3話ー① 開戦
川を隔てて、二つの大軍が対峙していた。
北方を流れる大河。 普段は穏やかな流れであっても、ひとたび増水すれば容易に人馬を飲み込む天然の要害である。
川の南岸には魔国軍三万。
中央には総大将レヴァンテ魔将が本陣を構え、その傍らには第六席ヴェゼル、そして数名の近衛だけを従えた第七席コアードの姿があった。
左翼にはヴェゼル配下の軍勢一万。
右翼にはコアード直属軍一万が展開し、その指揮は副官ラカロが執っている。
コアードは自ら前線へ出ず、戦局を左右する切り札として本陣で出撃の時を待っていた。
魔法部隊はすでに詠唱を開始し、杖の先には淡い光が集まり始めている。
兵たちは槍を握り締め、誰もが開戦の号令を待っていた。
対する北岸。
聖族国家連合軍五万。
中央二万を率いるのは、イーリギス戦士団長ロンダン。
その左右には各一万ずつの軍勢が展開し、本陣後方には一万の遊撃軍が控えている。
両軍とも戦う準備は整っていた。
だが――。
誰一人として動かない。
静寂だけが戦場を支配していた。
ヴェゼルは馬上からゆっくりと川面へ視線を落とす。
『……穏やかな流れですね。』
隣に控えるレヴァンテが頷いた。
『本日は、でございます。』
『昨日、上流では雨が降ったと聞いています。』
『その通りです。』
ヴェゼルは静かに目を細める。
『ならば鉄砲水の可能性もありますね。』
レヴァンテも同じ考えだった。
『ええ。渡河の最中に増水すれば、一軍は壊滅しかねません。』
コアードが短く口を開く。
『……渡るか。』
『まだです。』
ヴェゼルは即座に答えた。
『敵も同じことを考えているでしょう。』
『こちらが川を渡る瞬間を狙っている可能性があります。』
『川の中では身動きが取れませんからね。』
コアードは静かに頷く。
『待つか。』
『ええ。焦る必要はありません。』
ヴェゼルは敵本陣を見据え、小さく息を吐いた。
(やはり……。)
(ヴァンキッシュ様の読み通り。)
(敵は自ら攻め込んでくる。)
(こちらから動けば、敵に大義を与えるだけ。)
(ならば待てばいい。)
その表情に焦りはない。
魔皇が描いた戦の筋書きは、一歩たりとも狂っていなかった。
その頃――。
対岸の聖族国家連合本陣でも、ロンダンは川を見つめていた。
『戦士団長。攻めますか。』
副官の問いに、ロンダンは静かに首を振る。
『まだだ。』
『魔族は待っている。』
『我らが川を渡る瞬間を狙っているのだろう。』
聖法術士リーズが口を開く。
『では魔法で先制を?』
『無意味だ。』
ロンダンは即座に否定した。
『距離が遠い。魔力だけを消耗する。』
聖戦士バガーミンムが拳を鳴らす。
『ならば俺が渡ろう。』
『焦るな。』
ロンダンの一言で場は静まり返る。
『敵にも名将がいる。』
『こちらが読めることは、向こうも読める。』
『勝負とは、力だけでは決まらん。』
『相手より一手先を読む者が勝つ。』
本陣には重苦しい緊張が漂っていた。
両軍とも、相手の出方を待っている。
一歩踏み出せば、その一歩が敗北へ繋がるかもしれない。
だからこそ動けない。
それは臆病なのではない。
互いが互いを名将と認めている証だった。
やがて沈黙を破るように、一人の斥候が駆け込んでくる。
『報告! 敵軍、斥候部隊を前進させました!』
その一報に、ヴェゼルは静かに笑みを浮かべる。
『……始まりましたね。』
本格的な激突を前に、まずは互いの腹を探り合う小さな戦いが幕を開けようとしていた
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