第二話 マフィアの支配する街
昼間、店に来た客がそんな話をしていた。この街では、公式の情報よりも、人づてのウワサの方が早い。
物騒な話も、珍しくなかった。けど、俺たちみたいな一般人は、抗争の気配を敏感に察知して、外出を控えるようになる。とうぜん、客足も自然と減る。
常連のおじさんも、帰り際にぼやいた。
「今朝、自警団の連絡が回ってきてさ。しばらくは外出控えろってよ」
「そうらしいですね」
「悪いな、ナオちゃん」
「いえ」
おじさんは、毎日のように店にきて、コーヒーを片手に新聞を読むのが日課だった。
「ナオちゃんのコーヒーも、当分お預けか」
「うちは、コーヒーマシンですけどね」
「あのラテアートってやつが楽しみなんだよ。どんどん上手くなるからさ」
「ありがとうございます」
最初はハートもまともに描けなかったのに、今はリーフやチューリップくらいなら安定して出せるようになった。たまに、スワンも形になる。豆やミルクの状態で仕上がりが変わるから、毎回同じようにはいかないけど。
カップの中に模様が浮かぶだけで、お客さんが嬉しそうにする。それを見るのが好きだった。
「落ちついたら、また来てください」
「おう。ナオちゃんも気をつけろよ」
おじさんは、片手を上げて笑った。
去って行く後ろ姿は、どこか不安そうだったけど、抗争が始まるって思ったら、仕方ないよな。
他の常連客にも同じように「落ち着いたらまた来るよ」と言われた。うちも、そろそろ休業した方がいいのかもしれない。
「抗争か」
今の時代に、そんな物騒な会話が飛び交うのも、ここ「奈落の街」だけだろう。
誰もがスマホを持ち歩くようになっても、通りに並ぶ店の看板は色あせ、古い建物もそのまま使われている。そのせいか、余所からきた人間には、のどかな港街に見えるらしい。
だけど、実態は違う。
街のいたるところに監視カメラがある。頻繁にスマホが繋がらなくなるせいで、どこの家にも固定電話が残っている。
鳩を飼っている家が多いのも、最初は不思議だった。ただの趣味だと思っていたけど、あるとき気付いた。スマホや、固定電話さえ使えなくなるこの街では、ああいう手段の方が、確実に届くんだ。
今までの常識が、通用しない。
ここは、マフィアが支配する街だからだ。
勢力は二つに分かれている。
東側は灰谷、西側は緑川が牛耳っている。
灰谷と緑川は、定期的に衝突し、抗争を起こす。銃声が響き、建物が燃え、お互いに死傷者を出して、どちらも痛手を被ったところで、なんとなく収束し、しばらくの平和が訪れる。
奈落の街では、それが普通だった。
リュウと二人でこの街に来たのは、四年前。俺が十五歳になる年だった。
この四年間で起きた抗争は、もう数え切れないほどだ。
抗争が始まると、リュウは必ず俺に言う。
『外出禁止です。絶対に外へ出ないで下さい』
その声は、いつもと違って厳しい。
だから俺も、外に出ようとは思わない。店も休業する。
売上は減るけど、生活に困ることはない。リュウは俺に、そういう心配をさせたことがなかった。
俺の店は、言ってしまえば道楽みたいなものだ。十九歳の俺が一人で営んでいる、小さな洋食屋。名義はリュウになっているけど、店の中のことは全部、俺が決めている。
抗争の激しい奈落の街で、俺が店をやっていけるのには、理由がある。
この店が、東側を牛耳る灰谷さんの庇護下にあるからだ。
さらに言うなら、俺がリュウの身内だから。
灰谷さんは、たまに俺の店へやってくる。もちろん、お忍びだ。
一週間前にも、やってきた。
その日の灰谷さんは、洗いざらしで少し色の抜けたグレーのシャツに、ゆるいズボンで、足元は革靴じゃなくて履き古したスニーカーだった。いつも長い白髪を後ろでひとつに束ねている。肩書きを知らなければ、ただのおじいちゃんにしか見えない。
カウンター席に腰を下ろし、にこにこしながらメニューを見る。
「いやあ、涼しくなってきたねぇ」
「そうですね。夜は冷えてきましたね」
「うん。秋の気配を感じると、あれが食べたくなるんだ」
灰谷さんは、期待に満ちた目でこちらを見た。
「ビーフシチュー、あるかい?」
「はい。ちょうど、昨日から出し始めたんですよ」
「おお、タイミングがいいね。じゃあ、それで」
「分かりました」
一皿分のビーフシチューを寸胴鍋からすくい、小鍋に移して火にかける。仕上げの味を整えながら、チラッとテーブル席に視線を向けた。
店の入口に近いその席には、黒いジャケットの男が座っている。年齢は三十前後だろうか。料理は頼まず、コーヒーだけ注文したまま、ほとんど口をつけていない。スマホを弄ってるが、油断なく周りを窺っている。




