第三話 非難されたくなかった
別々に入店したけど、あの男が誰の連れかくらいはすぐ分かる。灰谷さんの護衛だ。
俺はすぐに視線を外して、温めたビーフシチューを皿に盛り、カウンターへ置く。
「お待たせしました」
「おおっ」
灰谷さんは、子供みたいに嬉しそうな顔をした。
「いい匂いだねぇ」
スプーンでビーフシチューをすくい、ゆっくり口へ運ぶ。
しばらくして、満足そうに頷いた。
「うん。やっぱりうまい」
それから、いつもの台詞だ。
「ここのビーフシチューは、本当にいい味してるねぇ」
「ありがとうございます」
「肉がやわらかい」
「一晩寝かせて、じっくり煮込んでますから」
「そりゃうまいはずだ」
そう言って、灰谷さんはビーフシチューを夢中で食べた。その姿からは、この街の半分を支配している人物には見えない。
「おかわりもありますよ」
「おお、それは嬉しい」
灰谷さんは笑った。
「二皿くらい、余裕で食べられそうだねぇ」
「少なめにもできますから、遠慮なく仰って下さいね」
「じゃあ、あとでお願いしようかな」
「ぜひ」
俺は灰谷さんのことを、普通のお客さんと同じように接客する。だから、俺が正体に気づいているなんて思ってないはずだ。
だから、知らない振りをしておく。
マフィアのボスの顔なんて、普通は知るよしもない。ネットで検索しても、この街のヤバイ情報は一切出てこないから、誰かが圧力を掛けているんだろう。
でも客商売をしていれば、何となく見えてくる。
客同士の会話に、街のウワサ話。店に来る人たちの顔ぶれ。そういうものを見聞きしていれば、自然と人物像は浮かび上がる。何より、灰谷さんがやってきた日は、リュウの機嫌が悪くなるんだ。
リュウは帰宅すると、いつも俺に客のことを尋ねる。
「ナオ。今日は、誰が来ましたか?」
見知らぬ人間が、店に入り込んでいないか。それを確かめているみたいだ。
俺はその日も、いつもの調子で答えた。
「えっと、いつもの常連さんが多かったな。あ、たまに来る、コーヒーだけのお客さんもいた。あと、長い白髪のおじいさんも」
「……そうですか」
少し、間があった。
リュウの目が一段と鋭くなる。
「他に、変わったことはありませんでしたか?」
「ないよ」
俺が首を振ると、リュウは小さく頷く。ジャケットを脱ぎハンガーに掛ける仕草はいつもと同じなのに、その背中から静かな怒りを感じた。
たぶん灰谷さんには、店に来るなって伝えてるんだ。それを平気で無視する灰谷さんは、やっぱりマフィアのボスなんだなって改めて思う。普通の人間には、そんな命知らずな真似はできない。
「ナオ」
「うん?」
「常連以外の客には、必要以上に関わらないで下さい」
リュウの声が、いつもより低い。灰谷さんに対する怒りが滲んでいるし、苛立ちも伝わってくる。
「分かってるって」
俺はなるべく、明るい声で答えた。
けど、リュウは少し苦しそうな顔になる。
そんな顔するなよ。
そう言いたかったけど、黙っていた。
リュウは……俺に、平穏な人生を歩んでほしいって望んでいるんだ。
俺が、これ以上悲しんだり、苦しんだりしないようにって。
なのに、奈落の街に来ることを決めたのは、俺だから。
ごめんな。
俺は、リュウと二人で生きていくことを、誰にも非難されたくなかったんだよ。
だからせめて、何も知らない振りをするって決めた。
俺が、最初にリュウを巻きこんでしまったから。
あの始まりを思い出すと、胸が苦しくなる。
でも、決して忘れることはない。




