どこまで
その夜。
俺は眠れないでいた。もっとも、ここ数日ずっと快眠だったわけではないが。
夕方にハスマ家から帰ってきて、チサの目を盗んで暗号の隠し場所まで行った。ヨジュンからの報告を数点受けて、俺からはハスマ家で起きたことを箇条書きにして置いてきた。
ヨジュンも室長も、もう休んでいる時間だろう。二人ともよく眠れているだろうか。
俺は普段、寮の畳の上に布団を敷いて寝ている。ベッドで、しかもこんなにふかふかの布団で寝るのは久しぶりだ。眠れないのはそのせいもあるかもしれない。
枕の横に、室長から押し付けられた…もとい、預かったループタイがある。ずっと俺のポケットにある深いブルーグリーンをしたループタイ。室長がこれを外しているところを、ほとんど見たことはない。思えば学校が立ち上がった頃から、室長はずっとこれを身に付けている。どこで入手したものか知らないが、よほど気に入っているのだろう。さすがに普段着の着流しの状態では付けていなかったように思うが。
「………」
室長のお気に入りのループタイが、俺の枕元にある。
まあ、それがどうしたと言われればそれまでだが。なんとなく、落ち着かない。
落ち着かないのに、俺の手は自然にループタイをそっと握っていた。さっさと人間界に帰って室長に返そう。そう思いながら。
翌朝。
「よくお休みになれましたか?」
朝食を俺の前に置きながら、チサがそう聞いてくる。
「うん、まあ…」
ぼんやりと、そう答える。実際のところ、眠れたようなそうでもないような、という感じだ。夢を見ていたような気がするがよく覚えていない。
しかし目ははっきり覚めている。家人が起きる前に執務室に行き、もう一度調べ廻ってから、ヨジュンからの暗号を受けてきたのだ。
「本日は、お仕事の引継ぎをなさいませ」
「…引継ぎ?」
「さようです。これからは国主としてマタルを治めていくのですから、仕事を引き継ぐのは当然でございます。お食事が済みましたら執務室へ行かれませ。秘書殿には話をしてあります」
「いや、ちょっと待って」
「現国主の容体が変わってからでは遅いのですよ。もう自覚を持っていただかなくては」
「チサ。聞いてくれ。俺は」
「お言葉遣い、直すという約束ですよ」
「聞いてくれ。チサ」
「もちろん伺いますよ。カロスさまのおっしゃることですもの。なんなりとお申し付けください」
「……」
うつむかずにはいられなかった。
昨日の祖父もそうだ。この家の者は、俺の話を聞かない。会話が成り立たない。もう、ずっと昔から。ぐっと、唇を噛みしめた。
声が聞こえたような気がした。
――傷つくことを、許可しない。
「……はい。室長」
「はい?」
「なんでもないよ。――引継ぎは受けない」
「なにをおっしゃいます」
「ユノ殿と会う約束がある」
嘘ではない。約束が、今日ではないというだけで。
まあ、とチサは口を丸くした。
「あの男性を、お気に召されたのですか?」
「そういうわけじゃないけど…」
「婿に迎えるならこちらにもそれなりの準備が必要ですね」
「気が早いよ」
「ユノ殿には、まず国主にご挨拶をしていただかなくては」
やっぱり会話になっているようでなっていない。俺はため息をついた。
「ともかく、食べたら出かけてくる。昼食は要らない。夕方には戻る」
「かしこまりました。国主にはユノ殿がご挨拶に来るとお伝えしておきます」
「だからそうじゃない。会って話をするだけだよ」
少々ぶっきらぼうにそう言って、俺は朝飯をかき込んだ。
*
待ち合わせ場所には、すでに相手が来ていた。
「カロスさん!」
ヨジュンだ。二日しか経っていないのにずいぶんと久しぶりな気がする。俺は頬が緩むのを自覚していた。とはいえ、俺は蝶々、ヨジュンは鷹の姿でいる。頬が緩んでいたとしても確認は出来ない。
「ヨジュン。なんだか久しぶりな感じがするね」
「ええ、とっても! お元気でしたか?」
「まあ、体調に変わりは無いよ」
俺たちがいるのは、ターゲットを見張るための背の高い木の上。ターゲットはカモイの屋敷だ。
二人して屋敷を見下ろしながら、俺はヨジュンに聞いた。
「学校はどう?」
「カロスさんがいなくなったことで、多少はざわつきがあったみたいです。僕は授業には顔を出しませんから、直接見たわけじゃないですけど」
「室長はどうしてる?」
「カロスさんをマタルへ見送った後、それまで録画していた授業をじっと見てました。特に、カロスさんが一人で受け持っていた時間を。授業の時間以外は、寮にも帰らずひたすら見ていたと思います。それから、僕が持って帰ってきたカロスさんからの伝言も。穴が開くほど見てたんじゃないでしょうか。ろくに口も利いてくれませんでしたよ」
「…徹夜してたの?」
「本人は、適度に寝たって言っていましたけど。それで、急に「そうか」ってつぶやいて、僕に今朝の伝言を置いてくるように言ったんです」
「…「今日、動く」って?」
「はい」
明け方に受け取った暗号には、そう書いてあった。
なにが根拠なのか知らないが、室長が今日動くと言うならそうなのだろう。だからこそ、今ここで見張っているわけだ。
「でもカロスさん、よく間に合いましたね。暗号を置いてくる時間までは決めていなかったから、入れ違いになっても仕方が無いと思っていましたよ」
「それは…まあ、たまたまタイミングが良かったってことだね」
本当は、ろくに眠れなくて早朝に起き上がって、することもないから大して期待もせず暗号を見に行っただけなのだが。わざわざ言うことでもないだろう。
「ユーリィ家でいじめられていませんか? 僕、カロスさんがあんなヒトのところにいるのが心配で…」
「いじめられてはいないよ。大丈夫」
会話になってもいないが。やはりわざわざ言うことではない。
ヨジュンを安心させるためになにか別のことを言うべきだろうか…と思案していたらヨジュンが声を上げた。
「あ!」
理由はすぐに判った。今まさに、カモイ家に入ろうとしている人物がいる。間違いなく、学校の生徒だ。
「あの子だったのか…」
思わずつぶやいた。
それから、続けた。
「本当に、今日動いたね」
それは感嘆にも近かった。
「僕も驚いています。室長って、預言者かなにかなんですか?」
確かに。あの男はどこまで読んでいるのだろう。おそらく、まだ俺たちにもすべては話していないはずだ。掌にいると思うと腹が立つが、今は置いておく。
「まあ、ともかく。じゃあ、あとは室長の指示通りに」
「カロスさん、大丈夫ですか? 本当なら、僕もそっちに行きたいです」
「大丈夫だよ」
蝶々の姿では見えないだろうが、俺は精いっぱい微笑んだ。
大丈夫だ。何故なら、室長が大丈夫だと踏んだのだから。
「ヨジュン。高級鉄板焼きは遠くない」
「…そうですね。では、僕は行きます」
「ああ。俺も」
二人して枝から飛び上がった。
人型には戻らず、蝶々の姿のままで目的地に向かう。家人に見つからないように、そっと忍び込んだ。
部屋に誰もいないことを確認し、人型に戻って手あたり次第机の引き出しや箪笥を開けていく。天井裏や畳も確認したが、とりあえずこの部屋には無いようだ。
「…どこだ」
俺が探しているのは、詐欺グループの被害者リストだ。近しい者が亡くなって、大金を払ってでも魂を呼び戻したいと思う人間。犯人たちは、詐欺にかける相手を適当に選んではいないだろう。金があって、マタルの存在を知っている人間で、親しい者が急に亡くなった人間。もしくは不治の病になっている者が近くいる人間。必ずリストがあるはずだと、室長は言った。昨日と今朝と、ユーリィ家の執務室は探してきた。チサの目を盗んで、母屋も探した。もちろん、俺や当主の部屋も。結果、ユーリィ家には無いだろうと結論付けた。
蝶々の姿になって、次の部屋へと移る。人型に戻る。部屋を見渡す。引き出し。箪笥。文机。天井裏。畳の裏。……無い。
次の部屋、次の部屋へと場所を移動して探したが、リストは見つからない。もしかしてと思って大きな花瓶をどかしてみたが、やはりそこにも無かった。くそ。
蝶々の姿で、俺はふよふよと移動する。
――この家には無いのか?
思った瞬間、網を掛けられた。
「!」
すぐに判った。これは人型に戻れないようになっている特殊な網だ。じたばたともがいてみるが、網はびくともしない。
「カロスさま」
かけられた声に、俺は視線を彷徨わせた。
「ご無礼はお互いさまと思ってお赦しください。…なぜ、ここに?」
ユノは、低い声で俺にそう問いかけた。俺は答えない。
「答えられませんか。では一つ、口を利きたくなる情報をお教えしましょう。……先ほどカモイ家で、賊が捕まったようですよ。なんでも金髪碧眼の、類稀なる美しさを持った少年だとか」
「な…」
「おや、お声が出ましたね?」
ヨジュン。捕まったのか。無事なのか?
ユノは静かにこちらに近づいてきて、網をどかした。
「どうぞ、人型にお戻りください」
「………」
黙ったまま、俺は人型に戻った。今日の俺はマタルの伝統衣装ではなく学校の制服だ。ループタイは首にかけている。まるで室長のコスプレのようだと着替えていて思ったが、その事実には全力で目をつぶった。今日は制服でなければならないのだ。俺は、カロスお嬢さまとしてここにいるわけではない。
ユノは、人型に戻った俺を見下ろして笑った。昨日も浮かべていた、うさん臭い笑顔だ。
「カロスさま。悪戯が過ぎるのでは?」
住居不法侵入の現行犯だ。言い逃れは出来ない。出来ないのだが、俺は胸を張った。朗々と言い放つ。
「マタルの特別警察として、調査をしておりました。責任はすべてトレフ室長にあります」
そして室長に丸投げした。
「うちの事務員がカモイ家で捕まったようですが、そちらも責任はトレフ室長にあります」
行け、堂々。
「最終的な責任はマーテル家にあります。どうぞ、抗議はマーテル家へ」
「…これはまた、強気でおられる。さすがに私のツボを押さえておられますね」
なんのツボ?
と思ったが、そちらを問いただすと面倒なことになりそうだったので、とりあえず無視した。
そっと、胸元に手をやる。
「調査をされてはまずいことでもおありでしたか?」
「そう来ましたか。そのように聞かれては、不法侵入を咎めることも出来ませんね」
「では、そういうことで」
くるりとユノに背を向ける。その肩を、ぐっと掴まれた。
「お待ちを。まだなにも済んでおりません」
バレたか。
「事務員を引き取りに行かなければなりませんので」
「責任はトレフ殿にあるのでしょう。迎えなら彼が行きますよ」
そんな正論を言われると困る。
ユノは微笑んだ。
「我が家の調査はすべて済んだのですか?」
「え?」
「うちには隠すことなどありません。どうぞ、次期当主の私の許、存分に調査なさいませ」
――と、言われるだろう。
「カロスさま? なにかおっしゃいましたか?」
――室長。
あなたは本当に、どこまで。
「なんでもありません。…たった今、調査は済みました」
「はい?」
「ユノ殿。お話があります」
まっすぐにユノを見上げると、うさん臭い笑顔が消えた。




