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…かわいそうに。

 俺の夕飯がどうであろうとも、仕事は変わらない。

とある公園の四阿まで来てから、三人とも動物に変化して屋根の上に落ち着いた。時刻は二十二時を過ぎていて、とっくに真っ暗だ。田舎の公園には外灯すらも無い。我々マタルの住民は夜目が利くので問題ないが、人間には灯りが欲しいところだろう。

「カロスくん。何度も言うが、肉か魚を食べたまえ。そんなことだからきみは細っこいのだ。なんだね、あの折れそうな腕は」

 鴉の姿の室長が言う。蝶々の俺が答える。

「簡単には折れませんよ。多少の護身術なら身に付けています。それにご存知の通り、俺は昔、贅の限りを尽くしました。今はこれくらいでバランスがいいんです」

「何年前の話をしているんだ。そもそも贅の限りを尽くしたのはきみではないし、その頃だって太っていたわけではなかろう。きみが負い目に感じる必要はない」

「なんの話ですか?」

 鷹の姿で首を傾げるヨジュン。俺はきっと、人型なら室長から目を逸らしている。

「…負い目とか、そういうことではないんです」

 つぶやくように言うと、やたら明るい声が降ってきた。ヨジュンだ。

「だったらカロスさん、僕と腕相撲します? こう見えても僕、結構力はあるんですよ」

 彼はきっと、眩しいほどの笑顔をしているのだろう。ふっと、俺も笑った。

「いいね。俺が勝ったら、室長は二度と俺の食生活に口を挟まないってことで」

「僕が勝ったら?」

「この間、欲しいって言っていた服を買ってあげるよ。室長が」

「待ちたまえ。なんで私が」

「俺の負けは室長の負けです。部下ですから」

「そんなこと言ったらヨジュンの負けも私の負けではないか」

「だからその時は異動届を出してください」

「ひどくないかね!?」

「勝負だ、ヨジュン」

「はい! じゃあ人型に…あ」

 お互いに変化を解こうとしたところで、ヨジュンが小さく声を上げた。

 つられて俺と室長も黙って視線を動かした。三人組の男女が、公園に向かってきているところだった。

「…カロスくん」

「間違いありません」

 室長の問いかけに、そう答える。それだけで通じてしまうほどには、厄介ごとを片付けてきた。

 周囲を警戒するでもなく、普通に公園に入ってくる三人組。彼らは、我々がいる四阿までやってきてリュックからスプレー缶を取り出した。これでもう疑いようが無い。俺はふわりと浮き上がった。

三人組のうち、女は一人。その女がスプレー缶を振ると、かんかんと高い音がした。そうして、ベンチになにがしか書こうとしたところで――ぱしんとその腕を掴んだ。人型になった俺だ。

「そこまでにしたまえ」

 言いながら、俺のすぐ後ろに室長も降りてくる。反対側にはヨジュンがまわり、退路を塞ぐ。

 男女三人組は息を飲んで固まったが、それも一瞬だった。

「なんだ、お前ら!」

「お巡りさんだ。知っていると思うが、マタルの住民は、人間界に迷惑を掛けてはならない。きみたちを逮捕する」

 腕を掴まれた女は、ぐっと俺の手を振り払おうとする。無駄なことだ。俺は女の腕を後ろに捩じり上げた。

「いたっ!」

「抵抗はしないほうがいい。こちらもなるべく怪我はさせたくないんだ」

 本心からの言葉だというのに、女は暴れようとする。残り二人の男たちは、顔を見合わせていたが、やがてヨジュンに向かって突進した。おっさんの格好をしている室長よりも、少年である彼の方が突破しやすいと踏んだのだろう。


 …かわいそうに。


 思った瞬間、二人の男がまとめて吹き飛んだ。瞬く間もなくヨジュンに返り討ちにあったのだ。ぶっ飛ばした本人は、にこにこと笑って追い打ちを掛けに行く。

「ヒトを見かけで判断しちゃダメですよー。ぶっ飛ばされますよー。どんな風にってほら、こんな風にー」

 歌うように言いながら、男たちをぼかすかと殴っている。相手が二人でもものともしていない。それはそれは美しい少年が、青年に近い恰好をした男二人を殴る蹴る。それを見たこちら側にいる女は、すでに戦意を喪失している。

「室長…」

「ふむ。いつ見ても容赦がないな。いっそ清々しいほどだ」

「言っている場合ですか。そろそろ止めないと」

「おっと、そうだった」

 のんびりと、室長はヨジュンの方へ歩み寄り、彼の肩にぽんと手を置いた。

「ヨジュン。そのくらいにしたまえ。きみの手が痛んでしまう」

 微妙に心配するところがずれているが、それでも一応、ヨジュンは止まった。

「ありゃ。いやだなぁ、僕ったら。またやりすぎてしまいましたか?」

「ルールは破る方が絶対的に悪い。とはいえ殴って怪我をさせては治療費も掛かる。悪人を治療させられる医療従事者の気持ちも考えたまえ」

「あ、そっか」

 大きくうなずいて、ヨジュンは掴んでいた男の胸倉をぱっと放した。放すと同時に、彼らはスズメの形になった。もう人型を保ってもいられないのだ。


 そもそも、人間界で人間の姿かたちを取るにはそれなりの精神力がいる。逆に言えば、ある程度の能力を持ったものしかマタルから人間界には来られないのだ。力が弱まると、それぞれ人間よりも小さな生き物に変化してしまう。もっと弱まるとその姿すらも維持出来なくなり、最終的には魂だけの存在となって永遠にマタルと人間界の狭間で彷徨うことになる。まともに「死」が訪れるわけではないので、あの世へも行けない。そうなったら、魂が摩耗して消えてしまうまで救いは訪れない。

 魂の消滅。マタルから人間界へやってきて道を踏み外すということは、そういうことだ。

「は、放してください」

 と、俺が腕を掴んだままだった女――いや、少女がそう言った。

「あたし、あたしはあいつらに無理やり連れてこられただけで、関係無いから…」

「そう言われてはいそうですかと答えるほど、俺もお人好しじゃない」

 冷たく答えて、俺は懐から手錠を取り出すと、少女に嵌めた。


 学校の職員室の奥に、取調室と留置場がある。捕まえた三人組の素性はすぐに割れた。マタルの住民は、人間界へ来る時にうなじに刻印をされるのだ。普段はなにも見えないそこに、特殊なライトを充てると身元が判るようになっている。人間界でいうブラックライトと思ってもらえればいい。

 先ほどから、室長がこんこんと説教を続けている。捕まった三人は、ぶすくれてそれを聞いている。いや、聞いているふりをしているだけかもしれないが。


「聞いているのかね。マタルの住民は人間界に迷惑を掛けてはならない。これは、ごみはごみ箱に入れるということと同じくらい常識だ。きみたちはそこのところをどう考えているのかね」

 三人はなにも答えない。少女はうつむいていて答えようとしないし、スズメになった男二人は網で捕獲されたままで、答えられる状態ではない。


 我々お巡りさんのように、動物の姿に変化していても話せる者はそういない。動物はそもそもしゃべれるようには出来ていないので、それでも意思の疎通をしようと思ったらそれこそかなりの精神力がいる。ヨジュンにぶっ飛ばされたうえ、捕まって意気消沈している彼らにそんな芸当は出来ないだろう。

 腕時計を見た。時刻は日付を跨ごうとしている。俺は扉によりかかって腕を組んでいるが、隣のヨジュンは器用にも立ったまま眠っているようだ。

「室長。そろそろ時間が」

「む? ふーむ。それもそうだな」

 同じく腕時計を確認した室長は、パイプ椅子から立ち上がった。びしっと向かいでうつむいている少女を指さす。

「きみたちはマタルへ強制送還だ。処分によっては今後二度と人間界には立ち入れない。だが帰る前に、反省文を書いていきたまえ。三日以内に三十枚だ」

 おや、と俺は思ったが、少女は嫌そうに眉を寄せた。だが、なにも言わない。

「言っておくが、これはこちらとしてはかなり甘い処分だ。マタルに帰ったらあちらでも処分があるだろう。覚悟しておきたまえ」

 ちっと、舌打ちが聞こえた。少女が発したものだ。

「なんだよ、落書きくらいで…」

「落書きくらい、か。では聞くが、きみたちが使用していたスプレー、あれはどこで入手したものだね?」

「あ?」

「コンビニでもスーパーでもホームセンターでも構わないが。そのスプレーを作って売るために、どれだけの人間が関わっているか想像出来るかね? 製作の企画を出した人間から、実際に製作した人間がいる。それを売るために営業した人間もいるし、営業がうまくいけば事務の人間にも仕事があっただろう。そしてその人間たちが、たった一人でも落書きに使用されることを前提に作っていると思うかね? 自分の知らないところで、自分の作った商品が犯罪に使われていると思い至ると思うかね? 思い至ったとして、どんな気持ちになるか考えたことはあるかね?」

「…知らねぇよ」

「ちなみにきみが今座っているその机と椅子。どこにでもあるただの机と椅子だ。だが、たとえばその椅子を作った人間が、犯罪者を座らせるために作ろうと一瞬でも考えると思うかね? 作成者は座り心地を考えたはずだ。それは決して、犯罪者の為ではなかった」

「……」

「きみたちの経歴は見た。研修所は卒業したが養成学校には入学出来なかった挫折組のようだな」

「それがなに」

「きみたちはどん底にはいない」

 言い放った室長を、初めて少女はゆっくり見上げた。

「腐るにはまだ早い。若すぎる。きちんと反省文を書いて、マタルでの処分をしっかり受けたまえ。その先で、研修所に入りなおすというなら私が口利きをしよう。マタルで働くならその時も後見人となろう」

「なんであんたがそこまですんの」

「私には、きみたちを捕まえた責任がある。それに私は、学校の先生だよ。生徒になろうとしていたものを見捨てるわけが無いだろう」

「嘘くさい。どうせ面倒になったら見捨てるくせに」

「今この時点できみがどう思おうときみの勝手だが、断言しよう。きみは生涯をかけてその考えが間違っていたことを知る。私は捨てない」

 沈黙が落ちた。


 頃合いだろう。俺は少女に近づいて、立たせた。

「今日は留置場で休みなさい。反省文に必要なものは用意してある」

少女は、俺の手を振り払おうとはしなかった。

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