お茶づけに金粉
兄貴が執務室から帰ってくると、予想以上に家の空気が悪くなった。だが俺はもう臆しなかった。何故なら俺は、傷つくことを許可されていない。
実に十年以上ぶりに、兄貴と会話をした。会話と言っても、一方的かつ威圧的に明日はハスマに会いに行けと言われただけだが。チサだけ付けてくれるのだとか。それはどうもと返した。
夕食は、兄貴とは別々に部屋でとった。びっくりするほど豪華な鯛茶漬けだった。いや、確かに茶漬けが食べたいと言ったのは俺なのだが。誰が金粉をまぶせと言ったのだろう。
ヨジュンが見たら顔をきらきらさせて興奮するだろうな、と思うとちょっと笑えた。
そうして夜中に、俺は執務室へと忍び込んだ。自分の実家に「忍び込む」とはなんともおかしな表現だが、そう形容するのが一番近い。
手当たり次第に机の中や書棚を調べ廻って、目当てのものが無いことを、確認した。
そして、翌日。
昨日と同じような正装をした俺は、ハスマ家に出向いた。呼びつけるなんて偉そうに、とチサは不服そうだったが、もしも彼らが詐欺グループに関係しているのなら、相手の家に出向く方が証拠も見つかるかもしれない。
ハスマの家に入るのは初めてだ。遠くから見たことはあったが、やはり大きい。ユーリィ家ほどではないものの、さすが四大名家だ。たぶん一人で放り出されたら迷子になる。焦げ茶色をベースにした外観は、地球で言うならおしゃれな古民家カフェという感じか。ユーリィ家よりもかなり落ち着いた雰囲気を醸していた。
「ようこそいらっしゃいました」
驚いたことに、俺たちを出迎えたのは使用人ではなく見合い相手そのものだった。若い男性だ。兄貴と同じか、それよりもいくらか若いくらい。多く見積もっても俺よりいくつか年上くらいだろう。一言で言うと、シュッとした感じ。
黒くて長い髪を頭の低い位置で結び、格好は俺と同じくマタルの正装。黒をベースに赤いラインが入っている。ヨジュンを見慣れている俺にとってはなんてことはないが、まず間違いなく美形の部類に入るだろう。ただ、なんというか、初対面の相手にこんなことを思っては悪いのだろうが、はっきり言って笑顔がうさん臭い。
浮かべたその柔和な表情が、どこからか持ってきたようなものに見えるのだ。それともこれは、俺が詐欺グループのことを念頭に置いているからそう思えるのだろうか?
丁寧なあいさつの後、応接間に通された。こちらも、調度品は外観と同じく焦げ茶色がベース。ユーリィ家とは趣味が違うがとても落ち着いた雰囲気だ。一人で珈琲でも飲みながら読書が出来たら、とても充実した時間を過ごせそうだ。
俺たちを出迎えた男性は、ユノ、と名乗った。
「わざわざご足労いただいて、大変恐縮です」
「いえ…」
なにがあってもこのヒトの前では言葉遣いを間違えないように、とチサに注意されている。注意すればするほど、ボロを出さないように口数が少なくなってしまいそうだ。
「この度は、縁談を受けていただいて、とても嬉しく思っています」
縁談を受けた覚えはないのだが、それをここで言うべきではないだろう。
ユノは、笑っている。扉を開けた時と寸分違わぬ笑顔だ。ますますうさん臭い。
「カロスさまにとっては突然のことで、驚かれたでしょう」
「ええ、まあ」
「申し訳ありません。私は、急いで結婚したいわけではないのです。ただあなたに、私の存在を知ってもらいたくて、それを家人に話したら家人の方が急いでしまって…」
「存在を、知る?」
「あなたは私と初対面だとお思いでしょうが、実は違うんです」
「と、おっしゃいますと」
「もう二十年以上も前の話ですが、マーテルの屋敷で、あなたを見かけたことがあります」
俺は、軽く目を見開いた。マーテルの屋敷ということは、実家を出て室長に保護されていた頃だろう。養成学校はまだ準備中だったあの頃、誰かに会っただろうか?
「家の用事でマーテル家に遣いに行きましてね。その時にお見かけしたのです。当時、マーテル家には幼い子どもはいないと聞いていたので、誰だろうと不思議に思ったことを覚えています」
「そうでしたか」
としか言えない。
と、ユノが吹き出した。うさん臭い笑顔ではなく。
「あなたは、トレフ殿に飛び蹴りしておられましたよ」
「………」
後ろに控えるチサの顔は見えないが、たぶんぴくりと眉を動かしているだろう。後で説教されるだろうな。
「それを見た私は、なんて美しいのだろうと感激しました」
「飛び蹴りが?」
「あなたがです」
「あ、そうですか」
「小さなあなたが、青年のトレフ殿に飛びかかって行っているのがすごく印象に残りまして。いいなぁ、羨ましいなぁと」
今の話のどこに、いいなぁ羨ましいなぁと思う要素があったのだろう。もしかしなくても、このヒト…。
「…変態?」
「は?」
あ、やばい。声に出してしまった。慌ててこほんと咳をする。
「えーと…。それはまた、お恥ずかしいところを」
「いいえ。素晴らしいものを見せていただきました」
素晴らしいって。なにが?
「それから、何度か口実を作って会いに行こうとしたのです。しかし、マーテル家への用事などそううまい具合には見つからなくて。学校で会おうにも、学年が違う上にあなたは特別教室でしたし、そのうちに転校されてしまいましたし…。私が行動出来ないでいるうちにあなたは人間界に降りてしまって、これまでご挨拶をする機会もありませんでした」
「そうでしたか」
ユノの表情から、うさん臭さが抜けている。あのうさん臭さは、緊張していただけなのかもしれない。
会話が空いたので、俺は出されていた湯飲みに口を付けた。香ばしくて飲みやすいお茶だ。
しかし、お茶をすすって落ち着いている場合ではない。どうにかして情報を聞き出さなければ。
「カロスさま、よかったら人間界での生活のことを聞かせてください。私は、人間界は社会科見学くらいでしか見たことがないんです」
「そうですね…。なにからお話しましょうか?」
「あなたの一日を教えてください。どういう風に過ごしてきたのか、知りたいんです」
どこからどこまでをどの順番で話したものか、思案する。と、ユノが立ち上がった。
「庭を散歩しながら話しませんか?」
「はあ…」
特に断る理由もないので俺も立ち上がる。後ろで、チサも立ち上がった。が、そのチサを、ユノは手を挙げることで止めた。
「どうか、二人で話をさせてください。…ほかの方がいると、緊張してしまうので。あなたには、我が家の使用人を話し相手としてご用意いたしましょう」
笑顔にうさん臭さが戻っている。緊張は嘘なのだろう。どんな話をするのか知らないが、チサが邪魔らしい。
「恐れながら、わたくしはカロスお嬢さまのおそばを離れるわけには…」
俺はそっと、ポケットを触った。
「大丈夫だよ、チサ」
俺は、俺の役目を果たさなければ。
「散歩しながら話してくるだけだから。チサはここに」
肩に手を置いてそう言うと、不承不承チサはうなずいた。
ハスマ家の庭は、地球で言うならイギリス庭園のようだった。きれいに刈り込まれた植物が、俺を出迎えてくれる。
「すみません、急に二人になりたいなどと」
「…いいえ」
「どうしても、二人で話がしたかったのです」
背の高い木々の合間を、ユノはのんびりと歩く。俺はその後ろをついていく。
「先ほども申し上げた通り、私は結婚を急いでいるのではないのです。そうなれば嬉しいな、くらいで…」
「それは…助かります。私も、突然のことで混乱しておりますので」
「国主のご様子はいかがですか? うちの当主がお見舞いをと申し入れたのですが、会えない状態だと言われまして…」
「ええ。あまり、よくはありません」
「国主を診ているのは、うちが経営している病院の精鋭たちです。お役に立てておらず、大変申し訳ないと思っております」
「いいえ、そんな…」
そう、ハスマと言えば病院だ。その立場を利用して、じいさんの薬になにかしている可能性がある。
どうやってなにから聞き出そう…と思案していたらユノから質問してくれた。ありがたい。
「学校での生活はいかがですか?」
「それなりの刺激があって、毎日忙しく過ごしています」
「トレフ殿とは、今も仲がよろしいので?」
「よろしい…と言うのでしょうか。室長にはお世話になっています。呆れることもしばしばありますが」
「今でも飛び蹴りを?」
「そのことはもう忘れてください。…少し前に新しい事務員も入ってきて、にぎやかになりました」
「マタルの特別警察としてもご活躍だとか」
「活躍…出来ていればいいのですが」
俺たちがマタルのお巡りさんだということは、一般の者は知らない。知っているのは、ユーリィ家以下マタルの四代名家だ。
「警察としてのお仕事のほうは、いかがですか?」
心なしか、ユノの口調がゆっくりになった気がする。これは、探られているということだろうか?
室長ならうまい具合に切り返せるのかもしれないが、俺は生憎そんなに器用じゃない。当り障りなく最近の事件を話した。落書き事件や、パンケーキ事件のことなどを。ユノは興味深く聞いていたようだが、笑顔はうさん臭いままだった。
「ほかには?」
「…ほかに?」
「もっと、いろいろなことを聞かせてください。あなたのことはなんでも知りたいのです」
そうは言われても。
「例えば、どんなことでしょう?」
水を向けてみたら、ユノは一瞬考えるそぶりを見せた。
「そう、例えば…。誰かに、スプレーをかがされて拉致されたり」
「!」
俺は、その場からばっと飛び退った。
ユノから、うさん臭い笑顔は消えていた。
無言でユノを睨み付ける。ユノは涼しい顔で俺を見ている。
無言が続いた。
どうする。
ヨジュンと違って、俺にあるのは護身術程度。ユノがどの程度出来るのかは知らないが、遣り合って勝てる相手だろうか?
いや、その前に遣り合うのは得策だろうか。会話で情報を聞き出した方がいいのではないか?
室長。
俺は、どうすれば。
ポケットの上で、ぎゅっと拳を作った。




