憎らしいほど快晴だった
俺には、兄貴に対する罪悪感がある。それはいつも、今になっても俺にまとわりついている。ずっとずっと絡め取られていて、外そうともがくことすら赦されないような気がしている。
兄貴の前でろくに口を開けないのも、その為だ。
俺は産まれた時から祖父に溺愛されていて、煌びやかな部屋で望むものはなんでも与えられた。思えば、寒いとか暑いとかも感じたことはなかったかもしれない。それが恵まれたことなのかどうかはともかく、なにかに不自由したことは無かった。しかしそれが特別なことであるという事実にすら、気が付いていなかった。
そんなある日、母親が消えた。それ自体は、ショックはショックだったがやっぱりねという気持ちも大きかった。俺の母親は奔放なヒトで、俺を嫌っていたわけではないだろうが、たった一人の娘として愛してもいなかった。あのヒトは「母親」には向いていなかったと、俺は幼心に理解していた。
母親が消えてしばらくして、伯父とあの兄がユーリィ家にやってきた。存在は知っていたが、会ったことは無かった従兄だ。次期国主候補だった母親がいなくなり、その唯一の子どもである俺はまだ幼かったから、仕方なく妾の子だった伯父を連れてきたのだろう。
伯父は、優しかったと思う。思う、というのは、同じ家にいるのにろくに会わなかったからだ。俺は贅を尽くした豪奢な部屋で大切に育てられ、伯父たちは使用人たちと同じ部屋にいたと聞く。
伯父だけではなく、兄貴とも会う機会はさほど無かった。学校は同じだったのだが、教室が違っていた。学年が違うからというだけはなく、俺が特別扱いされていたからだ。俺には大げさなほどの送迎が付き、限られた者だけが入れる教室で、学校の名誉教授から特別授業を受けていた。昼食も違った。ほかの生徒は給食で、俺にだけは毎日豪華な弁当が作りたての状態で差し入れられていた。
伯父が死ぬまで、俺は兄貴とそんなに差別されていることを知らなかった。伯父の葬儀の時が、初めて兄貴と話した時かもしれない。兄貴の俺に対する対抗心は凄まじかった。葬儀の場で、兄貴は俺をいきなりひっぱたいたのだ。誰かにあからさまな敵意を向けられたのは産まれて初めてで、俺は痛いとか腹立たしいとかよりもぽかんとしていた。兄貴は最初から俺が伯父を殺したのだと決めつけていたのだ。いきなりそんなことを言われても、俺にはわけが分からなかった。
俺を取り巻く大人たちだけのせいにするつもりは無い。確実に、俺にも非はある。伯父の死によってしか伯父たちの存在を認識しなかったのだ。彼らがどれだけ不遇だったのか、葬儀の場で初めて知った。同じ家に住んでいながらそれまで考えもしなかったのは、俺の怠慢だ。俺はただ、与えられるものを当然のように受け取って日々を過ごしていた。周囲の者たちにも――伯父や兄貴にも「気持ち」があることを、思いつきもしなかった。
葬儀で俺は驚いた。使用人たちの態度が全然違ったのだ。俺は「特別」。兄は「その他」。父親の死にショックを受けている兄に、「そこはカロスさまがお歩きになる場所です」と廊下を空けさせたのにはびっくりした。ユーリィ家の廊下は広く、子どもはもちろん大人が数人横一列になっても狭くは感じないのだが。「どかなくていい」という俺の言葉を受けて、使用人は兄貴に怒鳴った。「カロスさまに気を遣わせるとは何事か」と。
あの時の兄貴の憎悪の眼を、俺はこれからも忘れないだろう。
自分の妾の子を失って、祖父がどのくらいショックを受けたのかは実際のところ判らない。少なくとも、葬儀中に大きな声で喚いたり嘆いたりはしていなかった。
だが、葬儀の数日後。俺は突然自室に軟禁された。伯父殺害の容疑を掛けられた為だ。もちろん学校にも行けず、本当に部屋から一歩も出られなかった。俺の自室には手洗いも洗面台もあるが、しかし問題はそこでは無い。
わけが分からず部屋から出せと言った俺に、ある使用人は国主の命令であると告げた。祖父は、俺を容疑者扱いすることを許可したのだ。あれだけ溺愛しておきながら。俺の部屋に見張りを付け、自分は仕事を理由に一度も会いに来なかった。
毎日世話をしに来るチサに、俺は毎日「俺じゃない」と訴え続けた。チサは微笑んで「分かっておりますよ」と答え続けた。ほかの使用人も同じだった。俺が発する言葉すべてに肯定をする。彼らは機械のように肯定しかしない。「はい、カロスお嬢さまのおっしゃるとおり」。これだけだ。会話にすらならない。
俺の言葉には意味が無いと思うようになるまで、そう時間はかからなかった。
次第に、部屋の隅に屈みこむようになった俺。ある時、そんな俺の正面に膝をついて、顔を覗き込んでくる男が現れた。誰かと目が合ったのは、久々だったように思う。
「初めまして。きみが、容疑者だね?」
そうして俺は、トレフ室長に出会った。
あの言葉になんと答えたのか、正確には覚えていない。なにも言わなかったかもしれない。
ただその日、憎らしいほど快晴だったことは覚えている。




