭う企画持ってくんなよ』


 拓海は少し笑った。


「それは俺も嫌だよ」


     *


 数日後。


 仙台市。


 スマートフォンの画面に、雪の積もった夜の県道が映っていた。


『……直人』


『何?』


『あれ』


 黒いものが画面に現れる。


 それを三人の若者が見ていた。


 二十歳を少し過ぎたくらい。


 三人とも髪型や服装にはそれなりに気を遣っていて、並んでいれば目を引く。


 黙っていれば、それなりに格好いい。


 黙っていれば、だが。


「これ絶対行けるって」


 志村が言った。


「何が?」


「俺らも行こうぜ」


「秋田?」


「そう」


「熊いるんだろ?」


「だから行くんじゃん」


「いや、こいつら熊じゃないって言ってんじゃん」


「どっちでもよくね?」


 志村が動画を少し戻した。


 黒いものがヤリスへ向かって走ってくる。


「これ今めちゃくちゃ伸びてるから」


「でもYouTubeだろ?」


「俺らはライブでやればいいじゃん」


「TikTok?」


「そう。リアルタイムならCGとか言われないっしょ」


「あ、それいいな」


 もう一人が身を乗り出した。


「怪異観測室の動画見て、実際に同じところ行ってみました、みたいな?」


「そうそう」


「場所分かんの?」


「稲沢地区ってとこまでは出てる」


「そこから探すの?」


「行けば何とかなるって」


 根拠はなかった。


「仙台から秋田って何時間?」


「知らん。調べればいいじゃん」


「雪やばくね?」


「チェーンあるから大丈夫だって」


「タイヤ普通だぞ」


「だからチェーンつけんじゃん」


 三人は顔を見合わせた。


 誰も「やめよう」とは言わなかった。


 志村が笑った。


「決まりな」


「いつ?」


「今度の休み」


「泊まり?」


「ホテルなんかいらなくね? 夜撮るんだし」


「眠くなったら車で寝ればいいか」


「そうそう」


 志村がもう一度、怪異観測室の動画を再生した。


 画面の中で、黒いものが雪の上を走っていた。


「これ、生で出たら絶対バズるぞ」


 三人の誰かが笑った。


 スマートフォンの小さな画面の中で。


 黒いものは、何度でも同じ動きを繰り返していた。

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