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稲沢除雪隊〜黒い獣〜  作者: 只野屍
第二章 冬が始まる
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12/33

第六話 長靴を超える

 十二月も後半に入ると、雪の降らない日の方が少なくなった。


 除雪に出る基準は十五センチだった。


 十五センチ積もれば出動する。そこに迷う余地はない。


 難しいのは、そこまで積もっていない夜だった。


 午前零時の時点で十センチにも届いていない。雪も弱まり、このまま止みそうなら出ないこともある。だが、同じ八センチ、九センチでも、強く降り続いていて朝まで雪の予報なら話は違った。


 その時点では基準に達していなくても、除雪をしている時間帯に十五センチを軽く超えてくることがある。


 積雪センサーの数字だけを見ていればいい仕事ではない。


 予報を見て、雪雲の動きを見て、実際の降り方を見る。


 最後に決めるのは、親方の夏樹だった。


 この夜も、そんな微妙な降り方だった。


 午前零時を過ぎるころには、重機車庫のストーブがある部屋に、いつもの面々が集まり始めていた。


「今日もだな」


 浩志が言った。


「んだなあ」


 智也がストーブに手をかざしたまま答える。


 外では細かな雪が途切れることなく降っていた。


 夏樹が入ってきた。


「まだ十センチいってないけど、今日は出た方いいな。朝まで降るみたいだし」


「これ、止まねえべ」


 黒沢が窓の外を見た。


「たぶんな」


 夏樹も外を見た。


 智也が腰を上げる。


「たまには早く出るべ」


 それを合図に、皆が立ち上がった。


 外では、それぞれの機械が暖まっていた。


     *


 それから数日、似たような夜が続いた。


 十数センチ。


 十五センチ。


 十八センチ。


 一晩休んで、また雪。


 夜中に出て、朝まで掻く。


 帰って飯を食って寝る。


 また夜が来る。


 週に一度、夜中に出なくていい日があればまだいい。降り方次第では、その一度すらなくなる。


 道路から掻いた雪も消えるわけではなかった。


 グレーダーで路肩へ寄せる。


 住宅街ではローダーで広場や、道路の幅が広くなった場所へ運ぶ。


 そこがいっぱいになれば、ダンプで排雪する。


 グレーダーの路線も同じだった。降るたびに左右へ雪が積み上がり、少しずつ道路が狭くなっていく。三日もすれば、ロータリーを入れて広げなければならない。


 広げても、また降る。


 空けても、また埋まる。


 雪を片付けているのではない。


 次に降る雪を置く場所を、作り続けているようなものだった。


     *


 十二月二十四日。


 午前七時前。


 その日の除雪を終えた機械が、重機車庫へ戻ってきていた。


 浩志も705を停め、ストーブのある部屋へ入った。


 土田が椅子に腰を落とし、疲れた顔をしていた。


「毎日毎日、ちまちま降りやがって」


 祐介が缶コーヒーを開ける。


「明日も雪っすよ」


「また?」


「またっす」


「一回ぐれ休ませれってな」


「天気に言ってくださいよ」


「言って聞ぐなら言うよ」


 土田は窓の外を見た。


 朝になっても、まだ細かな雪がちらついている。


「どうせ降るならよ」


「はい」


「たまには長靴超えるぐれぇ降ってみれってんだ!」


 祐介が吹き出した。


「何言ってんすか!」


「毎日十五だ二十だって、ちまちま降るぐれなら、一発で来いってんだ」


「あー、言っちゃったー」


 浩志が言った。


「何よ」


「そういうフラグ立てれば、本当に降るぞ」


「降るわけねえべ」


「知ーらね」


 祐介がにやにやしながら口を挟んだ。


「じゃあ長靴超えたら、つっちーさん一人で全部やってくださいね」


「いいよ」


「言いましたね?」


「長靴超えたらな」


「ちゃんと聞きましたからね」


「はいはい」


 誰も本気にはしなかった。


     *


 二日後。


 午後から降り始めた雪は、夕方になっても弱くならなかった。


 夜になると、さらに勢いを増した。


 午後十一時過ぎ。


 浩志は家の窓から外を見た。


 街灯の光の中を、雪が途切れることなく落ちている。


 予報は朝まで雪。


 もう十五センチになるかどうかなど、考える必要もなかった。


 確実に出る。


 着替えて家を出る。


 長靴が新雪へ深く沈んだ。


「……来たな」


 重機車庫へ着くころには、すでに何人も集まっていた。


「結構あるな」


 浩志が言った。


「あるね。三十は超えてる」


 夏樹が答えた。


「まだ降るべ?」


「朝までみたいだな。今日は時間かかるよ」


 窓の外では、雪が激しく降り続いている。


 智也が立ち上がった。


「たまには早く出るべ」


 皆が続いた。


     *


 浩志はGD705で路線へ向かった。


 最初から雪の量が違った。


 ブレードを入れる。


 雪が左へ流れる。


 普段なら、そのまま路肩へ抜けていく。


 だが今夜は、流す先にも強烈に積もっていた。


 左へ流しているはずの雪が逃げ切らない。


 ブレードの前に溜まり始める。


「抱えるな、これ」


 さらに進む。


 雪の量が増えていく。


 左へ逃げ切れなくなった雪が、とうとうブレードの右端からも溢れ始めた。


「一発じゃ無理だな」


 浩志は早々に仕上げることを諦めた。


 一往復目は、とにかく道路を開ける。


 右から雪がこぼれても構わない。


 まず道路の中心部に、車が通れるところを作る。


 残った雪は二往復目で拾えばいい。


 さらに進むと、ブレードより前方に抱え込んだ雪が左前輪まで達した。


 前輪が雪に乗り、路面を捉えられなくなる。


 GD705は前へ進んでいる。それなのに、駆動していない左前輪は押し寄せる雪に負け、ゆっくり逆へ回った。


「うわ、ひでえな」


 左へ流し切れない雪は、ブレードの右端からも溢れている。


 それでも掻く。


 仕上がりなんて、今はどうでもよかった。


 一往復目で道を開ける。


 右へこぼした雪は、二往復目で拾う。


 大量の雪を抱えたまま、GD705はじりじりと、どこが道かも分からない雪の中を進んでいった。


     *


 一往復目を終えても、雪はまだ降り続いていた。


 浩志はそのまま二往復目へ入った。


 今度は仕上げだった。


 一周目で右へこぼした雪を拾う。


 道路上に残った雪もブレードへ入れる。


 それを左へ流し、路肩へ寄せていく。


 当然、道路脇にはいつもの何倍もの雪が積み上がった。


 日中はロータリー確定だな。


 考えるまでもなかった。


 そのとき、作業灯の端に何かが見えた。


 浩志は一瞬だけそちらを見た。


 黒い。


 雪の中に、四つ足の何かがいた。


 小熊ほどの大きさだった。


 全身が真っ黒だった。


「……あれが?」


 皆が話していたものだろうか。


 作業灯は確かに当たっている。


 なのに毛並みが分からない。


 顔もよく見えない。


 ただ、そこだけがひどく黒かった。


 まるで黒い紙を切って置いたように見える。


 立体感のない黒いものが動いた。


 深い新雪を掻き分け、こちらへ近づいてくる。


 浩志は前へ視線を戻した。


「道路さ出てくんなよ」


 GD705はそのまま進んだ。


 止まって確かめる気などなかった。


 まだ二往復目の途中だった。


 雪は降っている。


 クマだろうが何だろうが、今は構っていられなかった。


     *


 午前七時近く。


 空が白み始めたころ、浩志はようやく重機車庫へ戻った。


 いつもなら、この時間にはだいたい皆が戻っている。


 今日は違った。


 ローダーが何台か、まだ帰ってきていない。


 浩志は705を停めた。


 エンジンを切り、運転席から降りる。


 ステップへ長靴を掛けた瞬間、足が滑った。


「うおっ」


 咄嗟に手すりを掴んだ。


 落ちはしなかった。


 その代わり、右の脛をステップの角へ思い切りぶつけた。


「いってぇ……!」


 しばらく、その場で動けなかった。


「何してるんすか」


 祐介だった。


「滑った」


「大丈夫っすか?」


「痛え」


「気ぃつけてくださいよ」


「うるせ」


 浩志が脛を押さえていると、土田が戻ってきた。


「いやあ、ひでかったな」


 その顔を見た瞬間、祐介がにやりとした。


「つっちーさん」


「何よ」


「長靴超えましたね」


「……」


「俺、途中で降りたら上から雪入ってきましたよ」


「知らね」


「長靴超えるぐれぇ降ってみれって言いましたよね?」


「言ってねえ」


「言った!」


「覚えてねえ」


「一人で全部やるって」


「言ってねえって!」


 笑い声が上がった。


 だが、まだ全員は戻っていなかった。


 七時半を過ぎて数台ローダーが戻ってきた。


 さらに時間が過ぎた。


 八時を回って、ようやく智也が戻ってきた。


 ローダーを停め、降りてくる。


「疲れだ……」


「遅かったな」


「今日の雪運ぶのキツイべぇ。何回運んだか分がらね」


「まず飯食ってこい」


「んだ。腹減って駄目だ」


 ようやく夜中の除雪が終わった。


 だが、その日の仕事は終わっていなかった。


     *


 いったん帰宅する者は帰った。


 飯を食う。


 少し休む。


 朝の除雪が長引いた者は、その分だけ日中作業に入る時間も遅らせた。


 昨夜、道路からどけた雪が町のあちこちに残っていた。


 浩志と石田。


 祐介と黒沢。


 二組はロータリー除雪車で、グレーダー路線の拡幅へ向かった。


 浩志は左側の運転席に座った。


 左へ寄った席からは、道路の端がよく見える。どこまでオーガを寄せられるか確かめながら、今朝自分で積み上げた雪へロータリーを食い込ませていく。


 右の助手席には石田が座っていた。


 六十六歳の新人。


「石田さん、ここは左の方にお願いします」


「はい、分かりました」


 石田がレバーを操作する。


 シュートがゆっくりと向きを変えた。


「もう少し左です」


「このくらいですか?」


「はい。そこで大丈夫です」


「分かりました」


 オーガが雪の壁へ食い込んだ。


 砕かれた雪が吸い上げられ、シュートから勢いよく吐き出される。


 少し進むと家が近づいてきた。


「石田さん、次は右の方に振ってください。家あるんで」


「はい」


「もう少し……はい、そこでお願いします」


「このままでいいですか?」


「大丈夫です」


 雪が別の方向へ飛んでいく。


 浩志は左側を見ながら、ロータリーをゆっくり進めた。


 道路の端を見て、家を見て、電柱や標識を見ながら少しずつ広げていく。


 家並みが途切れ、しばらくシュートを動かす必要のない場所へ入った。


 石田が前を見ながら言った。


「浩志さん、よくあんな大きな機械、運転できますね」


「グレーダーですか?」


「ええ。ずいぶん長いでしょう。見ていると難しそうですよ」


 浩志は笑った。


「慣れればそんなでもないですよ。基本、グレーダーってデカくて長いトラクターみたいなもんですよ」


「トラクターですか?」


「普通にハンドル切れば前のタイヤ曲がりますから。ローダーみたいに、曲がるたび車体が真ん中から折れるわけじゃないんで」


「ああ、なるほど」


「グレーダーも中折れはできますけどね。普段はほとんど使わないですよ。よっぽど狭いところ出入りするときくらいで」


「じゃあ、普段は普通にハンドルで?」


「そうです。前輪切って曲がります」


「それなら、少し分かる気がします」


「まあ、長いですけどね」


 浩志が笑うと、石田も笑った。


「私はこのシュートだけでも、まだ考えながらやってますよ」


「最初はそれでいいですよ。方向は俺が言いますから」


「すみません。お願いします」


「そのうち慣れますよ」


「そうだといいんですけどね」


 浩志は前方を見た。


「石田さん、次、左お願いします」


「はい」


 シュートが動いた。


 ロータリーは再び雪の壁へ食い込んでいった。


     *


 住宅街では、排雪が始まっていた。


 広場や、道路の幅が広くなった場所へ一時的に溜めていた雪は、昨夜の大雪でとうとう限界を越えていた。


 雪の山が道路側へせり出し、車一台がぎりぎり通れるほどまで狭くなっている場所もあった。


 智也のローダーにはバケットが付いていた。


 雪の山へバケットを入れる。


 持ち上げる。


 待っている四トンダンプの荷台へ落とす。


 土田。


 辰雄。


 夏樹。


 三台が順番に雪を積み、河川敷の雪捨て場へ走った。


 一台出れば、次が入る。


 積む。


 出る。


 空になったダンプが戻ってくる。


 また積む。


     *


 雪捨て場では譲がローダーに乗っていた。


 四トンダンプが堤防道路へ入ってくる。


 所定の位置で停まり、荷台がゆっくり上がった。


 大量の雪が、堤防道路との落差を使って河川敷へ滑り落ちていく。


 ダンプが去ると、ローダーを前へ出した。


 落とされた雪を押す。


 踏む。


 さらに奥へ押し込む。


 次のダンプが雪を捨てられる場所を作っていく。


『次、一台行くよ』


 智也の声がトランシーバーから入った。


『はいよ。まだ大丈夫だ』


 譲が応じる。


『どっちさ落とす?』


『今度、少し右さ寄せて』


『了解』


 しばらくすると、また四トンダンプが堤防道路へ現れた。


 荷台が上がる。


 雪が落ちる。


 譲が押す。


 また次の一台が来る。


     *


 昼には休憩を取った。


 夜中から動いている。


 まして今日は、いつも以上の大雪だった。


 午後からまた作業を始めたが、全部終わらせようとはしなかった。


 雪はいくらでもある。


 一般車も走る。歩行者もいる。


 暗くなってからロータリーで大量の雪を飛ばすような無理はしない。排雪も同じだった。


 三時を過ぎるころには、どこで切り上げるかを考え始めた。


 四時近く。


『これで最後にするべ』


 智也の声がトランシーバーから入った。


『了解』


 譲は最後に落とされた雪を奥へ押した。


 踏み固め、翌日またダンプが入れる場所を作って、その日の作業を終えた。


     *


 四時を少し回ったころ。


 浩志はロータリーを重機車庫横の稲沢地区庁舎駐車場へ入れた。


「今日はここまでですね」


 石田が言った。


「そうですね。暗くなる前にやめた方いいですよ」


 少し遅れて、祐介と黒沢のロータリーも戻ってきた。


 そのまま車庫には入れない。


 浩志と石田は車外へ出た。


 オーガの刃には雪がこびりついている。


 車体の上にも、吹き返した雪が乗っていた。


 二人でそれを落としていく。


 祐介と黒沢も、隣でもう一台の雪を落としていた。


 オーガを確認する。


 車体の上もきれいにする。


 最後にシュートを畳んだ。


 二台のロータリーが順番に車庫へ収まった。


 排雪班も戻り始めた。


 三台の四トンダンプ。


 智也のローダー。


 少し遅れて、雪捨て場にいた譲も戻ってきた。


 一日かけて道路を広げた。


 住宅街から雪を運び出した。


 河川敷には、また雪を捨てられる場所を作った。


 全部きれいになったわけではない。


 次の雪を受け入れる余裕を、少し作っただけだった。


 浩志は空を見上げた。


 四時を過ぎたばかりなのに、冬の空はもう薄暗い。


 土田が近くへ来た。


「今日こそ降らねばいいな」


 浩志は横目で見た。


「おめ、もう天気のこと喋んな」


「なんでよ」


「ろくなことにならねえ」


「俺のせいでねえべ!」


 向こうで祐介が笑った。


 皆も笑った。


 その日の夜。


 稲沢地区には、また雪が降り始めた。


 県道の西の端では、浩志がグレーダーで壊した石像が、深い雪の下に埋まっていた。


 石の頭さえ、もう見えない。


 誰も、それを掘り出そうとはしなかった。


 今は黒いものよりも、荒神様よりも。


 明日の朝までに、また道路を開けなければならなかった。

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