5話ー⑧ 妖王へ
妖族王都――天嶺都セイラン。
幾重にも連なる山々に囲まれたその都は、古より妖族の繁栄を支えてきた中心地であった。
切り立った断崖には巨大な楼閣が築かれ、谷を跨ぐ石橋が都の各所を結んでいる。
天狗が空を舞い、狐人や鬼人、狼人ら多種多様な妖族が往来するその光景は、妖族という国家の豊かさを物語っていた。
その都の最奥。
妖王城・蒼天宮。
広大な謁見の間へ、一人の男が静かに足を踏み入れる。
天狗種にして妖族高官――愛山太郎坊。
玉座の先には、妖族を束ねる王が静かに腰を掛けていた。
左右には重臣たちが並び、その中には穏健派だけでなく、魔国との交戦を強く訴える交戦派の姿もある。
厳かな空気の中、太郎坊は深く頭を下げた。
『妖王様。ただいま東方要衝都市マーチより戻りました。』
妖王は穏やかな声で告げる。
『ご苦労であった、愛山太郎坊。』
『して、魔国との会談はどうであった。』
太郎坊はゆっくりと顔を上げる。
『率直に申し上げます。』
『魔国は停戦を強く望んでおります。』
その言葉に、広間がわずかにざわめいた。
交戦派の一人が腕を組み、不満げに鼻を鳴らす。
『停戦だと……。』
『奴らは三方面へ軍を展開している。』
『戦線を一つ減らしたいだけではないのか。』
別の重臣も頷く。
『魔族の言葉を、そのまま信じるのは危険でしょう。』
太郎坊は否定も肯定もせず、静かに続けた。
『その懸念は当然です。』
『私も会談へ赴く前は、同じ考えでした。』
『ですが、ヴォランテ殿は違いました。』
『彼は終始、対等な国家として妖族と向き合っておりました。』
『支配でも服従でもなく、互いの利益を第一として交渉を進めてきたのです。』
交戦派の重臣が鋭く問い返す。
『言葉などいくらでも飾れる。』
『具体的な利益はあるのか。』
『ございます。』
太郎坊は迷いなく答えた。
『停戦成立後、双方の軍勢は国境より後退。』
『交易を全面的に再開。』
『木材、薬草、鉱石などの流通を戦前以上に拡大。』
『さらに魔国は、妖族の独立と主権を正式に尊重することを約しております。』
広間は再び静まり返る。
それは決して小さな譲歩ではなかった。
妖王も静かに問い掛ける。
『魔国は、それほどまでに東方を安定させたいのか。』
太郎坊は頷く。
『はい。』
『ですが、それは魔国だけの利益ではございません。』
『我らもまた、戦を避けることで失う兵を減らし、国力を蓄えることができます。』
『交易による利益も決して小さくはありません。』
穏健派の重臣が口を開く。
『確かに国益だけを見れば、悪い話ではない。』
『しかし交戦派を納得させられるかが問題だ。』
すると、それまで黙っていた交戦派の重鎮が静かに立ち上がった。
『一つ聞こう。』
『愛山太郎坊。』
『お前は魔国を信用したのか。』
広間の視線が一斉に集まる。
太郎坊は少しだけ考え、静かに首を横へ振った。
『信用ではありません。』
『国同士に必要なのは、信用ではなく利益です。』
『互いに利益がある限り、この協定は守られるでしょう。』
『利益を失えば、いずれ破られる。』
『だからこそ、双方に利益が残る形を作る必要があるのです。』
その答えに、交戦派の重鎮もそれ以上は言葉を返さなかった。
妖王は玉座にもたれ、静かに目を閉じる。
しばらくの沈黙。
誰一人として口を開かない。
やがて妖王はゆっくりと目を開いた。
『愛山太郎坊。』
『この提案、お主はどう考える。』
太郎坊は一歩前へ進み、力強く答えた。
『妖王様。』
『私は、この提案には十分な価値があると考えております。』
『戦を避けるためではございません。』
『妖族の未来にとって利益となるからです。』
『故に私は、この停戦案をご検討いただきたく存じます。』
妖王は静かに頷いた。
『……よい。』
『直ちに結論は出さぬ。』
『この案は重臣会議へ諮り、各派の意見も聞こう。』
『その上で、妖族としての答えを出す。』
『はっ。』
太郎坊は深く頭を下げた。
会議はひとまず閉じられる。
だが、それは終わりではない。
むしろ、ここからが本当の始まりだった。
王城を後にした愛山太郎坊は、夕日に染まる王都を見上げる。
『ヴォランテ殿……。』
『盤面は整いました。』
『あとは、互いの王がどのような一手を指すかですな。』
その頃、東方要衝都市マーチでは、ヴォランテもまた静かに報告書へ目を落としていた。
まだ返答は届かない。
しかし彼は焦らない。
外交とは、一手で決着するものではない。
幾重にも言葉を重ね、信頼と利益を積み上げた先に、ようやく実を結ぶものであることを知っていたからだ。
東方戦線。
そこでは今日も剣は抜かれない。
だが、言葉というもう一つの武器が、戦の行方を大きく変えようとしていた。
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