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引越し屋か。

 俺の名は、カロス。天使族だ。

 マタル、という世界がある。地球から見たら、いわゆる異世界だ。存在場所は、ざっくり言うと地球とあの世の間。地球やマタルで寿命を終えた魂は、吸い寄せられるようにあの世へ向かうが、地球からあの世への通路の途中にマタルへつながる扉がある。


マタルは地球と違い、星ではなく一つの大陸となっている。面積は日本の北海道ほど。形はいびつな六角形。マタル国主の下、四つの地区に分かれて生活している。生活そのものは、地球の先進国と同じようなものだと思ってもらっていい。宇宙内に存在しているわけではないので太陽や月は存在しないが。ただ、太陽の代わりにあの世から放たれる光に包まれていて、いつも明るい。


 そして「あの世」と呼ばれる場所についてだが、それは正直ほとんどなにも判っていない。近づき過ぎると目を焼かれるほどの光を発しているその場所の、システムもよく解らない。地球人だろうとマタルの住民であろうと、生きている限りはあの世へ行けないからだ。あの世から誰かが降りてきたことも無いので、情報が無い。従って、あの世は「あの世」という不思議な場所でしかない。ただ、マタルからあの世を観察して判明したのは、あの世というのは魂の洗浄場所ということだ。人間だろうが動植物だろうが、そしてマタルの住民だろうが、あの世に入ったら魂の記憶を洗浄されて、それが済み次第また地球やマタルに返される。そうして寿命を終えたらまたあの世へ行って記憶の洗浄をされる。その繰り返しだ。そこに善人も悪人もない。魂は等しく洗浄されてループされていく。その魂が人間界へ行くのかマタルへ行くのかは、おそらくあの世の気分次第なのだろう。今のところ、解明はされていない。


 俺たちマタルの住民は、少なからず地球と関わる仕事をしている。マタル内でも働くし、地球に出向もする。地球に根を下ろしたマタルの住民もいる。俺の場合は出向だ。勤め先は学校。とはいえ人間の学校ではない。マタルを出て地球に関わる仕事をする新社会人たちに、滞りなく仕事を遂行出来るよう地球の常識を教える学校だ。ここを、日本語ではマタル界立仲介人養成学校という。俺がいるのはその福岡校だ。現在、養成学校は北海道、愛知、東京、大阪、広島にある。むろん、日本だけでなく世界中に学校はある。


 生徒の種族は多岐にわたる。天使族、死神族、エルフ族、妖精族など。種族が違うのは、地球でいうなら出身国が違うという程度の差しかない。つまり、多少の得意不得意なジャンルはあるものの、根本的にはさほど違わない。俺と上司は天使族、最近着任してきた事務員は妖精族だ。


 ちなみに、上司の名をトレフ、事務員の名をヨジュンという。俺を含めた三人で、表向きは養成学校の実行室に勤めている。

 この学校は、福岡県のとある場所にあるビルのワンフロアを日本政府から借りている。教室があるのは15階建てビルの15階。見晴らしはかなり良いが、高所恐怖症の者にとっては学校に通うこと自体がストレスかもしれない。

 ほかのフロアは人間たちが借りているはずだが、どんな会社が入っているかはよく知らない。一つ下には確か探偵養成所が入っていたと思う。ほとんど交流が無いのではっきりしたことは言えないが。


 ともあれ、このフロアには表向き四つの部屋があり、二つが教室、一つが職員室、もう一つは医務室だ。表向きと言ったのは、実は職員室の奥に隠し部屋が一つあるからだ。こちらは有事の際にしか使わない。隠し部屋と医務室以外の一つ一つの部屋は、三十数人が入れるほどの広さだ。


 その教室の中で、基本的に授業をするのはトレフ室長であり、俺は助手だ。

 今日もまた、室長は無駄に偉そうに授業を行っている。今日は今期の第一回目の授業で、教室はそれなりに緊張感に包まれていた。

 ちなみにこの学校では、すべての授業が録画されている。俺たち職員が授業の反省会をして効率をアップさせる為でもあるし、生徒が自分の通信機にダウンロードして授業を復習する為でもある。

「諸君は、マタルで研修を受け、試験に合格して入学してきた精鋭たちであるとこちらは認識している。今日からは実習生として励んでもらうことになる。研修生の時は講義だけだったが、これからは講義と実習を両方受け、両方の好成績を収めた者のみ正式な仲介人となれるわけだ。この学校を卒業したのちは、全員に立派な仲介人になってほしい。その為に全力で指導することを約束しよう」

 授業は日本語だ。日本で、日本人と関わる仕事を目指す以上はマタルの住民しかいないところでも日本語で話すことになっている。

 この養成学校を出たのちは、生徒たちは三つの選択肢から一つの職業を選ぶことになっている。

 一つは、案内人。地球で寿命を終えた魂が、迷子になることなくあの世へ行けるように先導する役目だ。マタルは地球とあの世への間に位置しているので、間違えてマタルへ入ってこないように見張る役目でもある。また、魂に未練があったら解消する手伝いもする。

 次に、巡回人。文字通り決められた地域を巡回する役目だ。魂は、長くあの世へ行かないと淀んでしまう。その淀みは、やがて周囲の空気を巻き込む。結果、事故や事件が多発する地域となってしまう。そうなる前に、魂を説得して案内人に渡すまでが仕事となる。こちらも案内人と同じように、魂の未練解消の手伝いも仕事の一つだ。

 最後に、司法人。マタルと地球は平和条約を結んでいて、お互いの世界に迷惑をかけてはならないと決まっている。その決まりを破った者を捕まえ、裁いて罰することが役割となる。司法人はマタルで暮らすからなのか、ここを希望する生徒は多い。

 この三つの職業をまとめて、仲介人と呼んでいる。仲介人は、マタルではエリートだ。成績優秀な、限られた者しかなれない。ただ、家柄は一切関係ないので、どんな者でも勉強して試験を受ければ仲介人への道は開かれる。


 養成学校を卒業し、三つのどのコースを選ぶかは、学校にいる間に生徒本人や我々教師が向き不向きを見極めて決める。これは、日本で司法試験を合格したヒトが司法修習を受けて裁判官、弁護士、検事のどれを選ぶかに似ている…と言えなくも無いと、俺は考えている。

「では、授業に入る。研修生の時にあった講義の内容と多少は被るかもしれないが、被るということはそれだけ重要だということだ。心して聞きたまえ」

 ここで室長は、さらに大きく宣言した。

「いいかね、諸君。仲介人が一番大切にしなければならないのは、心構えだ。寿命を終えたばかりで右も左も分からない魂に、いきなり「あなたの仲介人です」と言っても警戒されるだけであるということを、まず胸に刻んでほしい」

 生徒数はさほど多くない。今期は十数人だ。俺は黙って、教室の後ろで授業の様子を見守っている。

「仲介人の役目は、地球で寿命を終えた魂がマタルに干渉しないように見張ることであり、それ以上でもそれ以下でもない。当然、勝手に肉体に戻すことなどあってはならない。というか出来ない。しかしそれでも、どうしても仲介人はその魂に信頼してもらう必要がある。信頼も出来ないような相手に付いて行く魂はいないからだ。地球では、知らないヒトには付いて行かないことが法により定められている」

 初耳だが。それは単なる標語だろう。


 さらに、トレフ室長はぐっと拳を握った。

「であるからして、諸君はこの言葉を常に忘れてはならない。そう、仲介人にとって大切なのは、迷子になっている魂を安心させる誠実さと爽やかさ、そして信頼と実績である!」

 引越し屋か。


 と思っても、俺は口には出さない。生徒たちも口には出さない。今期は賢い子が多い…というよりは、たぶんぽかんとしているだけだろう。

 こほん、と室長は仕切り直すように教室全体を見回した。途中で俺とも目が合ったが、すいっと俺から目を逸らした。

「ではまず、地球の常識について話していこう。教科書を開きたまえ。まずはどういう項目があるかを確認してほしいので、目次から」

 室長に倣って、生徒たちも教科書を開く。この教科書は、マタルの文字で書かれている仲介人専用の教科書だ。日本支部にいるからといって日本語で書かれてはいない。万一教科書を落とした時、中身を地球人に理解されると困るからだ。

 従って、マタルの言葉で書かれた文字を日本語で読み上げながら勉強するという、高度な技術が必要になる。

「えー、まず、日本に限らず案内人が地球でしてはならないことを学んでいく。もちろん研修生時代に学んだことだろうが、復習だと思ってほしい。いいかね? 最初に、飛んで移動してはならない。むろん、羽を出してもならない」

 既知の事実だろうが、それでも生徒たちから不満そうな声が上がる。

 まあまあ、と室長は宥めるように手を挙げた。

「考えてもみたまえ。人間に羽があるかね? 見たことがある者はいるかね?」

「それはあの…。映画とか、本とかで」

 小さな声で発言した生徒に、室長はうむとうなずいてすぐに否定した。

「あれはフィクションだ。実際、その辺を歩いている人間に羽を見たことなど無いだろう」

 それは確かに、と声があがる。

「人間には羽が無い。我々は人間ではないということを知られてはならない。人間ではないがまるで人間のように振る舞うには、羽など出していては駄目だろう。従って、我々は徒歩、もしくは自転車で移動することになる。自転車の乗り方は体育の時間に教えるので心配はしなくていい。最初は補助輪という便利な器具があるからな」

 自分が発明したわけでもないのに偉そうな室長は、いまだに補助輪を使っているのだが。ちなみにうちの室長は、人間から年齢を聞かれた時には三十路ですと答えられるような見た目をしている。どうにもシュールである。が、わざわざ生徒にばらすことでもないので黙っておく。

「言っておくが、羽を具現化した者、あまつさえ飛んだ者はマタルへ強制送還だ」

 そこで、すっと手を挙げる女子生徒がいた。室長にどうぞと言われて立ち上がる。黒くて長くてさらさらな髪が楚々と揺れた。

「あの、室長。すごく遠いところに行く時も自転車で…?」

「きみたちは実習生だからさほど遠くに行くことは無いが。それでもなにか起こった時は公共の交通機関を使うことになる。電車、バスなどだ。飛行機は使えない。よほど前から予約しておかないと経費が嵩むからな。そのうえ飛行機は、本当は自分だって飛べるのに飛んではならないという現実になんだか切なくなってしまう。仲介人のメンタルを、無駄に揺さぶることはない」

 なるほど、とかなんとかうなずいている生徒が多いが、なんのことはない。うちの室長は高所恐怖症だ。天使のくせに。自分の羽で飛ぶのは平気だが、他人の力で飛ぶのは怖いらしい。なんだそれ、と思わなくもない。15階のフロアにいるのは慣れたらしいが。

「言っておくがタクシーは論外だ。経費が掛かりすぎる。場合によっては深夜料金という恐ろしいシステムに引っかかることにもなる。羽については以上だ。質問は無いかね? うむ。では次に、地球には信号機という機械があってだな」

 続けて、地球のルールを説明していく室長。まるで地球の幼稚園のようだが、生徒たちは異世界から来ているのだから仕方がない。初めて地球に降り立ったという意味で、彼らは幼稚園児よりも幼いのだ。


 おおむね平和に一限の授業は終わり、十分間の休憩時間となった。俺はまず、最初の授業がちゃんと録画出来ているか機器を確認し、それが終わると次の授業で使う為のスクリーンを下ろし、プロジェクターを用意する。

「あの、カロス先生」

 プロジェクターの位置を確認していると、後ろから声を掛けられた。先ほども手を挙げて発言した、女子生徒だ。先刻は後ろから見ていたので分からなかったが、正面から見ると名札を付けているので分かる。死神族の、人間で言うなら女子高生のような見た目をした生徒だ。名前はジュエイ。研修所から送られてきた資料で、彼女の名前とこれまでの成績は知っていた。正面から見ると、色白の肌と肩よりもだいぶ下のラインで切りそろえられた黒髪は、まるで日本人形のようだ。

「はい、なんでしょう」

 俺は、基本的に生徒には敬語で話すことにしている。距離を取りやすいからだ。ジュエイはおずおずと口を開いた。

「先生は、自転車には乗れますか?」

「ええ、乗りますよ。…不安ですか?」

「はい…。あの、私、すごく運動音痴で、研修所も講義だけだから卒業出来たようなもので、これから実習が始まると思うと不安で…」

「心配しなくても大丈夫ですよ」

 うちの室長はいまだに補助輪を付けているからね、とは言わずに、俺はいくらか柔らかい表情を作った。

「きみは、自分の羽で自由に飛べるでしょう? 自転車の運転は、人間にとっては同じような感覚です。練習次第ですよ」

「はい。…でもあの、私、自由に飛べるようになるまではかなり時間がかかりましたが…」

「構いませんよ。真面目に取り組めば必ず乗れるようになります。それに、上手に乗ることも大切ですが、道路交通法を守ることも大切です。出来ることからやっていきましょう」

 人間社会の道路交通法を守るマタルの天使。いや、ジュエイは死神族か。どちらにしても、いつも思うことだが、違和感極まりない。しかしそれを顔に出してはならない。

「研修所での、きみの成績は知っています。きみならきっと大丈夫ですよ」

 小さく微笑みかけると、ジュエイはほっとしたように息をついた。おや、と俺は思う。

「ジュエイ。顔が赤いですね。緊張しすぎましたか? 気分が悪いなら医務室に…」

「い、いえ! 大丈夫です。ありがとうございます!」

 慌てたように頭を下げて、ジュエイは席に戻っていった。本人が大丈夫というなら大丈夫だろう。プロジェクターに向かって作業を再開した俺の耳に、あからさまなため息が聞こえてきた。

「…なんですか、室長」

「きみは、もう少し自覚した方がいいな」

「なにをですか」

「その顔をだ。私は再三忠告したはずだが」

「ええ。ですから、なるべく怒っているような顔にならないよう注意しているつもりですが。まだ駄目ですか。これでも昔よりは…」

「ああ。昔の仏頂面よりはだいぶマシであることは認めざるを得ない。しかし、今は今で問題があるようだ」

「? どういう意味でしょうか」

「じっくり話したいが、そろそろ休憩が終わりだな。後で話すこととしよう。とにかくきみは、もう少し自分がどう見えるのか考えたまえ」

「……はぁ」

 としか言いようが無い。手元にも教室にも鏡が無いので今すぐ確認が出来ないが、室長がそう言うからには俺の顔になにか問題があるのだろう。トレフ室長はだいぶ残念な上司だが、嘘や冗談は言わないタイプだ。


 ……たぶん。

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