6話ー⑪ 忍び寄る不安
西方戦線。
あれほど激しかった戦いは、ようやく終わりを迎えていた。
獣族軍は撤退し、魔族軍もまた獣族領から後退する。
両軍とも、これ以上戦いを続けるだけの余力を失っていた。
かつて激戦が繰り広げられた大地には、無数の傷跡が残されている。
砕けた武器。
崩れた防柵。
踏み荒らされた大地。
そして、戦場に残された無数の爪痕。
しかし――。
戦線そのものは、開戦前の国境線付近まで戻っていた。
魔族と獣族。
両軍は国境を挟み、一定の距離を置いて陣を構える。
その間に広がるのは、誰も踏み込まぬ緩衝地帯。
そこへ一歩でも踏み込めば、再び戦いが始まる。
両軍の兵士たちは、その場所を睨みながら、静かに武器を構えていた。
獣族も攻めない。
魔族も攻めない。
互いに相手の動きを警戒しながら、戦線を維持していた。
『……これ以上は無理だな』
獣族軍の将が呟く。
『兵の損耗が大きすぎる』
隣の将も頷く。
『魔族も同じでしょう』
遠くに見える魔族軍。
その数は、開戦時とは明らかに違っていた。
『ならば、今は戻るしかない』
『ええ』
獣族軍は、国境の向こうへと後退していく。
それを魔族軍も静かに見送った。
センチュリーは遠くへ去っていく獣族軍を見つめる。
『……終わりましたね』
ヴィルフェイエが隣に立つ。
『ええ』
『しかし、勝ったというには随分と厳しい戦いでした』
センチュリーは周囲を見渡した。
『勝利とは、敵を全て倒すことではありません』
『我々は橋頭堡を守り抜き、敵の大攻勢を退けた』
『それだけで十分でしょう』
少し離れた場所では、トレイルエクスが負傷兵の様子を確認していた。
『……戦える兵は少ない』
センチュリーが頷く。
『ならば、戻る』
『軍を再編する必要があります』
ヴィルフェイエも頷いた。
『獣族も同じでしょうね』
『この戦いで、双方とも相当な戦力を失いました』
『しばらくは、大規模な攻勢を仕掛けることはできないでしょう』
センチュリーは国境の向こうを見る。
『ならば、この地はしばらく膠着する』
『その間に、互いに軍を立て直す』
『ええ』
こうして――。
西方戦線は、一時的な膠着状態へと入った。
魔族は魔国領内へ戻り、損耗した部隊の再編を開始する。
新たな兵士を募り、武具を補充し、物資を蓄える。
獣族もまた同じだった。
兵を集める。
武器を作る。
戦力を再編する。
次なる戦いに備える。
国境付近には、再び静寂が戻った。
だが――。
その静寂は、戦争が終わったことを意味してはいなかった。
ただ、次の戦いへ向けて双方が息を整えているだけだった。
そして――。
場面は変わる。
魔国アーストン。
その中心にそびえ立つ魔皇城バルルモラ。
玉座の間。
そこには魔皇ヴァンキッシュが一人、静かに座していた。
いつもの彼とは違う。
玉座へ深く腰掛け、目を閉じたまま、長い時間を思考に費やしている。
机の上には、西方戦線から届けられた報告書。
その隣には東方戦線の報告。
そして――。
北方戦線の報告書が置かれていた。
ヴァンキッシュはゆっくりと目を開く。
『……西方』
報告書へ視線を落とす。
『獣族の大攻勢を退けた』
『しかし、こちらも相当な損害を受けた』
指先で報告書を閉じる。
『東方』
次の報告書へ手を伸ばす。
妖族との交渉によって、現在は大きな戦闘が起きていない。
ヴォランテによる外交工作も続いている。
少なくとも、東方から大規模な攻撃を受ける可能性は低い。
ならば――。
残る戦場は一つ。
ヴァンキッシュの視線が、最後の報告書へ向かう。
『北方……』
聖族国家連合。
その戦力は、未だ健在だった。
西方の獣族は、全力を使って大攻勢を仕掛けた。
そして敗れた。
東方の妖族は、戦争へ本格的に踏み込んでいない。
だが――。
北方は違う。
聖族は、未だ大きな戦力を保持している。
しかも、その背後には賢族、小人族がいる。
ヴァンキッシュは静かに立ち上がった。
玉座の間に、その足音だけが響く。
『……西方が止まった』
『東方も止まっている』
一歩。
玉座から離れる。
『ならば、次は北だ』
窓の外へ視線を向ける。
魔国アーストンの街並み。
そこには普段と変わらぬ人々の生活がある。
兵士たちが歩き。
商人が行き交い。
子供たちが笑っている。
その日常を見つめながら、ヴァンキッシュは静かに呟いた。
『聖族は、まだ余力を残している』
『そして、奴らもこちらを見ている』
西方戦線での戦い。
それによって魔族軍も大きく消耗した。
今、魔族が総力を挙げて北方へ向かえば――。
聖族もまた、総力を挙げて応じるだろう。
ヴァンキッシュは目を細めた。
『……総力戦になるか』
その声に、僅かな緊張が滲む。
だが――。
恐れではない。
これまでにないほどの強敵と、真正面からぶつかることへの覚悟だった。
『西方で獣族を退けた』
『だが、それで終わりではない』
『むしろ――』
ヴァンキッシュは北方へ視線を向ける。
『ここからが、本当の戦いになる』
玉座の間に、静寂が落ちる。
やがてヴァンキッシュは、静かに口を開いた。
『北方の戦況を、さらに詳しく調べよ』
その命令が、魔国全土へ伝えられる。
西方戦線は止まった。
東方戦線もまた、静かに息を潜めている。
そして今――。
魔皇ヴァンキッシュの視線は、北方へ向けられた。
そこに待つのは――。
これまでとは比べものにならないほどの大戦だった。
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