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「きみがいないと、私は寂しい」

 しんとなった部屋を横切り、ヨジュンを促して外へ出る。後ろからユノも付いてくる。庭に降りて空気を吸って、初めて自分が緊張状態だったことに気が付いた。


「カロスさん…」

「ヨジュン。うちのことに巻き込んでごめんね。とっても心強かったよ」

「いえ、そんな、僕なんて」

「一つ聞いていい?」

「はい?」

 ヨジュンが首を傾ける。美しいヨジュンは、そんな動作も様になっている。

「ヨジュンは網を抜け出せるって室長から聞いたんだけど。どういうこと? あれは犯罪者にかける網だから、そう簡単には抜け出せないはずなんだけど…」

「ああ」

 こともなげに、ヨジュンはうなずいた。

「こういうことです」

 言って、ヨジュンは消えた。と思ったら違った。正確には、さらさらとした魂だけの姿になっていた。

「!?」

 さすがに面食らう。

「どういう…」

 確かにこの状態なら、網など無意味だろう。しかし、これはいったいどういうことだ?

 二の句が継げないでいる俺の目の前で、あっという間に、ヨジュンは人型に戻った。

「僕、死人なんです」

「は?」

 えへへ、とヨジュンは笑う。

「僕ね、死んでいるんですよ。でも何故だか、あの世から弾かれちゃったんです」

「弾かれって…。そんなことが、ありえるの?」

「聞いたことがありませんね」

 隣のユノも目を見開いて驚いている。当然だ。そんな前例は、俺の知る限り一度も無い。

「僕がいつ死んだのか、正確には判らないんですけど…。人間界では地縛霊って言うんですかね。何故かあの世に入れなくて、マタルに戻ってきちゃうんです。でも戻ってきても行くところが無くて、けっこう長いこと彷徨いました。で、ある日、空中をうろうろしていたら室長に拾ってもらえたんですよ」

 ヨジュンは言う。どのくらい彷徨っていたのか知らないが、それはあっけらかんと話すことではないだろうに。


「室長は、よほど強い未練があるのだろうと言っていました。でも僕、自分の未練も判らないんです。室長も一緒に考えてくれたんですけど、判明はしませんでした。それで、未練が判明するまではって学校に入れてくれたんです」

「そう、なんだ…」

「すみません。隠しておこうと思ったわけじゃないんです。ただ、室長が、時が来たら話すって言うから…」

「ああ、いや、それはいいんだけど…」

 本当に、知らされていなかったことはどうでも良かった。機会がなかっただけだろう。ただ、ヨジュンの境遇を考えもしなかった自分には、少しがっかりした。誰にでも事情があることを、知ってはいたはずなのに。


「肉体は?」

 そこで、ユノが口を出す。確かに、その疑問はもっともだ。

「ヨジュンくんと言ったね。きみには確かに肉体があるように見えるが」

 ユノに向き直り、ヨジュンは自分の頬を引っ張った。

「これ、ものすごく薄い皮なんです。風船と思ってください。風船に、空気の代わりに魂を入れています。で、ものすごく特訓して、魂と皮を一体化することに成功しました」

「マーテル家が皮を作ったのか? きみのために?」

「いいえ。マーテル家は皮を保存していただけです。ものすごく昔、人間界とマタルが争っていた時に軍事目的で作られていたらしいですよ」

「……ああ」

 思い当たることがあるらしく、ユノは黙った。俺も、歴史としては知っている。マタルと人間が戦争をしていた時、戦争で亡くなったヒトの魂を皮に入れて無理やり生き返らせて、軍人として再利用していたのだ。

 赦されざるべき、非人道的な黒歴史である。


「僕も、そんな負の遺産みたいなものに入るのは嫌だったんですけど…。まあ、背に腹は代えられないと言いますしね。彷徨い続けるかこれに入るしかなかったから。室長も、苦しい判断だったと思います」

「じゃあ、きみの見かけは皮のもの?」

「いいえ。この皮は魂によって見かけが変わるそうなので、僕が美形なのは元々です」

「ああ、そう…」

 しれっというヨジュンに、そう返すしかなかった。

 しかし…。

「じゃあ、ヨジュンはもう、成長はしないの?」

「そういうことになりますね」

 常々、ヨジュンはもう少し成長したらマタル一の美貌を持つ男性になるのだと思っていた。だが違った。ヨジュンはもう、成長出来ないのだ。俺や室長が年をとっても、それこそ寿命を迎えても、ヨジュンはずっとこのまま。未練が解消できなかったら、永遠に。


 衝動的に、ヨジュンに抱きついた。この前とは逆だな、と思いながら。

「…室長が拾ってくれて、良かったね。お互いに」

「ええ、まったくです!」

 元気な返答が来て、それで安心して、俺はヨジュンから離れた。ヨジュンがにっこり笑う。

「カロスさん、一緒に帰りましょう。高級鉄板焼き、楽しみです!」

「うん、そうだね」

「あ、待ってください」

 笑い合う俺とヨジュンに、ユノが待ったをかけた。

「なんでしょう?」

「カロスさまには、まだお話ししたいことがあります。家同士のことですので、ヨジュンくんには席を外していただきたく」

「ええー?」

「申し訳ない。埋め合わせはきっとする。それにきみも、国主と四大名家のこれからのことを聞かされても困るだろう?」

「まあ、それは、そうですけど…」

 口を尖らせるヨジュン。そのしぐさがかわいかった。

「カロスさま。いかがでしょう?」

 少しの間を置いて、俺は仕方なくうなずいた。

「ヨジュン、ごめん。すぐに追いかけるよ」

 そう告げると、ヨジュンは我儘を言わなかった。渋々なのは隠しもしなかったが、鷹の姿になってばさりと飛び立つ。

「すぐに来てくださいね!」

 言いおいて、彼は飛んでいった。

 ヨジュンの姿が完全に見えなくなってから、俺はユノに向き直る。


「で、なんでしょうか?」

「ええ、実は…」

 言いながら、ユノは右手を宙に掲げた。通信機を持っている右手を。

「まさか、まだ繋がっているのですか?」

「切るタイミングを逃してしまいまして」

 いつでも切れたと思うが。

「…室長?」

「聞こえているよ、カロスくん」

 別に聞かれて困る話をしていたわけでもないのに、なんだか気恥ずかしくなる。

「トレフ殿に、お訊ねしたいことがあります。カロスさまにも聞いていただきたいことです」

 ユノは、そう口火を切った。なんだか、真面目なトーンな気がする。

「なんでしょうか?」

「マーテル家は、これからもずっと学校経営をなさるのでしょうね」

「そのつもりです」

「助手は、やはり必要でしょうね」

「ええ。そうですね」

「では、ハスマ家から代わりの助手を出すので、このままカロスさまをうちで引き取りたいと言ったらどうされますか?」

「は?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。

「いや、ユノ殿。なにを言って…」

「申し訳ありません、カロスさま。トレフ殿に伺っておりますので」

「俺のことでしょう!」

「トレフ殿がどう思うかを知りたいのです」

「なん…」

「カロスくん。黙りたまえ」

 う。

 そう言われては、黙るしかない。


 通信機から聞こえてくる室長の声は、普段となんら変わりない。

「カロスくんがどうしたいか、私はそれを尊重します。場合によっては代わりの助手が必要になるでしょうが、ハスマ家の手を煩わせるつもりはありませんよ。ハスマ家の手だけは」

「…含みのあるおっしゃいようですね」

「ええ。含んでいます。――ユノ殿の知己が詐欺に巻き込まれたことは、気の毒に思います。胸が痛みますし、手段を選んでいられなかったというのも、解らなくはありません。しかし、納得は出来ません」

「それは」

「カロスくんがユーリィ家の者だと噂を流して、様子を見ていたとあなたはおっしゃった。確かに、あからさまに彼女を警戒するような輩が出てくれば、話は早かったでしょう。…しかしもし、詐欺グループが先手必勝と彼女に危害を加えたら、どう責任を取るおつもりでしたか」

「……」

「彼女を拉致したあの廃寺で、カロスくんがロープを引き千切ろうと暴れて怪我でもしたら、その時も私が追及するまで黙っておられるおつもりでしたか」

「トレフ殿。私は…」

「縁談を餌にユーリィ家を動かし、彼女を独りでユーリィ家に向かわせましたね。……彼女が実家からほぼ追放されている状態だと知っていたあなたなら、彼女がどんな思いをするかは想像が出来たはずですが」

 ユノは黙った。

 俺も黙っていた。黙れと言われたからではなく、言葉が出てこなかった。


 室長が。

 あの室長が、怒っている。


「そういうことです。私は、ハスマ家の手は借りません。むろん、これは私個人の意見ですので、カロスくんに強制するつもりはありません。カロスくんがハスマ家に――あなたとともに居たいと言うなら、その意見を聞き入れます。ただ」

「…ただ?」


「カロスくん。きみがいないと、私は寂しい」

「……」

「この数日も、とても寂しかったよ」

「……」


「カロスくん。もうしゃべっていい」

「室長…」

「うん」

「この毛根残念野郎」

「言うに事欠いて最初がそれかね」

「だってずるい」

「なにが」

「その言い方です」

「私はいつでも正々堂々としているつもりだが?」

「堂々としてりゃなに言ってもいいわけないでしょう」

「なにを怒っているんだ」

「別に怒っていません!」

「そうか。それは良かった。で、きみはどうしたいんだね?」

 俺が黙ったのは一瞬だった。


「人間界に帰りますよ。さっきヨジュンにもそう言いました」

 言うが早いか、通信機の位置が変わった。俺の目の前に、ユノがまわりこんだのだ。

「カロスさま。私の考えが足りませんでした。思慮不足でした。本当に、本当に申し訳ございません!」

「…ユノ殿。俺は別に…」

「私にチャンスをください。今度こそ、間違えませんから!」

「あの…」

「お願いします。一度、真剣に考えてみてはくださらないでしょうか。私とともに、この世界を治めることを。ともに歩くことを」

「ユノ殿。思慮不足はともかく、あの見合いの席で、カモイという膿を出すために協力しようと言ったのはあなたではありませんか。縁談はカモフラージュだったのでしょう?」

「いいえ。あわよくばそのまま話をまとめるつもりでした。ああ、過去形ではだめですね。今もそう思っていますから」

 ユノは、真剣な顔つきをしている。あのうさん臭い笑顔はどこにもない。

「トレフ殿にも、申し訳なかった。繰り返しますが私にもう一度チャンスをください。カロスさまを護る権利を、私にもいただきたい!」

「それは、私が決めることではありませんよ」

「室長」

「今すぐ結婚して欲しいと言っているわけではありません。結論を、急いでほしくないのです。今回のことで調査をしていて、先ほどあなたが自分でご実家に決着をつけたのを見て、その思いはぐっと強くなりました」

「俺は…」

「本当の意味であなたを護れるように、研鑽を積みます。約束します。あなたには、この先ずっと私の傍にいて欲しいのです」

「ユノ殿」

「そうして一生、私を蔑んで罵っていただきたい!」


「……。は?」


「飛び蹴りでも裏拳でも、私に与え続けてください!」

「……」

「あなたが一生そう出来るよう、私も精進いたしますから!」

 先日も思ったことだが。

 やっぱりこのヒト…。


「変態…」


「その調子です、さぁもっと罵ってください! ありとあらゆる罵詈雑言を、私に与え続けるのです! さぁさぁ!!」

「カロスくん、気が変わった」

 通信機から、室長の声が聞こえてくる。

「とっとと帰ってきたまえ」

「はい。帰ります」

「お願いします、カロスさま! あの鋭い飛び蹴りで私の渇いた心を潤してください!」

「心を潤す飛び蹴りなんて聞いたことありませんが」

「カロスさま。なにが心の潤滑油になるかはヒトそれぞれですよ」

「なんか良いこと言ってるっぽいけど変態は変態ですよね」

「変態のなにが悪いとおっしゃるのでしょう!?」

 うわ、認めやがった。

「冷たい言葉が欲しいのです!」

「さっき散々室長が言っていましたが?」

「あれは冷たいのではなく厳しいのです。むしろ温かみのある言葉です。そして冷たい言葉はあなたから欲しいのです!」

「いや、無理です。帰ります」

 なんだこのヒト、すごく疲れる。

「じゃ、お世話になりました」

「待ってください、トレフ殿の命令だからですか?」

「俺の意思です。室長からもう用無しだと言われない限りは助手をします」

「私はそんなことは言わんよ」

「分かってますよ」

 ぶっきらぼうに答えて、ユノに向き直る。ユノはなにやら泣きそうな顔をしている。


「カロスさま…」

「ユノ殿にはお世話になりました。それについては本当に感謝しています。ただ、それと縁談はまた別問題です。――正式に、今回の縁談はお断りします」

「…どうしても、ですか。現国主や兄上殿に命令されたとしても…?」

「今の俺を命令で動かせるのは、トレフ室長だけです」

 そして室長は、望まぬ縁談を俺に命じたりしない。


「ご希望に添えず申し訳ありませんが」

 ユノは、少しの間沈黙した。しゅんとしていた、のかもしれない。

「…承知しました。カロスさま。それでも私は、あなたに会えてよかったと思います。あなたを危険にさらしたことは…」

「それはもういいです。結果的になにも無かったんだし、問題はありませんよ」

「…いずれ、人間界に遊びに行ってもいいでしょうか?」

「ええ。もちろん。…では、俺はこれで」

 ユノに一礼して、俺は歩き出す。


 そうして俺は、人間界に帰った。

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