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「学校が潰されます」

 三人で、ミーカからの帰り道をぶらぶらと歩く。ヨジュンが先を歩き、その数歩後ろを俺と室長がついて行く。ぽつんぽつんとある外灯が、頼りなく辺りを照らしている。


「明日は通常通りの授業だ。寝坊しないようにしたまえよ」

「分かっていますよ。室長こそ、なにか察したら今度はすぐに教えてください」

「なんだね、その含みのある言い方は」

「だって、ユウキに話を聞いていた時から盗聴器の警戒をしていたなんて、俺は全然知りませんでしたし…。ト‐○○一のことだって」

「仮定の話をしていたらきりが無いだろう。なにかあるだろうなと思っていただけで、なにが起こるのかは未知数だった。そして今もなにが起こっているのかすべてを把握はしていない」

「それはまあ、そうなんですけど」

「大丈夫ですよ、カロスさん」

 上機嫌で前を歩いていたヨジュンが振り向いた。

「僕が情報を掴んできますから。カロスさんは心配しないでください」

「…きみは、どうしてそんなにこの件にやる気を?」

「だって僕、嬉しくて」

「うん?」

「あ、いえ。別に今のカロスさんの状況が嬉しいわけじゃないですよ。ただ僕、今までこんな風に頼ってもらえたこと無くて。僕、もう行く場所がないと思っていたから、僕を必要としてくれる場所が嬉しいんです」

 よく分からないが、誰にでも事情はあるということなのだろう。俺は曖昧にうなずいた。

「ヨジュン、前を見て歩かないと…」

 次の瞬間、ヨジュンが鋭い動きで飛び退った。

「ヨジュ…」

 街灯に、影が差した。

「……なん…」

 大鷲が一羽、ヨジュンがいた場所に降り立とうとしていた。

 俺は息を飲む。どうして、この男が、ここに。

「下がりたまえ」

 室長に言われても、俺は動けないでいた。

「カロスくん。下がりたまえ」

 それでも動かない俺を、室長は引きずるようにして自分の後ろへ下がらせた。すぐ横にヨジュンも来る。


 大鷲は、しばらくこちらをにらんだ後で人型に変化した。

 大陸風の貫頭衣を身に付けた男が、そこに現れた。人間でいうなら二十代後半。黒に近いほど濃い紫色の髪は長く、同じ色の眼は切れ長。口元は厳しく引き締めている。その口を開いて、男は言った。

「カロス」

 男は、俺の前にいる室長など見てもいない。ただ、力の入った目で俺を見つめている。

「カロス」


 俺は、しゃべらない。しゃべることが出来ない。そんな俺に構わず、男は続ける。

「…久しぶりだな。別に会いたくもなかったが」

射殺すような視線で言われても、ええそうですねとうなずけない。

「誰ですか?」

 横にいるヨジュンが、そっと聞いてくる。俺も、そっと答えた。

「……兄貴」

「あ、このヒトが…」

「なんのご用かね?」

 室長が、兄貴に問う。兄貴は、そこでやっと存在に気が付いたように室長を見た。

「カロスの世話係か」

「それは違う。私はカロスくんの上司だ」

「世話をしていることに変わりは無いだろう」

「そう簡単に世話をさせてくれる妹さんではないということはご存知かと思っていたが」

「マーテルの遠縁如きが、生意気な口だ」

「ふむ。妹さんに感化されていると言わざるを得ないな」

 失礼な。

 とは思ったが、ここで口に出すべきではないということくらいは分別が付く。


「私としては、妹さんにはもう少し素直に私の世話になってほしいのだが」

 ほっとけ。

 とも思ったがやっぱりここで口に出すべきではない。


「いや、世話係はもういい。カロスはユーリィ家に帰る」

 俺は唇を噛んだ。やっぱりそうか。この男がわざわざ人間界に来ているのだ。そういうことだろう。

 だが、それでも俺は黙る。ぐっと、拳を握りしめた。

 黙るしかないのだ。俺には、この男になにかを言うことが出来ない。

「カロスくんは私の部下だ。勝手に連れて帰られては困る」

 室長と兄貴の睨み合い。

 ヨジュンが、またそっと言った。

「なんか…。カロスさんを「妹」っていうとおかしな感じですね。ずっと男のヒトだと思っていましたから」

 空気を読まないその言葉に、俺はふっと苦笑した。

「そうだろうね」

 沈黙は、さほど長くは続かなかった。兄貴が宣言したからだ。

「カロス。聞け。今日は連れ帰りに来たわけではない」

「……」

「報せに来ただけだ。じいさまが臥せっておられる。お前に一目会いたいと、毎日うわ言のようにおっしゃっている。…気の毒なほどにな」

 俺はうつむいた。

「しかし気の毒ではあれど、私にはお前を連れて帰る義務はない。お前など家に入れたところで、我が家が汚れるだけだしな」

「では何故わざわざ報せに?」

 室長の問いに、兄は面倒くさそうに答えた。

「一つは、じいさまの願いだからだ。死の床に臥せっている当主の願いを聞かないほど、ユーリィ家の者は冷徹ではない。カロスという例外はいるがな」

「もう一つは?」

「認めたくは無いが、カロスはいまだに国主第一候補だ。その候補に、縁談が来ている。我々としても、カロスを引き取ってもらえるならありがたいからな。その縁談を受けた。カロスには、ハスマへ嫁に行ってもらう」

「…本人には相談もせず、かね? 中々冷徹であると私は思うが」

「世話係の思いなど知るか」

「ハスマだったのか…」

 ヨジュンがつぶやいた。俺は顔を上げなかった。

「お前にとってもありがたい話だろう。恐れ多くも次期国主を毒殺した人殺しであるお前を、ちゃんと嫁入りさせてやろうというのだから」

「…人殺し? カロスさんが?」

「……」

 ヨジュンの顔を見られない。


「その容疑はすでに晴れているはずだが」

 俺は、なにをしているのだろう。あの時も今も、室長の背中に庇われてなにも言えないでいる。

「しかし犯人は捕まっていない。カロスでなければ誰だというのだ」

「彼女ではないということは証明されたはずだ」

「世話係のおかげで、な」

「違う。あれは自明である。私の部下を犯罪者扱いするのはやめていただこう」

「あなたがカロスを世話しているのは、毒殺犯を野に放ってしまった罪悪感からではないのか? カロスを見張るために部下にしたとまことしやかに囁かれているが」

「勘違いもいいところだな。そもそもあの時、中立の立場であるマーテル家に調査を依頼したのはユーリィ家であったと記憶しているが」

「ああ。その依頼が間違いであったと言わざるを得ない。まさか嫌疑不十分などと言い出すとは」

「文句なら、あの時その結論を受け入れた現国主に言いたまえ。いくら臥せっておられても、文句くらいは言えるだろう。きみほど冷徹ならそれくらいは朝飯前では?」

「世話係とは話が通じないと見える」

「それについては同意見である。なんだ、意外と話が分かるじゃないか」

「もういい。…カロス」

 俺は、一切兄貴を見ない。もう長いこと、あの視線をまともに見られたことは無い。


「まずはじいさまに会いに行け。自分が人殺しであると認め、土下座でもなんでもしろ。それから、国主を辞退する署名をし、代わりに私を推薦しろ。それが終わったらハスマへ嫁に行って、二度とユーリィ家と関わるな。これらを拒否する場合、仲介人養成学校を廃校とする。日本校だけじゃない。地球上すべての学校を、だ」

「そんな横暴な!」

 思わず声を上げたヨジュンを、兄は一瞥もしない。


 仲介人養成学校は、マーテル家の管轄だ。誰の干渉も受けない。しかし国主であるユーリィ家なら話は別だ。兄貴は、マーテル家から学校を取り上げると言っている。


 室長の夢だった、学校を。


 一歩前に出た。

 俺はようやく顔を上げ、兄貴を見る。

「俺は」

「言いたいことは、それだけかね?」

 室長の声は、いつもと変わらなかった。授業中とも、俺たちと話す時ともなんら変わりがない、いつもの口調。

「それだけなら、もう帰りたまえ。これ以上はお互いに時間の無駄だ」

「私はカロスと話している。世話係は黙っていろ」

「そんなに私を妹さんの世話係にしたいならそれでも構わんが。一応彼女の上司として、先ほどの要求はすべてお断りすると申し上げておこう」

「それはあなたが決めることではない。それにこれは相談ではなく決定事項の通知だ。――カロス。そういうことだ。明日中にマタルへ戻れ」

 そう言い捨てると、兄は一つの風を起こして大鷲へと変化した。そのまま、ぶわりと浮き上がる。ばさばさと音を響かせて、夜闇へと消えていった。

 そうして、俺たち三人が残される。


「やれやれ…」

 最初に口を開いたのは室長だった。

「仕掛けるどころの話ではなくなってしまったな」

「室長…」

「まあ落ち着きたまえ。とりあえず、寮へ帰ろう」

 言いながら、もう歩き出している。俺とヨジュンもそれに倣った。寮まではもう幾ばくも無い。

「なんか僕、腹が立ちましたよ。他人のお兄さんをあんまり悪く言ったらいけないんでしょうけど…」

「別にいいよ。あと、正確に言うと、あれは兄じゃないんだ」

「え? でもさっき」

「血筋の話を、ちょっとしただろ? あのヒトは、血筋的には従兄なんだよ。俺の母親の兄の息子でね。ずっと昔に、うちに養子に来た。だから、対外的には俺たちは兄妹と言ってる」

「そうなんですか…。あの、でも、カロスさん」

「毒殺犯ってのが気になるんでしょ?」

 寮が見え始めて、俺は歩みを止めた。


「もうずっと前の話だけどね。あのヒトの実の父親は、確かに毒物で亡くなった。俺がその容疑者。取り調べたのが室長。それが出会い。あれが殺人だとして、犯人は捕まっていない。……俺じゃないことは、確かなんだけど」

「そうですか。それならいいです」

 あっさりと言ったヨジュンを見る俺は、ぽかんとしていたと思う。

「なにか誤解があるんでしょう。僕、その誤解を解くお手伝いもしたいです」

「なんでそんなあっさり信じるの?」

「だってカロスさんが違うって言ったから。それで十分ですよ」

 ヨジュンがにっこり笑う。その美しさたるや、ほかに比べるべくもない。

「私はいい部下を持ったな」

 同じく歩みを止めていた室長が言った。

「類は友を呼ぶ。私の人徳の賜物だ」

「だから、なんでそれを自分で言うんですか」

「だってきみたちは言ってくれないだろう」

「よくお解りで」

 誰からともなく、また歩き出す。もう寮は目の前だ。

「カロスさん。マタルに帰るなんて言いませんよね。今時政略結婚なんてはやりませんよ。僕、ハスマの弱みでもなんでも見つけてきますから」

「そうだね…」

「おじいさんに会いたいなら、止められないですけど…。ん? おじいさん? あの、カロスさんのお父さんとお母さんは?」

「ああ、いないよ。父親は亡くなったし母親は家出してどっか行っちゃった」

「ええ?」

「現国主には、子どもが二人いたんだ。俺の母親と、その兄でさっきの兄貴の父親。つまり俺の伯父になるんだけど、このヒトが実は正妻の子どもじゃなくてね。国主は正妻の長子である俺の母親が継ぐはずだったんだけど、親父と政略結婚させられて、それが嫌で家出。俺を産んだからもういいだろうって書置きを残してね。父親はそのあと、はやり病で亡くなって。で、その後国主を継ぐはずだった伯父も亡くなって、残ったのが俺とさっきの兄貴」

「そう…だったんですか…」

 寮のエントランスに入って、エレベーターのボタンを押す。


「伯父が何故亡くなったのか、いまだに判らない。でも当時、正妻の孫にあたる俺が、国主になるために伯父を殺したんだって兄貴にめちゃくちゃ騒がれてね。結局マーテル家が出てくる事態にまでなって。派遣されてきた室長が容疑を晴らしてくれたんだけど、もう兄貴と同じ家にはいられなくて。それで家を出てマーテル家にお世話になることになったんだよ。ついでに性別も偽ってみた。ユーリィ家からマーテル家に来た女児イコール国主の子どもってことになってしまうくらいには噂が広がってしまっていたから。男児なら、なんとかマーテル家の遠縁ってことに出来るからね。――俺の話は、そんなとこだよ」

「なんか…僕なんてちっぽけですね。そんなお話を聞くと」

「事情は誰にでもある。俺の場合は、ちょっと家がでかかっただけだよ」

 エレベーターが降りてきた。三人で乗る。ヨジュンは二階、俺は四階、室長は五階に居を構えているので、まずヨジュンが降りた。

「なんか色々あった一日でしたけど…。お疲れさまでした! おやすみなさい」

「ああ。ご苦労だった。ゆっくり休みたまえ」

「おやすみ、ヨジュン」

 俺が言うと同時に、扉が閉まった。

 しばし、室長と二人になる。

「室長。俺」

「カロスくんもゆっくり休みたまえ。ご苦労だった」

「俺はなにもしていません。それより、お話があります」

「私はきみをマタルへ帰すつもりはない」

 読まれていたか。しかしこれは予測範囲内。

「学校が潰されます」

「杞憂だ。ちゃんと戦うからきみは心配しなくていい」

「心配はしますよ。俺だって学校の一員です」

「そういう意味じゃない。解っているだろう。きみがマタルへ帰っても事態は好転しない」

 エレベーターが四階について、扉が開いた。俺は出て行かない。

「そうとは限らないでしょう。俺が戻ってうまく立ち回れば、ハスマを抑えられます。ト‐○○一のことも、彼らが関わっているならなにか判るかもしれません」

「判らなかったらどうするのだね? 戻って結婚させられたら二度と人間界には降りられなくなるかもしれない。そうでなくとも、ユーリィ家にきみの居場所は無いだろう。苦しむと判っている場所に帰すことなど、上司として出来ない」

 エレベーターの扉が閉まりそうになる。室長が開くボタンを押した。

「降りたまえ。兄上と再会して、今はきみも興奮している。冷静になって考えるといい」

「室長」

「降りたまえ。…ヨジュンを、仲間外れにしたくはないだろう」

 返答に詰まる。

「明日、ちゃんと話すことにしよう。私も対策を考える」

 ほら、と室長は俺の背中を押した。廊下に出る。

「おやすみ」

「しつちょ…」

 言っている途中で、扉が閉まった。


 眠れなかった。

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