5話ー① 東方要衝都市マーチ
東方方面――。
魔国アーストンの東端。
妖族領との国境近くに位置する東方要衝都市――マーチ。
古くから東方防衛の要として築かれたこの都市には、重厚な城壁が幾重にも巡らされ、多くの兵士が絶えず警戒を続けていた。
城壁の上では、見張りの兵が遠くの山々を見渡している。
『異常なし!』
『妖族軍の動きは確認できません!』
報告が次々と上がる。
しかし、それで警戒が緩むことはなかった。
城門の内側では、兵士たちが槍や剣の手入れを行い、法術師たちは結界の維持を続けている。
斥候部隊も絶え間なく国境を巡回し、わずかな異変も見逃さぬよう索敵を繰り返していた。
戦は始まっていない。
だが、だからこそ気を緩めることは許されない。
その都市に駐留しているのは、八冥王二名。
第二席――ゲクシー。
第五席――ラングエルド。
二人は司令部の窓から、国境の彼方を静かに見つめていた。
ゲクシーは腕を組み、不満そうに鼻を鳴らす。
『まったく動かんな。』
『これだけ兵を集めておいて、妖族は何を考えている。』
ラングエルドは落ち着いた口調で答えた。
『動かぬなら、それに越したことはあるまい。』
『戦とは、始まれば多くの命が失われる。』
『剣を抜かずに済むなら、それが最善だ。』
ゲクシーは肩をすくめる。
『お前らしい答えだ。』
『だが俺は違う。』
『敵が来るなら迎え撃つ。来ないならこちらから叩き込みたいくらいだ。』
ラングエルドは苦笑する。
『だからこそ、お前と私が組まされたのだろう。』
『熱と冷静。互いに補える。』
その時だった。
一人の伝令兵が駆け込んでくる。
『ご報告いたします!』
『参謀ヴォランテ様が、まもなくマーチへ到着されます!』
ゲクシーの表情が変わる。
『ほう、ようやく来たか。』
ラングエルドも静かに頷く。
『魔皇様のご命令であれば、東方もいよいよ本格的に動き出すということだな。』
場面は変わる。
街道を一団の馬車が進んでいた。
先頭を進む黒塗りの馬車。
その中で、一人の男が静かに書類へ目を通している。
参謀――ヴォランテ。
馬車の揺れにも動じることなく、机代わりの台へ地図と報告書を広げていた。
妖族各部族の勢力図。
幹部たちの性格。
派閥。
利害関係。
そして、魔国へ好意的とされる者たちの名。
一枚一枚を確認しながら、小さく呟く。
『……武ではなく、言葉で勝つ戦。』
『これほど難しい戦もありませんね。』
向かいに座る部下が尋ねた。
『ヴォランテ様。』
『本当に妖族は我らと話し合いに応じるのでしょうか。』
ヴォランテは視線を資料から外さず答える。
『応じます。』
『正しく言えば、応じざるを得ない者がいる。』
『問題は、その者へ辿り着けるかどうかです。』
部下は黙って頷いた。
ヴォランテは窓の外を眺める。
遠くにマーチの城壁が見え始めていた。
『魔皇様は、この東方を私へお任せくださいました。』
『ならば、その信頼に応えなければなりません。』
『戦わずして一国を味方へ引き入れる。』
『それこそ参謀の務めです。』
やがて馬車は東方要衝都市マーチへ到着する。
城門では、すでにゲクシーとラングエルドが待っていた。
馬車が止まり、ヴォランテがゆっくりと降り立つ。
ゲクシーは豪快に笑う。
『待っていたぞ、ヴォランテ!』
『お前が来たということは、ようやく俺たちも動けるということだな!』
ヴォランテは穏やかに微笑んだ。
『いえ、ゲクシー殿。』
『まず動くのは剣ではありません。』
『外交です。』
ラングエルドも静かに一礼する。
『ようこそ、マーチへ。』
『魔皇様より、東方方面の外交工作を一任されたと伺っております。』
ヴォランテは二人へ一礼を返した。
『しばらくの間、お世話になります。』
『東方方面は、武だけで勝てる戦ではありません。』
『皆様のお力も、お借りすることになるでしょう。』
三人はそのまま司令部へ歩き出す。
東方方面は、静かだった。
まだ剣は交わらず、血も流れてはいない。
しかし、この静寂の裏では、国家の命運を左右する外交戦が、すでに始まろうとしていた。
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