5話ー➉ 魔皇と妖王、両雄の決断
東方の空は静かだった。
剣は交わらず、法術が大地を裂くこともない。
しかし今、二人の王が下そうとしている決断は、一つの戦場を終わらせ、世界の勢力図を大きく塗り替えようとしていた。
――妖族王都・天嶺都セイラン。
妖王城・蒼天宮。
謁見の間には重臣たちが集められ、張り詰めた空気が広がっていた。
穏健派、交戦派。
互いに譲れぬ信念を抱きながらも、この日は誰一人として私情を挟むことはなかった。
すべては妖族の未来のため。
その一点だけを見据えていた。
玉座に座す妖王が静かに口を開く。
『愛山太郎坊。』
『はっ。』
『最後にもう一度聞こう。』
『お主は、この停戦案が妖族に利益をもたらすと確信しておるのか。』
愛山太郎坊は迷わず一歩前へ出た。
『確信しております。』
『停戦は敗北ではございません。』
『戦わずして国益を得ることもまた、勝利の形にございます。』
『交易は再び活発となり、多くの民が救われます。』
『国境から軍を退けば、不要な犠牲も避けられましょう。』
『そして何より、妖族は自らの意思で進む道を選べます。』
広間は静まり返る。
交戦派の重臣が静かに口を開いた。
『……我らは魔族を信用してはおらぬ。』
『だが、この協定は妖族の利益となる。』
『異論はある。』
『されど、反対はせぬ。』
その一言に、穏健派の面々も静かに頷いた。
妖王は玉座から立ち上がる。
広間をゆっくりと見渡し、力強く告げた。
『妖族は停戦交渉を受け入れる。』
『国境の軍勢は段階的に後退。』
『魔国との交易を再開し、中立を維持する。』
『これは誰かに従うためではない。』
『妖族の未来を守るための決断である。』
『異論ある者はおるか。』
誰一人として立ち上がる者はいなかった。
『……よし。』
『愛山太郎坊。』
『魔国へ我が意思を伝えよ。』
『はっ!』
深く頭を下げる愛山太郎坊。
その表情には、安堵と責任の双方が浮かんでいた。
場面は変わる。
――魔国アーストン。
魔皇城バルルモラ。
玉座の間。
ヴォランテは妖王の返書を携え、静かに跪いていた。
『魔皇様。』
『妖王より正式な返答が届きました。』
『申せ。』
『妖族は停戦案を受諾。』
『双方の軍勢を後退させ、中立を宣言。』
『交易も再開されます。』
玉座の間は静寂に包まれる。
ヴァンキッシュは返書を受け取り、一読すると静かに閉じた。
その表情に驕りはない。
ただ静かな威厳だけがあった。
『ヴォランテ。』
『よく成し遂げた。』
その短い言葉に、ヴォランテは深く頭を垂れる。
『ありがたきお言葉にございます。』
ヴァンキッシュはゆっくりと立ち上がり、世界地図の前へ歩み寄る。
北方。
西方。
東方。
三つの戦線へ静かに視線を巡らせる。
『東方は収まった。』
『これより妖族は敵ではない。』
『少なくとも、我らへ刃を向けることはあるまい。』
アレディフェが静かに微笑む。
『これで兵を無駄に失わずに済みますね。』
トレイルエクスも短く告げる。
『大きい。』
ヴァンキッシュは小さく頷く。
『戦とは勝つことだけではない。』
『戦わずして戦略的勝利を得る。』
『それもまた、覇道である。』
ヴォランテは力強く答えた。
『今後も妖族との関係を維持し、いずれはより強固な協力関係を築いてまいります。』
『任せる。』
ヴァンキッシュは静かに答える。
『だが、忘れるな。』
『これは終着点ではない。』
『始まりだ。』
その言葉に、その場にいた全員が姿勢を正した。
ヴァンキッシュは世界地図へ手を伸ばす。
その指先は東方からゆっくりと離れ、北方、そして西方へと移っていく。
『一つの戦線は静まった。』
『ならば次は、世界をさらに動かす。』
誰も言葉を発しない。
魔皇の描く未来は、すでに次の盤面へ移っていた。
こうして東方は、武ではなく外交によって決着を迎える。
それは魔族と妖族、両国の王が、自国の未来を見据えて下した重い決断であった。
そして世界は再び静かに動き始める。
その歩みを止められる者は、まだ誰もいなかった。
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