「決意表明だ」
翌朝。
いつものように納豆ご飯を食べてから出勤すると、学校にはもう室長がいた。
「…おはようございます」
「ああ。おはよう。昨夜はちゃんと眠れたかね?」
「いえ、ろくに。室長は?」
「私はいつも通りだ。問題ない」
「それは良かった。睡眠不足は美容と健康と毛根に悪いですからね」
なんとなく、気まずい。ヨジュンよ、早く来てくれ。
と願っていたら本当にヨジュンが来た。
「おはようございます!」
「ああ、おはよう」
「おはよう、ヨジュン」
「じゃあ僕、これからマタルへ行ってきますね!」
挨拶もそこそこに、ヨジュンが出て行こうとする。俺は慌てて呼び止めた。
「ヨジュン、待った!」
「はい?」
「マタルへは俺が行く」
「…はい?」
「カロスくん」
いつもよりも少し低い声で名前を呼ばれた。しかし、俺だって考え無しに言っているわけじゃない。
「俺は冷静です。ちゃんと考えました。――俺が、マタルへ行くべきです」
「反対だ、と昨日伝えたはずだが」
「僕だって反対です! あんな横暴なヒトのところに帰るなんて」
「結婚しに行くわけじゃない。奴らの思い通りにはしない。ただ、俺が向こうへ行けば取り急ぎ学校が潰されることは無い。じいさんの介護を理由に結婚を引き延ばすから、ヨジュンはその間にハスマやカモイのことを調べてくれ。ト‐○○一との関わりがはっきりすれば向こうを逆に潰せる」
「そうは言っても…」
困惑した顔で、ヨジュンは室長を見る。室長は、じっと俺を見ていた。居心地は悪いが仕方がない。後に引く気もない。
「室長。行かせてください。絶対に、奴らの思い通りにはさせませんから」
「決意は固い、ということかね?」
「はい」
しっかり答えると、室長は大きなため息をついた。それから、ちょいちょいと手招きをする。
「ちょっと来たまえ」
言われるまま、席を立ち室長に近づく。室長も腰を上げた。そして。
「だっ!」
俺にデコピンを一発。
「なんですか!」
「決意表明だ」
「モラハラで訴えますよ」
「それは困る。私はこれからもずっときみの上司でいたいからな」
その言い方には含みがあった。室長は、繰り返した。
「これからも、ずっと、だ。…なにか文句があるかね?」
「ありません」
「よろしい。ではきみに業務命令だ。――マタルへ行き、この騒動を収める為の情報を掴んできたまえ」
「…はい。トレフ室長」
すっと敬礼する。それから、いまだ困惑顔のヨジュンに笑顔を向けた。
「ヨジュン。きみは外側から、俺は内側から。とっとと情報を掴んでこの事態を終わらせよう。無事に済んだら祝杯だよ。室長のおごりで高級鉄板焼きでも行こう」
「…ま、構わんが」
「カロスさん、僕…」
「なんて顔してるんだ。これから反撃だよ」
「反撃…?」
「そう。みんなで反撃」
繰り返すと、ヨジュンはやっとうなずいた。
「はい…。僕、がんばります!」
ヨジュンが手を伸ばして来たので、握手かと思ったら抱きしめられた。
「早く片付けましょうね!」
「…うん」
自由になる手で、ぽんぽんとヨジュンの背中を叩く。室長は、そんな俺たちを黙って見ていた。
俺がマタルへ行こうとも、学校には普通に授業がある。俺の出立は、授業が始まる前、今からすぐにということになった。
「授業の助手が出来ないのが心残りですが…」
「心配しなくても、授業はちゃんと進めておく。そんなに長い間ではないだろうしな」
暗に、すぐに帰って来いと言われている。俺だってそうしたい。
「気を付けてくださいね。くれぐれも無理はしないでください。危ないと思ったら叫んでください! 僕、飛んでいきますから!」
「うん。ありがとう」
ヨジュンに微笑んで、室長を見る。
「では、行ってきます」
マタルへ通じる扉の前で、俺は一礼した。ユーリィ家に怪しまれないように、ヨジュンとは時間をずらして行くことになっている。
「待ちたまえ。これを渡しておこう」
言いながら、室長は自分の胸元に手をやった。そうして、ループタイを外す。すっと俺に差し出した。
「持っていきたまえ。寂しくなった時には握るといい」
「……誰も、あなたに会えなくて寂しいなんて思いませんよ」
「そうか? 私は寂しいが」
そうはっきり言われては、こちらも困る。
「僕も寂しいです」
ヨジュンには、大丈夫だからと言えるのに。
「まあ、これは私の自己満足のようなものだ。かさばるものでもないし、なにもかも無事に済んだら返してくれればいい」
積極的に断る理由が見つからない。ややあってから、俺はループタイを受け取った。
深い緑蒼の色をした石が、俺の掌に収まった。一度きゅっと握って、ポケットに押し込む。
「もう少し時間があれば、それを通信機や盗聴器に出来たのだが」
「嫌ですよ、向こうでもずっと会話を聞かれるなんて」
「私と繋がっていれば落ち着くかと思ったのだが」
「勘違いです」
言いながら、そうか、通信機ではないのかと思っている自分がいた。
「…じゃ、そういうことで」
「行ってきたまえ」
「行ってらっしゃい、気を付けて!」
もう一度礼をして、俺は扉を開けた。
こうして俺は、一人でマタルへ向かったのだ。




