第6話ー① ハラスメント攻撃
獣族領――。
魔族軍が築いた橋頭堡には、静かな時間が流れていた。
周囲には簡易ながらも強固な防壁が築かれ、見張り台には魔族兵が立っている。
砦の外側には幾重にも防衛線が敷かれ、周辺には罠や警戒網も張り巡らされていた。
ここは、魔族にとって獣族領へ進出するための重要な拠点。
そして同時に――。
獣族にとっては、決して奪われてはならない場所だった。
西方戦線を指揮する八冥王第一席センチュリーは、砦の上から周囲を見渡していた。
深い森。
視界の先まで続く木々。
その奥には、無数の獣族が潜んでいる。
しかし、この数日。
大規模な攻撃はない。
センチュリーは静かに目を細めた。
『……妙ですね。』
隣に立つヴィルフェイエが振り返る。
『何がでしょう?』
『静かすぎる。』
ヴィルフェイエは森を眺める。
『確かに……以前のような正面からの攻撃は、ほとんどありませんね。』
『ええ。』
センチュリーが腕を組む。
『ですが、獣族は諦めてはいない。』
その言葉を裏付けるように――。
森の奥から、甲高い音が響いた。
――ヒュッ!!
次の瞬間。
見張り台の兵士のすぐ横を、一本の矢が通り抜けた。
『敵襲!!』
警戒鐘が鳴り響く。
魔族兵たちが一斉に武器を構える。
しかし――。
敵の姿はない。
森の中へ目を凝らしても、何も見えない。
『探せ!!』
『森の中だ!!』
兵士たちが周囲を警戒する。
だが、獣族の姿はどこにもない。
そしてしばらくすると――。
何事もなかったかのように、静寂が戻った。
センチュリーは動かない。
ヴィルフェイエもまた、森を見つめている。
『……またですね。』
『ええ。』
翌日。
今度は補給部隊が狙われた。
砦へ向かっていた荷車が森を抜けようとした瞬間――。
『来るぞ!!』
獣族兵が木々の間から飛び出してくる。
一撃。
そして離脱。
魔族兵が追おうとした時には、すでに森の奥へ消えている。
『追撃するな!!』
隊長の声が響く。
『森へ入れば奴らの思う壺だ!!』
しかし、補給物資の一部が失われた。
さらに数日後。
夜。
魔族兵たちが交代で休息を取っていると――。
――ガンッ!!
砦の外壁に何かが叩きつけられた。
『敵襲!!』
兵士たちが飛び起きる。
外へ出る。
しかし、やはり敵の姿はない。
森の中から獣の遠吠えだけが響いている。
『……またか。』
兵士の一人が疲れた表情を浮かべる。
『最近、まともに眠れていないぞ……。』
別の兵士が周囲を見渡す。
『でも、敵はこっちを殺しに来ているわけじゃない。』
『じゃあ何のためだ?』
『分からん……。』
その答えを、センチュリーはすでに理解し始めていた。
翌朝。
司令部。
地図を前に、センチュリーとヴィルフェイエが向かい合っていた。
『被害報告です。』
副官が報告書を差し出す。
『補給部隊への襲撃が三度。』
『夜間の小規模攻撃が五度。』
『斥候への奇襲も相次いでいます。』
センチュリーは報告書へ目を通す。
『死者は?』
『ほとんど出ておりません。』
『負傷者は?』
『軽傷者が多数です。』
センチュリーは静かに頷いた。
『……やはり。』
ヴィルフェイエが微笑む。
『敵は、殺すことを目的としていない。』
『ええ。』
『では、何を?』
センチュリーは地図上の橋頭堡を指で示した。
『我々を疲れさせる。』
『兵士を眠らせず、補給を乱し、神経を削る。』
『一度の戦闘で大きな損害を与えるのではなく、小さな損害を積み重ねる。』
ヴィルフェイエは納得したように頷いた。
『なるほど。』
『こちらの戦力そのものではなく、戦い続ける力を削っているわけですね。』
『その通りです。』
センチュリーは窓の外へ目を向ける。
『獣族は、森を知り尽くしている。』
『我々が森へ深入りすれば、一撃離脱を繰り返される。』
『追えば追うほど、こちらが疲弊する。』
ヴィルフェイエが口元へ手を添える。
『随分と慎重になったものですね。』
『カシマシを失ったことで、学んだのでしょう。』
その言葉に、室内の空気が少しだけ変わった。
かつて獣族軍の象徴ともいえる猛将だったカシマシ。
その男を、一撃で葬ったセンチュリー。
それ以来、獣族は正面からの戦いを避けている。
『……それでも。』
センチュリーが呟く。
『この程度で我々が橋頭堡を放棄するとでも思っているのでしょうか。』
ヴィルフェイエは妖艶に微笑んだ。
『思ってはいないでしょうね。』
『だからこそ、続けている。』
『ええ。』
センチュリーは地図を見つめる。
橋頭堡。
その先に広がる獣族領。
そして森の奥。
『奴らは、時間を稼いでいる。』
ヴィルフェイエの表情が僅かに変わる。
『時間を?』
『我々を疲弊させながら、何かを待っている。』
沈黙。
二人はしばらく地図を見つめた。
やがてヴィルフェイエが静かに口を開く。
『……では、次に来るものは。』
センチュリーは答えなかった。
ただ、森の奥を見つめている。
その日の夜。
またしても森から獣族の一隊が姿を現した。
今度は、これまでより少しだけ大きな規模だった。
魔族兵が迎撃態勢を取る。
だが、獣族は砦へ近づくことなく、矢を放つとすぐに森へ消えていった。
――ヒュッ。
矢が地面へ突き刺さる。
その矢には、一枚の布が結びつけられていた。
魔族兵が拾い上げる。
『……何だ、これ?』
布には何も書かれていない。
ただ、獣族の紋章だけが刻まれていた。
それを見たセンチュリーは、静かに目を細めた。
『……宣戦布告ではない。』
『ですが、牽制でしょうね。』
ヴィルフェイエが呟く。
センチュリーは森の向こうを見据えた。
『獣族は、まだ戦うつもりだ。』
『そして――』
一拍。
『この攻撃は、前哨戦に過ぎない。』
ヴィルフェイエは静かに微笑む。
『何か、大きなものが動いている。』
『ええ。』
橋頭堡の周囲に、夜の闇が降りていく。
魔族軍は防衛を続ける。
獣族軍もまた、森の奥へ姿を消していく。
両軍の間には、再び静寂が訪れた。
だが――。
それは、戦いが終わった静寂ではない。
次なる戦いが始まる前の、ほんの束の間の静寂だった。
獣族は、ただ魔族を苛立たせているのではない。
何かを待っている。
そして、その裏では――。
魔族の知らぬところで、別の動きが始まっていた。
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