傷つくことを、許可しない。
その後、豪華な昼食を部屋で食べた。いわゆる懐石料理という奴だ。美味しかったが、寮で食べる納豆ご飯の方が好きだ。夕食はなにがいいですかと訊かれたので茶漬けと答えたら、最高級の鯛茶漬けを用意しますと言われた。インスタントでいいのだが、それを言ったらがっかりされるので言わなかった。
「のんびりなさってくださいね」
微笑みながらチサが言うが、のんびりしている場合ではない。聞けることを聞き出しておかなければ。
家の掃除をするチサに付いて行って、会話を交わす。
「おじいさまは、いつからあんな感じなの?」
「年末にお風邪を召されました。風邪自体はすぐに治ったのですが、お身体を弱らせてしまって…。お年もお年ですしねぇ」
「薬、まったく効いてないの?」
「まったく、ということは無いのでしょうけれども…」
「ハスマの病院に入院とかは?」
「お話はございましたけれども、お断りしました。当主がヤスノさまのお傍を離れたくないとおっしゃって。確かに寝ているだけならここにおられても同じですからね。お薬はわたくしが管理しておりますし、今の当主ではご移動なさるにも体力を使ってしまいますから」
「なるほど」
賢明な判断かもしれない。ハスマ家が薬に手心を加えていた場合、入院するのは危険だ。
「で、今、公務は?」
「ご自分を国主候補を思い込んでいる方と、当主の秘書殿、複数の補佐で代行されています。完ぺきとは申しませんが、一応は滞りなくマタルを治めておられます。まあ、複数人で一人分のお仕事ですからね」
チサは昔から、兄貴に厳しい。決して、俺の「兄」と認めようともしない。従兄とすら呼ばない。さっきだって、ものの数にも入れていなかった。理由は、まあ想像は付く。確かめてはいないが。
「昨日、兄上が人間界に来たよ。私にハスマ家に嫁に行けってさ」
「存じております。なんてことをおっしゃるのでしょうね。マタルを治める方に他所へ嫁入りしろなどと…。そもそも、カロスお嬢まさに命令など、思い上がりにも程がございます。やはりあの方は、ご自分の立場を解っておられませんね」
「思い上がりはともかく。その話はハスマから来たの? 兄貴から仕向けたわけではなく?」
「ハスマ家からだと聞いております」
「ハスマになにか起きたのかな。私を嫁にとって、ユーリィ家を取り込まないといけないようなこと」
「さあ、それは存じ上げませんが、カロスお嬢さまがご心配なさるようなことはございませんよ。あなたはここでユーリィ家の跡目を継げばよろしいのです。結婚相手は婿に来るのであって、あなたさまが嫁に行くようなことはございません」
「結婚ね。考えたことも無いよ」
「人間界ではそうでしょうが、これからはそういうわけにもまいりません。このユーリィ家とマタルを、末永く繁栄させなければ。お相手は、そうですねぇ。マタルには四大名家があるとはいえ、相応しいのは…」
「いや、待って。どっちにしても結婚は早いよ。学校の仕事もあるし」
「学校はマーテル家にお任せすればよろしいでしょう。新しい事務員も入ったと伺っておりますよ」
「でも、私は学校に」
「カロスお嬢さま」
チサは、まるで小さな子どもを諭すようにゆっくりと続けた。
「学校のお仕事は、誰にでも出来ます」
「……」
「トレフ殿のお立場ならともかく、お嬢さまがなさっていたのは助手でしょう。それこそ誰でも良いはずです」
…誰でも、か。
「しかし、ユーリィ家を継ぎマタルを治められるのはあなたさましかおりません。聡明なあなたさまのことですもの。お解りですね?」
室長。
室長、あなたなら、こんな時。
「…もう少し、優しくしとくべきだったかな」
「はい?」
「なんでもないよ」
普段は冷たくあしらっておいて、こんな時だけ室長に頼ろうとするとは。
我ながら情けない。
けれど、違う。
室長は言わない。誰でもいいなんて、絶対に言わない。それが、俺の知る室長だ。
だから、俺は微笑んだ。
「どうかな」
そっと、ポケットに手をやって。
「どうかな、とは…?」
「言葉の通りだよ。――ちょっと、散歩してくるね」
微笑んだまま、俺はそう言った。そろそろヨジュンもマタルに入っている頃だ。どちらかが問い詰められた時の為、待ち合わせ場所は決めていない。ただ、暗号を交わす場所だけは決めている。
約束の場所は、マタルと人間界を繋ぐ大きな扉の脇。こちらに来る時に貼っておいた「行ってきます」という暗号は、もう無かった。代わりのメモが貼ってある。ヨジュンの字だ。それだけのことに、安心している自分がいた。
声に出して、暗号を解読しながら読み上げてみる。
「ええと…。「がんばって、高級鉄板焼きに行きましょう。それと、室長から伝言です」…」
続きはこうあった。
――傷つくことを、許可しない。




