5話ー⑦ 落とし所
東方要衝都市マーチ――。
三度目となる会談の日。
応接間には、これまで以上に重厚な空気が漂っていた。
互いに幾度も条件を持ち帰り、修正を重ね、ようやく最終案と呼べるものが形となっていたのである。
円卓を挟み、ヴォランテと愛山太郎坊は静かに向かい合う。
二人の表情に焦りはない。
だが、その一言一言には国家の命運が懸かっていた。
ヴォランテが静かに口を開く。
『愛山太郎坊殿。本日は双方の条件を整理したうえで、最終的な折衷案をご提示いたします。』
『お願いいたしましょう。』
愛山太郎坊は頷き、腕を組んだ。
ヴォランテは机上へ一枚の書面を置く。
『第一に、魔国・妖族双方の軍勢は、停戦成立後七日以内に国境より後退いたします。』
『互いに一定の緩衝地帯を設け、偶発的な武力衝突を防ぎます。』
『異論はございませぬ。』
愛山太郎坊は静かに答えた。
『第二に、交易を全面的に再開いたします。』
『木材、鉱石、薬草、穀物など、双方が必要とする物資の流通を認め、停戦による利益を両国へ還元いたします。』
『交易量につきましても、戦前を上回る規模で考えております。』
愛山太郎坊は満足そうに頷く。
『それならば穏健派も納得いたしましょう。』
『戦よりも利益が大きいと示せます。』
ヴォランテはさらに続ける。
『第三に、魔国は妖族の独立と主権を尊重することを正式に約束いたします。』
『妖族への干渉、内政への介入は一切行いません。』
その言葉を聞いた愛山太郎坊は、静かに目を閉じた。
『……ありがたい。』
『その一文があるだけで、交戦派へも説明しやすくなります。』
『魔族へ屈するのではなく、対等な国家同士の協定であると示せますからな。』
ヴォランテも静かに頷いた。
『それが魔皇様のお考えです。』
『支配だけが国を治める術ではありません。』
『互いを認めることもまた、一つの力です。』
しばらく沈黙が流れる。
愛山太郎坊はゆっくりと書面へ目を通し、一つひとつ確認していく。
やがて視線を上げた。
『……では、妖族側の条件を申し上げます。』
ヴォランテは静かに耳を傾ける。
『停戦期間中、妖族は中立を維持いたします。』
『また、国境周辺での挑発行為、威圧行動は一切行いませぬ。』
『さらに、交易再開に伴い、木材、薬草などの物資を魔国へ優先的に供給いたします。』
ヴォランテは深く頷いた。
『十分です。』
『その条件であれば、魔国としても受け入れられます。』
愛山太郎坊は静かに笑う。
『互いによく譲りましたな。』
『ええ。』
ヴォランテも微笑んだ。
『どちらか一方だけが利益を得る交渉では、長くは続きません。』
『双方が納得できるからこそ、真の停戦となるのです。』
再び沈黙が流れる。
その静寂は、これまでのような探り合いではない。
互いの考えを認め合った者同士だけが共有できる、穏やかな静けさだった。
やがて愛山太郎坊がゆっくりと立ち上がる。
『ヴォランテ殿。』
『この内容であれば、私としては十分な落とし所だと判断いたします。』
『ありがとうございます。』
『しかし――。』
愛山太郎坊は穏やかな笑みを浮かべながらも、その瞳には責任を背負う者の厳しさが宿っていた。
『私は妖族高官ではありますが、この場で停戦を決定する権限はございませぬ。』
『最終的にご裁可なさるのは、妖王陛下です。』
ヴォランテも立ち上がり、深く一礼する。
『承知しております。』
『私もまた、この会談のすべてを魔皇様へ報告いたします。』
『ですが、この案であれば、必ずや魔皇様もお認めくださるでしょう。』
愛山太郎坊は力強く頷いた。
『私も、この案をもって妖王陛下へ上申いたします。』
『容易な説得ではありますまい。』
『交戦派からも反対の声は上がるでしょう。』
『ですが――』
一度言葉を切り、静かに続ける。
『この案ならば、妖族の未来を守れる。』
『私はそう信じております。』
ヴォランテは右手を差し出した。
『それでは、次は妖王陛下のお返事を待ちましょう。』
愛山太郎坊もその手をしっかりと握り返す。
『ええ。』
『今日の会談は、戦を終わらせるための大きな一歩となりました。』
固い握手が交わされる。
それは停戦の成立ではない。
しかし、互いの国益を見据え、互いの誇りを尊重した者同士が辿り着いた、一つの答えだった。
会談を終えた愛山太郎坊は、応接間を後にする。
廊下を歩くその足取りは、来た時よりも重い。
これから待つのは、妖王への上申。
そして穏健派と交戦派、双方を納得させるという、もう一つの戦いである。
ヴォランテは窓辺からその背を静かに見送った。
『あとは、あなた方の決断です。』
その呟きは誰にも届かない。
だが東方の空には、これまでよりもわずかに穏やかな風が吹き始めていた。
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