「あなたはもう、自由になるべきだ」
ユーリィ家にはすぐ着いた。扉の前で一度立ち止まり、胸元に手をやる。ループタイはひんやりとしていた。一呼吸おいてから扉を大きく開ける。タイミングよく、廊下を歩いていたチサがすぐに俺に気が付いた。
「まあ、お帰りなさいませ。今日もユノ殿とお会いになられていたのですね」
「お邪魔いたします、チサ殿」
「ユノ殿、いらっしゃいませ。ではまず、当主にご挨拶願います」
穏やかに笑って、チサは言う。そのチサに対する俺の視線は、冷たかったと思う。
「チサ、きみも来て。あと執務室から兄貴を連れてきて」
「ご挨拶なら、ユノ殿が出向くのが筋では?」
「ユノ殿はただの見届け人だ。俺は、きみたちに話がある」
「お言葉遣いを直してくださいませ」
「断る」
「カロスさま」
窘めるように言われても、俺はもう動じない。
「俺は俺のしたいようにする。チサ、今すぐじいさんの部屋に集合。きみが嫌だと言うなら自分で執務室まで行くけど、結果は同じだよ」
「……いいえ。カロスさまの、おっしゃる通りにいたします」
しずしずとうなずいて、チサは離れへ繋がっている渡り廊下の方へ歩いて行った。それを見届けて、俺はじいさんの部屋に向かう。
ノックもせずに、中に入った。中では、相変わらずじいさんがベッドに横たわっている。
「起きてください、おじいさま」
深く寝入ってはいなかったようで、じいさんはすぐに目を開けた。
「おはようございます、おじいさま」
「おお、カロス…。今度こそ、私を殺しに来てくれたのだな…」
「いいえ。あなたには生きていただきます。贖罪として」
言い切ったら、じいさんは目を見開いた。そのタイミングで、ノックがあった。
「…なんの用だ」
やって来た兄貴が、俺を睨む。負けじと、俺もまっすぐに兄貴を見た。
「真相を話しに来た」
「なんだと?」
「単刀直入に言う。――伯父上は自殺だ」
兄貴がその言葉を理解するのに、少々時間がかかった。
「…なん、だと?」
「そうだな? チサ」
兄貴の後ろに控えるチサは、淡白な表情で俺を見ている。
「伯父上の遺書、握りつぶしたのはきみだろう」
ややあって、兄貴がチサを振り返った。
「どういうことだ」
「どういうこと、とおっしゃいましても。わたくしは、常にこの屋敷にとって一番いい方法を選んでおります」
「否定をしないのか?」
「いたしませんよ。遺書を焼いたのは事実でございます」
「貴様…!」
兄貴がチサに掴みかかる。それを、俺は止めなかった。チサはしれっとしている。本当に、罪悪感など微塵も無いのだろう。
「遺書にはなんて書いてあった?」
「さぁ、覚えておく価値などございません故」
「っ!」
兄貴がチサを殴ろうとする。その手を、止める者があった。
「なんだ、お前は!」
ヨジュンだ。
「勝手にお邪魔しました、カロスさん」
「ナイスタイミングだよ、ヨジュン。カモイは片付いた?」
「はい。室長にこちらへ向かうよう言われて来ました」
言いながら、ヨジュンは兄貴の手を放さない。
護身術程度しか身に付けていない俺と違って、ヨジュンは強い。背格好では兄貴に圧倒的な利があるが、そんなことはものともせず、ヨジュンは軽々と兄貴を抑え込んだ。
「放せ、私を誰だと思っている!」
「妾の孫でございましょう」
「チサ、黙って」
チサに言ってから、俺はじいさんに向き直った。
「あなた、知っていましたね? 伯父上の自殺を」
「……カロス…」
「知っていたんですよね? チサが遺書を焼いたことも」
じいさんは、俺から目を逸らして微動だにしない。
「伯父上は自殺だった。でも遺書を焼いてしまったからそれを証明出来ない。兄貴は俺が犯人だと騒ぐ。騒ぎはどんどん広まっていく。そこで、中立の立場であるマーテル家を巻き込み、俺の無実を証明させたのでしょう。彼らには自殺だと明かしたうえで」
マーテル家はマタルの司法の長だ。彼らが俺は犯人ではないと言えば誰も反論出来ない。その結論を、国主であるユーリィ家が受け入れたのならなおのこと。
室長の声が蘇る。
――遺書には、おそらく…。
「自分の命と引き換えに、息子の待遇改善が求められていたのでしょう?」
ぴくりと、じいさんの眉が動いた。
「伯父上の命がけの願いを、あなたは聞き入れたかった。けれど俺がいたら兄貴の気は済まない。それこそ俺の命を狙うかもしれない。だからあなたは、とりあえず俺を部屋に軟禁した。見張りを付けたのは、兄貴が俺を殺しに来るかもしれないから。一方で、伯父上の遺志を尊重したいから、兄貴をどうこうすることもできない。だから、俺を室長に押し付けたんでしょう。マーテル家に謝礼でも払って」
「わたくしは反対いたしましたよ。カロスさまを手放すなんて。そちらの方を野に抛ればよろしかったと、今でも思っております」
「チサ。どうしてそこまで兄貴を邪険にするんだ。兄貴がきみになにをした?」
「どうしてですって? 産まれてきただけでじゅうぶんでございましょう。ヤスノさまは、ご自身が中々ご懐妊されないことを大変気に病んでおられました。だから国主のお遊びを咎めることもなさりませんでした。相手の女が妊娠したと聞いてヤスノさまがどれほど傷つき嘆かれたか、どれほど泣かれたか、口惜しいと思われたか、同じ女性としてカロスさまなら想像にかたくないでしょう。ヤスノさまを傷つけた女の子どもと孫が、この家に踏み込んだのです。どうして赦せることが出来ましょう!」
チサは堂々としている。彼女なりの正義なのだろう。
それは違う、と俺は思う。正義なんかじゃない。
出来るだけ感情的にならないように、俺は言った。
「ばあさんが嘆き悲しんだことは、気の毒だと思う。じいさんがしたことはどれだけ謝っても赦されない。けど、責めを負うのはじいさんであって、兄貴でも伯父上でもないだろう」
「血が汚れているのは同じでございます」
「そういう…」
「そんな言い方はないでしょう!」
声を上げたのは、ヨジュンだった。兄貴から手を放し、チサに詰め寄っている。
「誰だって自分の産まれる場所を選んでくるわけじゃないじゃないですか! それともあなたは選んだんですか!?」
「…先ほどから、なんですか、この子どもは。ここは子どもが勝手に入ってきていい場所ではありませんよ。由緒正しきユーリィ家です」
「僕は」
「その由緒を汚しているのはきみだよ、チサ」
ヨジュンを遮って言い放ったら、チサは驚いたように俺を見た。
「なにをおっしゃいます。カロスさまのご帰還までと、この屋敷を汚れから必死に守ってきたのはわたくしですよ?」
「場所の価値はヒトの価値じゃない」
室長。あなたの言う通りです。本当に、場所の価値なんてヒトの価値のなんの役にも立たない。
「俺、ようやくわかったよ。どうしてあの頃、使用人たちが俺の言葉にただ「分かっている」と繰り返したのか。室長が、俺に真実を言わなかった理由も」
本当に、使用人たちは解っていたのだ。俺が伯父上を殺したわけではないことを。
そして、トレフ室長は解っていたのだ。ある意味で、俺の存在が伯父上を殺していたことを。
――傷つくことを、許可しない。
きっと、当時の俺にはこの真相は耐えられなかった。
「父上が…自殺…」
兄貴がつぶやいた。それから俺を見た。俺を責める言葉が出てくるかと思ったが、そんなことは無かった。兄貴はなにも言わなかった。
所在を失くしているヨジュンの肩に、俺はぽんと手を置いた。それで、ヨジュンは一歩下がった。
チサと向き合う。
「カロスさま。わたくしは、あなたの為に…」
「チサ。きみが管理しているというじいさんへの薬。勝手に少なくして飲ませているね? ハスマの精鋭たちが調合した薬を」
「だってそうでもしないと国主のお身体が良くなってしまうではありませんか! せっかく、カロスさまご帰還の機会ですのに!」
「それでじいさんが死んだら殺人になるということは解ってる?」
「それもこれもヤスノさまとカロスさまの為でございます! その為ならば、この手が殺人に染まるくらい」
その瞬間、ばちんと、俺はチサの頬を打った。
信じられないものを見るように、彼女は俺を見る。
「…カロスさま…」
「きみは一度、ヒトの痛みとちゃんと向き合った方が良い。…これから、生きていくために」
茫然自失とした彼女は、その場にぺたんと座り込んだ。それを見届けることなく、今度はじいさんの方へ向かっていく。
じいさんの表情は、チサとそう変わらない。見たことのないものを見るような目で俺を見上げている。
そんなじいさんに、俺は自分でも驚くほど冷たい声を出した。
「あなたが頑なに俺に殺されたがっていたのは、せめてもの罪滅ぼしのつもりですか。俺があなたを殺すことで、兄貴も多少は気が済むだろうとか思っていましたか?」
「……」
「俺になんでも与えたのは、ばあさんへの弔いのつもりでしたか。俺はばあさんによく似ているらしいですしね」
否定しないのは、肯定ということなのだろう。
腹が立つ。
「冗談じゃねぇよ」
吐き捨てるように、俺は言った。
「それは贖罪じゃない。ただの自己満足だ。――あんた、一度でもちゃんと謝ったことあるのか? ばあさんにも、チサにも、伯父上にも、兄貴にも、ほかのヒトにも」
思えばこの男は、数日前に俺が久しぶりに顔を見せた時も、「殺していい」とは言ったが「すまなかった」とは言わなかった。
ただの、一言も。
胸元を、ぎゅっと握りしめた。
「悪いことをしたら「ごめんなさい」だろう」
ひんやりとしたループタイ。
こんなにも、俺に力をくれる。
ループタイから離した手で、俺はじいさんの胸倉を掴み上げた。
「自分がされて嫌なことは他人にもしない。ただそれだけのことなんだよ! なんでわかんねぇんだ!」
作った拳を振り上げた。じいさんに振り下ろす――その瞬間。
「カロスくん」
びたりと、俺の動きが止まる。
「カロスくん。病床のご老人に暴力を振るうのは感心しないな」
見れば、存在を忘れていたユノが俺に通信機を差し出していた。画面に室長が映っている。
「……通話、切ってなかったんですか」
じとりとユノを見上げると、彼は笑った。
「切り忘れておりました」
こんなに堂々と嘘を言われては、逆にああそうですかとしか言えない。
勢いを削がれた俺は、一度きつく目をつぶった。それから、もう一度拳を作った。
「カロ…」
どごっと音を立てて、俺の拳はじいさんの枕にめり込んだ。さすが国主の枕だけあって、拳をどけるとすぐに枕は元の形に戻った。
「とにかく。体調不良とか甘えたこと抜かしてないで、あなたは生きてください。これからはちゃんとした薬も与えられます。ハスマ家と相談して、必要なら入院してください。そうして、俺ではなく兄貴に贖罪をしてください」
それから、チサに言う。
「きみの進退を、俺は決めない。俺にそんな権利は無いからね。ただ、ヤスノばあさんに心酔していたきみならば、ばあさんがこの状況を喜んでいるかどうかは考えられるんじゃないかと思ってる」
「チサは譲りませんよ。次期国主はカロスさまでございます」
「いらないよ、そんな椅子」
「いいえ、ヤスノさまの願いでございますれば」
「じゃあとりあえず国主になって国主制を廃止する。政は四大名家みんなですればいい。代表は持ち回りで」
「あなたはユーリィ家の血筋をなんだと思っておられるのですか!」
「血筋に価値なんか無い。ヒトの価値は、そのヒトが生きていく過程で培われるものだよ」
室長の受け売りだということがちょっと引っかかるが、その通りなのだから仕方がない。
「何度でも言う。どこに産まれようとも、場所の価値はヒトの価値じゃない。……解ってよ」
最後は、嘆願に近かった。少し待ってみたが、チサは答えなかった。
答えないチサを置いて、前に出たのは兄貴だった。
「カロス」
「兄貴、俺は人間界に帰るよ。…この先、兄貴がどうするかは、兄貴の好きにすればいい。どうしても国主になりたいんだったら止めないけど」
兄貴は別に、マタルの民を正しく平和に導きたいと思って国主に拘っていたわけではないだろう。彼はたぶん、認められたかっただけだ。祖父やチサや、もしかしたら俺に。そしてなによりも、自分の父親の為に。
「伯父上のことは、謝らない。謝って済む問題でもない。ただ、心から、お悔やみを申し上げる」
頭を下げた。
「伯父上のものだった魂が転生しているとしたら、これ以上ないほど楽しくて幸せな人生を送っていることを、願うよ」
兄貴は、ぐっと唇を噛みしめた。
「そんな言葉で、おれが救われると思うか」
「俺はあなたの幸せも願う」
「……」
「そのために、俺に出来ることがあればなんでも手伝いたいとも思う。これは贖罪じゃない。家族としての言葉だ」
「なんでも…か。学校と引き換えにしても?」
「それで本当にあなたが幸せになれると信じられるなら」
きっと、室長もこう言うはずだ。室長は真実を知っていた。あのヒトは、真実を言わないことで、兄貴のことも護ろうとしていたのだ。自分の待遇改善の為に父親が命を絶ったと知ったら、きっと兄貴も死んでいた。
俺は冷静だった。もう、負い目を感じることはない。胸元ではきっと、ループタイが光っている。
「あなたはもう、自由になるべきだ」
誰もなにも言わなかった。




