思考は個人の自由であるべきだ。
「というわけで、諸君」
翌日の、ホームルームである。室長は、普段と特に変わらないトーンで生徒を見渡した。俺はいつも通りに教室の後ろに控え、ヨジュンはマタルに遣いに出ている。
「カロスくんに委縮している者がいるようだが、その必要はまったく無い。心配しなくてもいいので、カロスくんのことで言いたいことや聞きたいことがあるなら今この場で発言したまえ。特別授業として、答えてあげよう」
教室内はしんとした。無理からぬことだ。この状況で、はい私が、と手を挙げるような根性のある生徒なら、こそこそと俺を盗み見ずに最初から突撃してくるだろう。
「ふむ。誰もなにも発言しないのか? それならば、今後一瞬でも不必要にカロスくんに視線をやる者にはペナルティを付けることになるが、構わんかね?」
室長の発言に、しんとしていた教室がざわつく。
「というのは冗談だ。静まりたまえ」
言いながら、教卓の上に置いてある紙の束を掲げ、室長は続けた。
「ここに、紙がある」
髪がある、と聞こえたのは俺だけだろうか。いや、今はそんなことどうでもいいが。
「今から配るから、ここに思いの丈を余すところなく記入したまえ。記名は自由だ。無記名の場合は個人的な対応が出来ないが、近いうちにホームルームなどで答えると約束しよう。ちょうどいい機会だから、カロスくんのことだけではなく、学校に対する不安や要望も記入したまえ。なんでも構わんよ」
小さなざわめき。やがてそれは、紙を配られると収束していった。
「今すぐに書けとは言わない。教室内で相談しても構わない。三日後に回収するから、それまでに記入しておきたまえ。さて、質問はあるかね?」
誰も挙手はしなかった。ホームルームはそこで終了となる。
そうして一時間目。
「教科書を開きたまえ。今日は、仲介人の中でも案内人としての心構えを勉強していく。研修生の時も少し習っただろうが、これからが本番だ。気を引き締めてかかりたまえ」
先と重複になるが、この学校は仲介人の養成所だ。のちに三つの道に別れるが、まずは案内人の授業になる。この役目は、地球で寿命を終えた魂がマタルに干渉しないように見張ることと、間違えてマタルに入ってこないように誘導することだ。これも重複するが、案内人は魂を肉体に返すようなことをしてはいけない。その権限も力も無い。――極々少数の例外を除いて。
「まず、地球やマタルで寿命を終えた魂は、精神世界に召し上げられる。その後、いわゆるあの世へ向かい、記憶を洗浄される。完全に記憶を失くしたら、また地球やマタルへと戻る。その繰り返しだ。マタルは、地球からあの世への行く通り道に存在している」
室長の言葉に合わせて、俺がホワイトボードに図を書いていく。地球、あの世、その間にマタル。
「余談になるが、魂は一般的に思い込まれているような球体ではない。一握りの砂のような見かけだ。見た感じ、さらさらとしている。色は黄金色に近い。まあ、普通にマタルで暮らしているだけでは魂を見たことなど無いだろうが」
マタルからあの世へ通じる場所へ行くには、それ専用の扉を通らなくてはならず、扉を通るには、その前の関所で案内人としての免許を提示しなければならないからだ。
「人間界からあの世への通り道にあるので、間違えてマタルに入ろうとする魂は多いのだ。極々稀にそのまま入り込んでしまいマタルの住民となる魂があるが、これは本当にレアケースなので、今は覚えなくていい」
言って、室長はホワイトボードをとん、と拳の裏で叩いた。
「あの世という場所には、マタルや地球のような名前が無い。正直、そのシステムも解明されていない部分が大きい。ただ、魂の洗浄場所ということくらいしか判っていない。何故なら我々マタルの住民は、もちろん地球人もだが、生きている限りあの世には入れないからだ」
あの世には、生きている者は入れない。しかし死んでいる者は記憶の洗浄をされて地球もしくはマタルに返される。従って、謎は半永久的に解明されない。
その謎を解こうとすることは、生きていく意味を問うことに等しいかもしれない。
もしくは、産まれた意味を問うことに。
「案内人の役目はあくまで案内すること。それ以上でもそれ以下でもない。また、案内人がいるにも関わらず、極稀に魂がマタルに入ってしまうことがある。そういう場合は、マタル内にその魂の相手をする専門部署があるので、きみたちは追いかけなくていい。逆に、マタルで一時保護している魂が通り道へ出てくることがある。その際は、マタルまで再度案内する必要がある。それは案内人の役目となる」
それから室長は、案内人の動きについて具体的に話をしていった。まず、あの世への通り道にて待機。魂がやってきてマタルに入ろうとする時に声掛け。スムーズにあの世へと送り届ける。魂によっては一筋縄ではいかないので、上手に説得すること。どんな魂が相手でも、感情に流されずにあの世へ送ること。
生徒たちはそれぞれノートに取りながら、真剣に話を聞いていた。
「質問は無いかね? …ふむ。無さそうだな。では諸君。講義が一通り済んだところで、これから実際に魂の相手をしてもらう。具体的には地球からあの世への通り道で待機して、迷っている魂をあの世へ導いてもらう」
静かだった教室内がざわついた。ついにこの時が、ということだろう。
「案内人は基本的に一人で行動するものであるからして、きみたちにも一人ずつ実習を受けてもらう。これから出席番号順に通り道まで行ってもらい、その他の者は自転車の練習だ。通り道まで付き添うのは私。自転車教習はカロスくんが行う」
教室内を見渡して、トレフ室長は続ける。
「むろん、通り道に行った時に都合よく迷える魂が現れるとは限らない。なかなか現れない場合は、現れるまで待ってもらう。待機も一つの仕事と思いたまえ。もう一度聞くが、なにか質問はあるかね?」
誰からも質問は投げられない。
「ふむ。よろしい。あとこれは大切なことだが、今回の実習が終了したら試験を受けてもらう。全員の実習が終了するまで大体十日ほどを予定しているので、試験も十日後と思ってもらっていい。仮に全員の実習の終了が早まったとて、十日後よりも早く試験をすることはない。試験内容としては、二日間をかけて筆記と実技を受けてもらう形になる。今期最初の試験だ。気合を入れて臨みたまえ」
室長がそう言って、さっそく出席番号一番のイーダから実習に出ることになった。一人ずつ挑戦するとはいえ、一人が戻ってきてから次が行っていては時間の無駄になるので、出席番号五番までが一緒に通り道へ向かう。一番のイーダが戻ってきたら六番が出る、という形だ。
学校から通り道へ出るには、前述のとおり職員室の壁をすり抜ければいい。ただし、この壁をすり抜けられるようにするには、壁に備え付けられているキーパッドに暗証番号を入力しなければならない。番号を知っているのは室長だけだ。俺やヨジュンでさえ、室長がいないと通ることは出来ない。
出席番号一番から五番までが教室から出て行って、その他の者は俺とともに屋上へ向かう。
今朝の室長の言葉が効いているのか、俺を盗み見るような生徒はもういなかった。室長の言葉というより、ユーリィ家という名前に委縮しているだけかもしれないが。
つくづく、面倒な家に産まれたものだ。望んだわけでもないのに。
自転車教習は、滞りなく進んでいる。もう、半分以上の生徒が補助輪無しで走れているのだ。これは例年と比べてもかなり成績が良い。よたよたと走っている者いれば、屋上をすいすいと走っている者もいる。
もちろん、全員とはいかない。補助輪付きでなんとかバランスを保っている者、補助輪を外したはいいがまったく進めていない者もいる。
男子生徒一人と女子生徒二人の班が特によたよたしている。俺は、彼らに近づいた。
「どうですか、調子は。補助輪無しはまだ大変ではないですか?」
声をかけると、彼らは大げさなほどに身をすくませた。
「はい、すみません!」
「いえ、別に謝ることではありません。自分のペースでいいんですよ」
「はい、ありがとうございます!」
軍隊なら敬礼でもしそうな勢いだ。ため息をつきたくなるが、俺が目の前でため息をつけば、生徒にいらない心労をかけるだろう。
「室長も言っていたように、私に対して委縮する必要はありません。これまで通りでいいんですよ」
「は、はい…」
「今は自転車に集中しましょう。他所に意識を持って行って怪我でもしたら大変です」
怒っているつもりはまったく無いのだが、生徒たちはしゅんとしてうなずいた。
やりづらい。
今度こそため息をつきたくなったが、うつむいていた一人の女子生徒が顔を上げたのでこらえた。
「あの、カロス先生」
不安そうな顔をしている。
「はい」
「試験って…難しいですか?」
「試験。十日後の試験のことですか」
なるほど。不安そうにしていたのはそれか。得心して、俺はなるべく穏やかに言った。
「今回はただの復習問題ですよ。これまでの授業をまじめに聞いていたらなんの問題もありません。最初の試験ですしね」
「でも、実技が…」
「ああ、それで急いで補助輪を外したのですね。心配は無用ですよ」
何故ならうちの室長はいまだに補助輪をつけていますからね。
とは言わず、俺は微笑んだ。
「補助輪があろうと無かろうと、安全に乗れているかどうかを見る試験です。公道も走って、道路交通法を順守しているかも確認します」
「そうですか…」
「慎重に、まじめに今までの授業を受けているかどうかの確認問題ですから、寮でしっかり復習して臨めば大丈夫ですよ」
俺の言葉が安心材料になったのかは甚だ不明だが、生徒たちはしっかりとうなずいた。
数十分後。
あの世への通り道に行っていた最初の生徒が戻ってきた。イーダだ。彼女は、興奮冷めやらぬといった様子で屋上までやってきた。戻ってきたら俺に報告をするという室長からの指示を守り、最初に俺に駆け寄ってくる。
「カロス先生、戻りました」
「イーダ。お帰り。どうでしたか?」
「はい。おじいさんの魂でしたけど、特に問題無くご案内出来ました。あの世まで連れて行ったら、お小遣いをくれようとして、でもお財布を持っていないことにそこで気が付いたらしくて…」
「まあ、あの世へ向かう時は手ぶらですからね」
「私に、自分の財布知らないかって聞いてくるんです。存じ上げませんって答えたんですけど、じゃあほかにお礼をって言われて、それを断るのが少し大変でした。でもこれが仕事ですからって何度か言うと納得してくれて」
「そうですか。納得してもらえたなら良かったですね」
「はい。なんか、すごくお礼を言われてこっちが嬉しかったです」
「それが案内人のやりがいですよ。良い実習になったようですね」
イーダはにっこりと笑った。
「はい!」
「では、自転車の練習をしましょう。気が高ぶるのは解りますが、練習は慎重に行ってください」
「はい」
答えて、イーダは自分の班へと駆けていった。
「さて。――出席番号六番はクナガでしたね」
どこにいたかな、と屋上を見渡すと、クナガが手を挙げた。人間でいうなら二十代前半の姿かたちをした、きっちりすらりとした印象の男子学生だ。
「はい。自分です」
「では通り道へ行ってきてください。扉は開いたままになっていますので。集合場所は行けばすぐに判ります」
うなずいて、クナガはきびきびと歩いて行った。
残された生徒たちが自転車の練習を再開する。イーダたちの班は、イーダの実習の報告を聞いているようだ。
概ね平和な時間の中、波風が立ったのは出席番号十番の女子生徒、ナミカが屋上に戻ってきた時だった。
彼女は泣いていた。
「どうしました?」
俺が覗き込むように聞くと、ナミカはがばっと顔を上げた。
「返してあげたかったんです!」
「……魂の話ですね?」
「わた、私が担当したのは小さな女の子で、事故で亡くなったみたいで、かわいそうでっ」
言いながら、ぼろぼろと涙を流している。俺は眉根を寄せた。毎年、必ず生徒がぶち当たる問題だ。
「地球の肉体に案内してあげたら返せることがあるって、研修生時代に聞きました! どうして駄目なんですか!?」
「…室長から説明があったはずですが」
「マタルの住民は、地球人に干渉してはならないって聞きました。でも! すぐに返してあげればきっと間に合ったのに!」
「ナミカ。我々のさじ加減一つで地球人の生き死にを左右するわけにはいかないんです。そんな不公平なことがあってはならないと教わったはずです」
「でも返してあげればきっとみんな喜びます! 返して欲しいって、祈っているヒトだっているのに…!」
「きみのその優しさは、きみ自身の大きな財産です。決して失くしてはいけません。ですが、同情だけで動いてもいけません。解りますね?」
「じゃあ研修所で習ったことはなんだったんですか? 返せるって確かに聞きました! 返せるはずです!」
「自分の判断で返してもいい、とは習わなかったはずですよ。極々稀な例として、返せたことがあるというだけです」
「どんな例ですか」
泣きながら、ナミカは俺を見上げてくる。気持ちが解るだけに、俺は努めて淡々と話す。
「人間の寿命を決めているのが誰なのか、それは今のところ判明していません。地球が滅びるまで判明しないかもしれない。ただ、寿命を決めているその誰かは、横やりを入れられるのが大嫌いのようで、魂が間違えて肉体の外に出たらその魂に印を付けるんですよ」
「…印…? でもそんなもの、今まで見たことありません」
「通常の魂とは違う光を放つんです。これは実際に見てみないとわからない印なので口で何色とも言えないのですが、確かに印象が違うんです。割合として、百万の魂のうちの一つか二つです。その印象の魂を人間界に案内すると、生き返った例があるというだけです。ただし、これも必ず生き返るわけではありません。肉体の周囲に留まって浮遊する場合もあります。これが人間界の、いわゆる植物状態です」
周囲の生徒たちが、俺たちのやり取りを見守っている。自転車に乗っている者などいなかったが、それを注意する気にはなれなかった。せっかくだからと、俺は生徒たちを見渡す。
「みなさんも、聞いてください。研修生時代にも習ったでしょうが、我々マタルの住民は、決して地球人よりも位が上というわけではありません。誰であろうと、他人の寿命を左右していいわけがない。そんな権利は誰にもありません。あってはならないことです。研修所を卒業しているみなさんなら解りますね? そこは不可侵領域なのです。人間が人間のクローンを造らないことと同じです」
「でも」
か細い声で、ナミカが言う。
「たった二歳の女の子が目の前で亡くなったんです。あの子が産まれた意味ってなんなんですか?」
「…それは、非常に難しい問題です」
俺個人としては、すべての命に意味があるとは思っていない。生きる価値の無い命は、確実に存在している。そうでなければ、人間に限らず理由も無く命を奪われるものなどいないはず。耳を防ぎたくなるような虐待のニュースなどあり得ないはず。今こうしている間にも、理不尽に傷つけられている生物はどこかに存在している。
ただ、俺の考えを誰かに押し付けるつもりは無い。
すべての命に意味があり産まれてくる理由があるという考え方を否定する気もない。そこは個人の自由だ。
どちらの考えをしていようと苦しむ時は苦しむ。ならば、思考は個人の自由であるべきだ。他人を傷つけない限り。
「その子が産まれた意味は、在るかもしれないし無いかもしれません。ただ、それを考える意味ならあります。その子のご両親だったり見送ったきみだったりが考えること自体に価値があります」
「私が考え続ければあの子が報われるということですか」
「いいえ。報われるかどうかはその子しか感じることは出来ません。ただ、その子が報われると信じることで、きみが救われます」
実際、あの世で行われるのは記憶の洗浄だけだ。天国も地獄も無い。しかし遺された者に出来るのは思考を働かせることだけだ。信じて救われるのなら信じればいい。その方がいい。
救われる者は、多ければ多い方がいいに決まっている。
「記憶の洗浄が終わり、次に産まれてくる時は誰よりも幸せに長生きしますように。そうやって誰かが祈ってくれれば、逆の立場ならきみだって嬉しいとは思いませんか?」
「…思い、ます。でも」
「この考えが綺麗ごとだと言う人もいます。それを否定はしません。けれどそう言う人は、きみのように悲しんだり泣いたりしません。誰かを思って誰かが涙する。それだけでも、その誰かに価値があると思いませんか?」
意味があることと価値があることは違う、とも俺は思う。実際、生きていればたいした理由もなく涙することはある。
「たった二年…。あの子は、幸せだったでしょうか」
「それはその子のみが知ります。あまりにも短いとはいえ、二年でも幸せを感じることは出来るでしょう。亡くなってしまったその子に対して出来ることは、もう祈ることだけです。次は存分に生きて、誰よりも幸せであれ。その子には、あなたが祈るだけの価値があった。その価値をあなたが見出したんです。それは案内人にとって素晴らしい才能です」
ナミカは唇を噛んだ。
「最初から、辛い実習になりましたね。けれどこの経験は、そしてその感情は、必ずきみの財産になります」
「はい…」
「気持ちを切り替えるのは大変でしょう。自転車の教習は、少し休んでも構いませんよ」
「いえ、大丈夫です。顔だけ洗ってきてもいいですか?」
「ええ、もちろん。行ってきてください」
うなずいて、ナミカは屋上から出て行った。それを見守る生徒たちを、俺は見渡す。
「さあ、みなさんは自転車の練習をしてください。試験では公道を走りますので、そのつもりで。どんなにうまく乗れていても、道路交通法を無視したら追試です」
生徒たちは少しざわついて、それからまた練習を始めた。
その様子を見ながら、俺は考えていた。
ナミカが当たった問題は、前述のように毎年必ず生徒が直面する問題だ。魂、ひいては産まれてきたことに、意味があるのかどうか。あるとしたらその意味はなにか。
そうして俺は、毎年ちゃんとした答えを出せずにいる。
俺自身が何故産まれてきたのかも解らないのに、他人の命の理由など解るはずもない。だから、そんなことを論ずる資格も、本当は無いのだろう。
室長は、どんな風に答えていただろうか。
思い出そうと努めてみたが、毎年のことなのに何故か思い出せなかった。




