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5話ー⑥ 互いの譲歩

東方要衝都市マーチ――。


二度目の会談の日。


応接間には前回と変わらぬ静寂が流れていた。


窓の外では魔族と妖族、双方の軍勢が依然として国境を挟み対峙している。


一つ判断を誤れば、この静寂は一瞬で戦火へと変わる。


しかし、その重圧を感じさせる者は、この部屋には一人もいなかった。


ヴォランテと愛山太郎坊。


互いに国を背負う者同士は、静かに席へ着く。


茶が運ばれ、形式的な挨拶を終えると、愛山太郎坊が先に口を開いた。


『前回の提案は、穏健派の重鎮数名にも伝えました。』


『反応はいかがでしたか。』


ヴォランテが静かに問う。


『悪くありませぬ。』


『戦を避けられるのであれば、それに越したことはないという者が多うございました。』


『ですが――。』


愛山太郎坊は一拍置く。


『交戦派は納得いたしませぬ。』


『彼らはこう申しております。』


『「停戦とは魔族に時間を与えるだけではないか」と。』


ヴォランテは小さく頷いた。


『予想しておりました。』


『では、お聞かせ願えますか。』


『彼らを納得させるには何が必要なのでしょう。』


愛山太郎坊は真っ直ぐヴォランテを見据える。


『まず第一に、双方の軍勢を国境から後退させること。』


『これは最低条件です。』


『魔族軍だけでは意味がありません。』


『妖族軍も同時に後退し、互いに緩衝地帯を設ける。』


『それならば交戦派も警戒を多少は緩めましょう。』


『異論ありません。』


ヴォランテは即座に答えた。


『我らも無用な衝突は望みません。』


『魔皇様もそのお考えです。』


愛山太郎坊は頷く。


『次に交易。』


『停戦するだけでは妖族に利益がありません。』


『国境交易を以前以上の規模へ拡大していただきたい。』


『木材、鉄鉱石、薬草、穀物。』


『互いに不足する物資を融通し合う。』


『その利益をもって戦費を補いたいのです。』


ヴォランテは机上へ一枚の資料を置いた。


『こちらをご覧ください。』


愛山太郎坊が目を落とす。


そこには交易量、税率、流通路、護衛体制まで細かく記されていた。


『……これは。』


『既にここまで試算されていたのですか。』


『はい。』


『停戦が実現した場合を想定し、事前に準備しておりました。』


愛山太郎坊は苦笑した。


『参りましたな。』


『魔皇軍参謀とは聞いておりましたが、これほどとは。』


ヴォランテは穏やかに答える。


『戦が始まってから考えるようでは遅いのです。』


『始まる前に終わらせる。』


『それが参謀の務めです。』


その言葉に、愛山太郎坊は静かに笑みを浮かべた。


『なるほど。』


『だから魔族は三方面へ軍を展開しながら崩れぬのですな。』


『ですが――』


表情が引き締まる。


『こちらにも譲れぬものがあります。』


『妖族の誇りです。』


部屋の空気がさらに張り詰めた。


『交戦派は利益だけでは動きませぬ。』


『妖族は魔族へ屈した。』


『そう思われた瞬間、この交渉は終わります。』


ヴォランテは静かに頷いた。


『我らもそのような形は望んでおりません。』


『では、対等な国家同士として協定を結ぶ形ではいかがでしょう。』


『互いに不可侵を誓い、互いに利益を分かち合う。』


『支配でも服従でもなく、共存です。』


愛山太郎坊は目を閉じる。


その提案を何度も頭の中で反芻する。


やがて静かに口を開いた。


『……その言葉ならば、穏健派は納得するでしょう。』


『ですが交戦派には、もう一押し必要です。』


ヴォランテは問い返す。


『もう一押し、と申しますと。』


『物資です。』


『戦となれば、食料も武具も莫大に消費します。』


『停戦によって得られる利益が、その損失を上回ると示さねばなりません。』


『つまり、交易利益を具体的な数字で示してほしいのです。』


ヴォランテは少し考え、静かに答えた。


『可能です。』


『交易量を増やし、双方の利益を数値として提示しましょう。』


『さらに、魔国は妖族商人へ優先的な交易権を認めます。』


『それならば交戦派も利益を理解できるはずです。』


愛山太郎坊は思わず笑みを浮かべた。


『ここまで譲歩されますか。』


『魔国としては大きな決断でしょう。』


ヴォランテも微笑む。


『戦を一つ終わらせられるならば、安いものです。』


『失う兵の命に比べれば、交易などいくらでも見直せます。』


愛山太郎坊は深く頷いた。


『……魔皇ヴァンキッシュ殿は、やはり噂通りのお方なのでしょうな。』


『武だけでは世界は治められぬ。』


『そのことを理解しておられる。』


ヴォランテは誇らしげに答えた。


『魔皇様は、常に十手先をご覧になっております。』


『私はそのお考えを形にしているだけです。』


しばらく沈黙が流れた。


互いに言葉を選び、互いの譲歩を受け止める。


やがて愛山太郎坊が静かに立ち上がった。


『……本日の会談で、互いの道筋は見えました。』


『まだ詰めるべき点は残っております。』


『ですが、この内容ならば妖王陛下へ上申する価値は十分にあります。』


ヴォランテも立ち上がる。


『ありがとうございます。』


『我らもさらに条件を整理し、次の会談では最終的な落とし所を探りましょう。』


愛山太郎坊は穏やかな笑みを浮かべる。


『交渉とは勝ち負けではありませぬ。』


『互いが一歩ずつ譲り、国益という一つの道へ辿り着くもの。』


『本日、その一歩を確かに踏み出せたようですな。』


ヴォランテは力強く頷いた。


『ええ。』


『この一歩が、東方の戦火を消す礎となることを願っております。』


二人は再び固く握手を交わす。


その握手はまだ盟約ではない。


しかし互いに譲歩し、互いを認め合った証だった。


応接間を出る愛山太郎坊は、小さく空を見上げる。


『……さて。』


『ここからが本当の勝負ですな。』


妖王を説得し、穏健派をまとめ、交戦派を納得させる。


その重責は、今まさに彼の肩へとのしかかろうとしていた。

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