「大豆のフルコースです」
その日の授業は無事に済んだ。毎年、初回の授業は学校の規則や注意事項、これからの生活について話して終わる。程よい緊張感に包まれていた教室も、終わりの挨拶と共に空気が弛緩していった。
マタルから学校へ出てきている面々は、職員も生徒も寮暮らしが基本だ。マタルが日本政府から借り上げているアパートである。もちろん、俺たち職員と生徒たちの寮は別だ。お偉いさんに確認したことは無いが、たぶん近くにいすぎるとお互いに面倒だからだろう。職員は一人一部屋、生徒たちはその時の生徒数に応じて二人から三人で一部屋となっている。
生徒たちを見送ってから室長と二人で職員室に戻ると、当校ではただ一人の事務員、ヨジュンが立ち上がってにっこりと笑った。
「お疲れさまです」
「お疲れさま」
「うむ。お疲れさま」
「どうでした、最初の授業は」
「ふむ。特に変わったことはないな。今年の生徒も真面目そうだ」
「そうですか。じゃあなおのこと…」
「ああ。なおのこと、気を付けてやらねばな」
うなずき合う室長とヨジュン。俺も口には出さずに小さくうなずいて、自分の席についた。
「お茶飲みますか? 豆大福もあるんですよ」
仕切り直すように、ヨジュンがそう言う。俺と室長がもらうと答えると、ヨジュンは嬉しそうに席を立った。
妖精族のヨジュン。二ヶ月ほど前から新しく加わった我々の仲間である。彼の見た目は少年だ。人間の年齢でいうならば、十二歳ほど。ただし、ただの少年ではない。かなりの美少年だ。これはもう、どうしようもないほどの。一言で表すなら金髪碧眼の美少年。彼が外を歩けば、九割以上の確率で二度見される。もしくは凝視される。そのままため息をつかれる。出てくる言葉は「なんだ、あれ」。少し前に行われた入校式でも、偉そうに祝辞を述べるトレフ室長を最初から見ている者などほとんどいなかった。なんだあそこの美少年は、という目でヨジュンが注目されていた。あまりにヨジュンが美しいので、コンプレックスを刺激された者たちは一度うつむいてしまう。それから仕方なく室長に視線を移すのだ。
妖精族が美しい、というわけではない。ヨジュンが特別なのだ。マタル全域をくまなく探したとしても、ヨジュン以上の美少年はそうそういないだろう。
ただし、彼の見た目に騙されると百発百中痛い目を見ることになる。
「それで、室長。俺は何時にどこへ行けばいいんですか」
ヨジュンが淹れてくれたお茶を飲みながらそう問うと、室長は首を傾げた。ちなみに、この職員室、現在使っているのは我々三人だが、机は七つある。以前はそれだけ必要だったのだ。職員の数は年度によって上下するので、余っている机を処分したりはしない。
いわゆるお誕生日席に室長が座り、室長に向かって右側に俺、その向かいにヨジュンがいる。
「…なんの話だね?」
「だから、俺の顔の話ですよ。さっき後で話すと言っていたでしょう」
「ああ、そのことか。真面目だな、きみも」
「それなりに気にしてるんですよ。俺の顔はそんなに駄目ですか。何時にどこですか。駄目ですか。あなたの頭より駄目ですか」
「……なんか今、気になることを言わなかったかね」
「言ってませんね。俺は気になりません」
俺の向かいでは、ヨジュンが豆大福を頬張りながら「仲良しだなぁ」などとつぶやいているが、別に気にはならない。
室長は、少し考えてから口を開いた。
「そうか。では今夜十九時にミーカへ来たまえ。少し話をしよう」
「承知しました」
ミーカは、我々三人が住む寮の近くにある、いわゆるファミリーレストランだ。俺と室長は結構な頻度で使っている。もちろん別々にだが。
「ついでに夕飯を共にしよう」
「それは業務命令でしょうか」
「いや、プライベートだ」
「ではお断りします。夕飯くらい一人で静かに摂らせてください」
「そんなこと言って、またきみは納豆に唐辛子入れただけの食事をする気だろう。いくら納豆が畑の皇帝と呼ばれているからとはいえ食事はバランスよく摂りたまえ」
「畑の皇帝とか聞いたことありませんが」
「畑の牛肉なら聞いたことがありますよ」
ヨジュンの指摘を無視して、室長はびしっと俺に人差し指を突きつける。
「そもそも、今朝も納豆に刻みネギ入れただけの朝食だっただろう」
「なんで知ってるんですか。訴えますよ」
「きみは私と納豆、どちらを選ぶというのだね?」
「納豆ですがなにか」
「僕もどっちかというと納豆かなぁ」
「納豆よりも下の上司ってどういうことかね!」
「ご安心ください。納豆よりは下ですがピータンよりは上です」
「あ、じゃあ僕も」
「ここでピータン? 何故ピータン!?」
「無くても困らないランキング、俺調べです」
さらりと答えると、ヨジュンがあははと笑った。平和なものだ。だが、この平和は学校にいる間だけだ。裏の任務に平和はあまり訪れない。俺が任務の途中で襲われて縛られて閉じ込められてから、わずか数日しか経っていない。
と、電話が鳴った。室長の趣味で昔懐かしい黒電話が各机に置いてあるが、これはマタルとつながっている。コール二回でヨジュンが受話器を持ち上げた。少し話して、すぐに元に戻す。
「室長。またイ‐四〇七です」
む、と室長が眉をひそめる。俺も似たようなものだろう。
「今度はどこだね」
「やっぱり人間の施設です。小学校だそうですよ」
「まったく…。未来ある子どもたちの施設をなんだと思っているのだ」
「キャンパスでしょうか。学校だけに」
「ヨジュン。そんなこと言っていると室長のようになるよ」
「それのなにが悪いというのだね」
「いえ、別に」
一瞬にらみ合って、三人同時に席を立った。
裏の仕事の開始だ。
「では、詳細は現場に向かいながら」
言いながら、ヨジュンがからりと音を立てて窓を開けた。ふわりと飛び上がって、三人で窓から出る。
生徒たちには羽根の具現化は厳禁だと言っているが、我々三人は別なのだ。窓から出る瞬間、俺は藍色の蝶々の姿に変わっている。トレフ室長は鴉、ヨジュンは鷹だ。この姿ならば、人間界でも空を飛べる。ヨジュンは少々目立つが仕方がない。生徒たちには絶対に見つかってはならないが、我々の裏の任務を遂行するためにはこうするしかないのだ。
ヨジュンの先導で現場に着くと、確かに学校の裏にそれはあった。
「……アホ丸出しですね」
最初に俺が言った。もちろん蝶々のまま、ひらひらと漂いながら。
「確かに、頭は悪そうだな」
室長も言った。こちらも鴉のまま電線に止まっている。
「うわぁ、こんな馬鹿が本当にいるんですね!」
ヨジュンも続いた。彼は目立たないよう、人型に戻って近場の建物の屋上に身を隠している。
三人が見つめる先には、なんらかの塗料で落書きされた倉庫がある。
「『世直し隊、見参』とは。いつの時代のいたずらっ子ですかね」
「見参とか言うわりに逃げてますよね。言いたいことがあるなら堂々と拡声器とか使えばいいのに。せっかく学校なんですから」
「ふむ。確かに」
ひらりひらりと、俺は落書きに近づいた。
「間違いなく四〇七ですね。気配を追えます」
「了解した。カロスくん、今夜の約束は延期だ。…ここまでにしてもらおう」
「承知しました」
「承知しました!」
うなずき合って、俺たちは現場を後にした。まだ夕暮れというにも早い時刻。動くには目立ち過ぎる。
学校の職員をしながら、人間界に迷惑を及ぼすマタルの住民を追って捕まえる。それが、我々の役目だ。真面目に仕事に取り組む俺が、襲われて縛られて閉じ込められたのもひとえにその仕事ゆえである。
そもそも我々マタルの住民と人間界は、お互いに関わってはならない。二つの世界が並行していることを知っているのは、人間界では極々一部に限られていて、彼らの協力のもとに仲介人は人間界で暮らしている。
俺が産まれるはるか昔、それは神話の時代、人間はマタルへの侵攻を図ったらしい。マタルはそれを返り討ちにしたのだが、それには何年もかかったそうだ。お互いに犠牲は大きかった。結果的に互いの世界に一切干渉しないという平和条約が結ばれ、それを脅かすものには罰が与えられることになった。
俺たちが所属する実行室の正式名称を、「平和条約実行委員室」という。実行委員である我々は、いわばマタルから出張してきたお巡りさんだ。学校は、実は平和条約を実行するのに必要だったから後付けで作られたのである。そして我々お巡りさんは、必要とあらば力技も辞さない、その権利をマタル国家から与えられている。
現在追っているのは、罪人番号イ‐四〇七号。空き家や線路沿いの壁などにしょうもない落書きをしてまわっている小者だ。人数は不明だが、犯行時刻や落書きの大きさから、二~三人だろうと推測される。一件目の犯行ではまだマタルの住民だと断定出来なかったが、二件目で断定された。そうして今回、三件目が起こった。しかし室長がここまでというからにはここまでだ。この件は、今夜片が付く。
そんなことを考えている自分に、俺はやれやれと息をついた。トレフ室長は頭頂部を始め全体的に残念な男だが、それなりに俺は彼を信用しているらしい。
いったん寮に帰ってきているところだ。それぞれ軽く食事を済ませ、身支度を整えてから改めて集合することになった。
我々三人は、学校では制服に身を包んでいる。白いシャツに鼠色のベスト、墨色のズボン。室長だけはループタイを付けている。冬はベストの上にジャケットを羽織ることもあるが、夏はこのベストが暑い。しかしベストが無いと困るのは俺なので、文句は言えない。現在、四月の中旬。今年ももうすぐ、あの暑い夏がやってくる。
寮に帰ると、大体がTシャツの上に着流しだ。元は室長の趣味なのだが、着てみるとこれが楽で、俺もすっかり着流しばかりになってしまった。ヨジュンは大きめのトレーナーやTシャツを着ていることが多い。もう少し日本らしいものを着たまえと室長に言われた彼は、まさに天使のような笑顔で「こっちの方が僕をかわいく見せてくれるので」と答えていた。中々あざとい。天使のような、というか彼は妖精だが。
自分がしかめっ面になっていることに気が付いた。なんだかんだで、俺は室長を信用して室長の好みの日本服を身に着けている。面白くない。
しかし仕事は仕事だ。食事をしてから集合、ということなら食事をしなければ。
「………」
冷蔵庫を開けて、俺はさらにしかめっ面になった。室長の言う通り、今日の夕飯も納豆だからだ。いや、納豆はなにも悪くない。大豆農家の皆さまには日々感謝しか無い。無いのだが。
少し考えて、俺は小さな雪平鍋を火にかけた。
そうして、夜。寮のエントランスに時間通りに集合した俺に、室長は口を開いた。
「カロスくん。きみに聞きたいのだが」
「なんでしょうか、室長」
「今日の夕飯は」
「大豆のフルコースです」
「…納豆ご飯に味噌汁、具は豆腐といったところかね」
「遠くありません」
「うわぁ。すごいですね、室長。わかるんですか」
そっけなく答えたら、ヨジュンが目を輝かせた。眩しいほどだ。
遠くない、というのは事実だ。ただ、味噌汁に具は入っていなかった。豆腐も乾燥わかめも切らしていた。小葱も無かった。買い物に行くには時間が無かったし、そもそも面倒くさかった。従って、だし汁に味噌を溶いただけの非常にシンプルな、まさに「味噌汁」となったのだった。




